ツーリングでは、なぜ「先っぽ」ばかりを目指すのか?

ツーリングでは、なぜ「先っぽ」ばかりを目指すのか?

掲載日:2007年02月28日 ライダー考現学    

読者からの質問

最近、なんとなく今までのツーリングの思い出を振り返っていました。すると、自分がやたらと先っぽばかりを目指して走ってきたことに気づかされました。なぜか、岬の先端などには誘われるように行ってしまっているようなんです。それに気づいて少し怖くなりました。これって、病気なんでしょうか?

東京都 / 麺固めさん(HONDA CB1300SF所有)

 

ツーリングでは、なぜ「先っぽ」ばかりを目指すのか?

 

「先っぽ依存」は、我々日本人にとってごく自然な行為である。メカニズムはこうだ。日本人が農耕民族であったことはご存知だろう。しかし、我々がバイクに跨ることで無意識に、日本人の枠組みを超えた原始DNAを起動させていることに気づく者は少ない。バイクを媒介に、猿人時代より持ちながら奥深く眠った狩猟本能が、覚醒しているのだ。これは、バイクが馬に跨るのと似ていることにも関連があるという。よく耳にする「あの人、バイクに乗ると人が変わるよね」という言葉は、まさにここに起源を持つ。しかし、現代において狩猟は許されない行為であることは言うまでもない。だからこそライダーは、違った代替物を求める。それこそが「先っぽ」だ。そこを走り切ることで得られるだろう征服感を期待し、狩猟本能を満たそうとしているとお考えいただきたい。

 

これが「先っぽ依存」の原因だ。もちろん、我々は知っている。先っぽが、概して期待ハズレなことを。「え? 通り過ぎたの?」なんてことも日常茶飯事だ。多くの先っぽには”先っぽ感”はなく、それまでの苦労を嘲笑うかのような無感動だけがある。しかし、この無情を抱えて走ることが、ライダーの心意気であり矜持であろう。ならば、この”感覚”をまだ実感できずとも、悩まず享受してほしい。

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