» スポーツ&ツアラー&ネイキッド特集記事 記事一覧

  • 【ヨシムラヒストリー32】新世代GSX-R750は新型水冷エンジン+アルミツインスパーフレーム

    掲載日: 2025年06月27日 カテゴリ:

    1996年、スズキGSX-R750(T)は生まれ変わった。4ストローク水冷並列4気筒としては第2世代のエンジンは、ボア×ストロークΦ72×46mmDOHC4バルブ、749cc。油冷機や第2世代水冷のΦ70mmから比べてショートストロークとなった(1988年型油冷GSX-R750JのΦ73mmよりボアは小さいが)。
    ついにサイドカムチェーン(右サイド)を採用し、4つの燃焼室に対して吸気ポートは完全にストレートになった。シリンダーは、SCEM(Suzuki Composite Electrochemical Material)メッキシリンダーを採用。シリコンカーバイト系電解メッキ処理で、従来の鋳鉄スリーブと比較してこれだけで2kgの軽量化になる。

  • 【ヨシムラヒストリー31】1992年~1995年 水冷化で新時代を迎えたGSX-R

    掲載日: 2025年02月12日 カテゴリ:

    1992年、ついにGSX-R750が水冷エンジンを搭載した。1985年に画期的な油冷エンジン(正確には空冷+油冷のAir /Oil Cooled Engine)でデビューしたGSX-R750だったが、7年間は長過ぎだった。ライバルのホンダ(VFR750F、RC30。TT-F1はRVF750)、ヤマハ(FZ/FZR750、0W-01。TT-F1はYZF750)、カワサキ(ZXR750。TT-F1はZXR-7)などは、もちろんすでに水冷エンジン化していた。モデルチェンジも頻繁で、TT-F1やスーパーバイク(AMA=全米選手権スーパーバイク、SBK=スーパーバイク世界選手権)のベースモデルとしてエンジンのみならず、車体の進化が止まらなかった。

  • 【ヨシムラヒストリー30】油冷GSX-R 時代の終焉

    掲載日: 2024年10月18日 カテゴリ:

    1989年は、ヨシムラにとって最高のシーズンだった。全日本ではダグ・ポーレンがTT-F1&TT-F3で、AMAではジェイミー・ジェイムズがスーパーバイク&750スーパースポーツで、ともに“ダブルタイトル”を獲得したのだ。一方でライバルの水冷エンジン勢がパフォーマンスを発揮し始め、1990年でデビュー6年目を迎えた油冷GSX-R750は、明らかに設計が古くなり、パワーバランスは劣勢と言わざるを得なくなっていた。

  • 【ヨシムラヒストリー28】1989前編「不運が重なるデイトナ、しかし全日本では徐々にチームの調子が上がっていく」

    掲載日: 2024年08月09日 カテゴリ:

    ダグ・ポーレンは、不二雄が今まで出会ったことのないタイプのライダーだった。走りは、常に限界を超えることはなく、ブッチ切りの独走はしないで、終盤に抜いて僅差で勝つ(100%で走ることもあるが、それもほんの1、2ラップだ)。何秒差を付けるのかは、ポイントや賞金に関係なく、勝つことだけが重要なのだ、と言わんばかりのレースをする。

  • 【ヨシムラヒストリー29】1989後編「D・ポーレン、全日本TT-F1&TT-F3ダブルタイトル獲得!!」

    掲載日: 2024年08月08日 カテゴリ:

    全日本はサマーブレークに入り、いよいよFIM耐久カップシリーズ第2戦鈴鹿8耐(第12回大会・7月30日決勝)を迎える。1989年耐久シリーズは、世界選手権から外れてFIMカップとなっていた。ヨシムラは#12ケビン・シュワンツ/ダグ・ポーレンと、#45大島行弥/高吉克朗の2台体制で臨む。

  • 【ヨシムラヒストリー27】D・ポーレン、全日本デビュー。鈴鹿8耐は2位。

    掲載日: 2024年06月27日 カテゴリ:

    1988年の全日本ロードレースは全15戦で、その中から開催クラスがセレクトされた。国際A級TT-F1は、ちょっと少なくて6戦が、国際A級TT-F3は8戦が組まれていた。TT-F1クラスは、3年連続チャンピオンを獲っているヨシムラ(スズキ)を筆頭に、ホンダ(HRC)、ヤマハ、カワサキの4大メーカーがファクトリーマシンを送り込み、全日本と鈴鹿8耐は、それこそ4ストロークレーシングマシン世界一を争う舞台となっていた。

  • 【ヨシムラヒストリー26】K・シュワンツ、旅立ち前にデイトナ初優勝。

    掲載日: 2024年04月23日 カテゴリ:

    唯一、1988年型GSX-R750Jで出走したK・シュワンツ。ここは東31度バンクから駆け下りて一度ほぼフラットな直線区間となるあたり(その後グランドスタンド前の18度バンクに上がる)。強烈な縦Gがかかるため、前後サスペンションは瞬間にボトムしてしまう。

  • 【ヨシムラヒストリー25】鈴鹿8耐、残り5分。#45 高吉克朗がトップを走っていた……

    掲載日: 2024年01月23日 カテゴリ:

    1987年世界耐久選手権第5戦、鈴鹿8時間耐久レース(7月26日決勝)は、ついに最後の勝負を迎えた。トップを走る#45のヨシムラは、タイヤ交換、ガスチャージ、ライダー交代(G・グッドフェロー→高吉)を順調に終え、メカニックたちに勢い良くプッシュされピットアウト。暗くなる最終スティントに備え、高吉はヘルメットのシールドをクリアに交換していた。

  • 【ヨシムラヒストリー24】3人のライバルがAMAスーパーバイクを支配しようとしていた

    掲載日: 2023年08月25日 カテゴリ:

    AMAスーパーバイク三銃士。左からケビン・シュワンツ:1964年6月19日テキサス州ヒューストン生まれ、ウェイン・レイニー:1960年10月23日カリフォルニア州ダウニー(ロサンジェルス近郊)生まれ。辻本聡:1960年2月19日大阪府生まれ。3人とも威勢が良く、吸収力があって、何より無限の可能性を秘めていた。3人とも目指すはGP500世界チャンピオンだった。

  • 【ヨシムラヒストリー23】2つの若き才能:辻本の躍進と、ケビンの苦悩

    掲載日: 2023年02月13日 カテゴリ:

    チャンピオンナンバー#1を付けて全日本TT-F1を走る辻本。デイトナから帰国後、意外にもTT-F3(GSX-R400)が気に入っていた。「コーナーに入っていく姿勢がイイんだよね。イイ感じで入っていけるから、上手く向きが変わる。もちろんTT-F1も楽しいんだけど」と辻本。圧倒的な支配力で、全日本を駆け抜けていった。

  • 【ヨシムラヒストリー22】1986年デイトナ後編「若き2人の挑戦者たち」

    掲載日: 2022年12月12日 カテゴリ:

    デイトナのインフィールドを行く#604 辻本。辻本はAMAスーパーバイク仕様GSX-R750を気に入っていた。TT-F1仕様より車重が増えたものの、パワフルなのだ。AMAでは1mmオーバーサイズのピストンが許されているため、φ71×48.7mm、770.86ccと排気量が大きいからだ。対してTT-F1は1%オーバーだからφ70.3×48.7mm、755.57cc(STDはφ70×48.7mm、749.93cc)。

  • 【ヨシムラヒストリー21】1986年デイトナ前編「31度バンクのサムライ」

    掲載日: 2022年10月21日 カテゴリ:

    1986年デイトナの夕方、ピット裏をスズキのモペット“スージー”で移動する不二雄。タンデムしているのは、ライダーの辻本。デイトナ・バイク・ウィークでは、本コースとピットロードの間にスーパークロスコースが特設されるので、スプリンクラーで水撒きしているところ。

  • 【ヨシムラヒストリー20】辻本、シュワンツ、そしてGSX-R750の登場

    掲載日: 2022年08月17日 カテゴリ:

    1985年、鈴鹿8耐にチームヨシムラモチュールの第1ライダーとして出走した#15 K・シュワンツ。ヨシムラGSX-R750のTT-F1マシンに乗るのは、鈴鹿200km以来2回目だったが、予選では大先輩G・クロスビーよりも速かった(予選11番手2分25秒122。ポールポジションはK・ロバーツの2分19秒956)。まだ、K・シュワンツらしいリーンアウトではなく平凡なライディングフォームだった。

  • 【ヨシムラヒストリー19】アメリカも世界も、新750cc時代が幕を開けた

    掲載日: 2022年04月20日 カテゴリ:

    ヨシムラ・モリワキGSX1000を駆り1983年鈴鹿8耐でポールポジションを獲得したG・クロスビー。父親(POP)と娘婿・長女(森脇護・南海子)のコラボレーションは、後にも先にも、この1回だけ。ヨシムラとモリワキは、ファミリーであるけれどもライバルでもある。お互いを尊重しながら独自の道を歩む。

  • 【ヨシムラヒストリー18】2バルブGSから4バルブGSXカタナへ

    掲載日: 2022年02月17日 カテゴリ:

    1982年AMAシリーズ終了後、ヨシムラは地元南カリフォルニアのAFM主催の11月28日ウイロースプリングス、12月10日リバーサイドの2戦に、AMA仕様のGSX1000SZカタナを参戦させた(#34もW・クーリー車そのままだ)。不二雄(中、サングラス)は、ライダーに若手NO.1で地元のF・マーケルを起用(左。この時点で20歳)。F・マーケルはその後アメリカンホンダ入りし、1984~1986年AMAスーパーバイクチャンピオンを獲得(ホンダVF750F・VFR750F)、さらに1988年から始まった世界選手権スーパーバイクで、1988、1989年世界チャンピオン(ホンダRC30)に輝いた。

  • 【ヨシムラヒストリー17】W・クーリー、デイトナ初優勝の陰にあった、ある技術革新

    掲載日: 2021年11月29日 カテゴリ:

    「お前たちを訴えてやる! 覚えておけ!」不二雄は、USカワサキのメカニックに怒鳴っていた。1980年10月5日、AMAスーパーバイク最終戦デイトナ。計10戦の集大成が、こんな不条理な裁定だなんて、絶対に許されない……。

  • 【ヨシムラヒストリー16】鈴鹿8耐2勝目を勝ち取った“決断と強運”

    掲載日: 2021年08月20日 カテゴリ:

    1980年6月、マン島。POPとグレーム・クロスビーは、怒っていた。正確には、POPは主催者%8

  • 【ヨシムラヒストリー15】デイトナ3連覇を救った、秘策のクランクシャフト

    掲載日: 2021年07月08日 カテゴリ:

    1980年デイトナスーパーバイクスタート。ポールポジションは#8F・スペンサー(アメホンCB750F)。#34W・クーリー(ヨシムラGS1000S・ホワイトベースのVetterカラー)、#21E・ローソン(USカワサキKZ1000MKⅡ)、#97R・ピアース(アメホンCB750F)、#302G・ハンスフォード(USカワサキKZ1000MKⅡ)、#31H・クリンツマン(レースクラフターズKZ1000)、#162P・イーガン(モリワキZ1R-Ⅱ)。#316G・クロスビー(ヨシムラGS1000S)はセカンドウェイブだから、この時点ではスタートすら切っていない。

  • 【ヨシムラヒストリー14】デイトナで1-2-3! ピアース、クーリー、エムデで完勝!!!

    掲載日: 2021年04月30日 カテゴリ:

    僅か4戦の1979年シーズンだったが、第1戦デイトナ2位、第2戦ラウドン3位、第3戦シアーズポイント3位、第4戦ラグナセカ2位と、優勝こそ無かったが、全戦表彰台に上がり、W・クーリーは見事AMAスーパーバイクチャンピオンに輝いた。自身初、ヨシムラにとっても初めてのタイトルだった。

  • 【ヨシムラヒストリー13】鈴鹿8耐優勝!に隠れた幾つかのサイドストーリー

    掲載日: 2021年02月04日 カテゴリ:

    POPと不二雄がそのレースの開催の話を聞いたのは、1977年の秋だった。内容は、日本の鈴鹿で8時間耐久レースを行う、世界選手権などではなくインターナショナル格式のノンタイトルレースというものだった。まだスズキからGS1000が届く前だったが、そのパフォーマンスを示すには、絶好の機会になるだろう、と2人は考えた。
    POPは、鈴鹿の耐久レースには特別な思いがあった。忘れもしない1964年MFJ鈴鹿18時間耐久レース。POPは九州・雁ノ巣の仲間たちを率いて優勝。ホンダ社員チームを打ち負かし、ヨシムラの名を日本全国に轟かせたのだった。あのときはホンダCB72/77、今度はGS1000だ。

  • 【ヨシムラヒストリー12】ファミリー総出で勝ち取ったデイトナスーパーバイク初優勝

    掲載日: 2020年08月28日 カテゴリ:

    1977年AMAスーパーバイク第6戦ラグナセカでヨシムラ・スズキGS750/944はデビューウィン。ヨシムラは、その勝利報告広告をCycle News紙(アメリカの週刊バイク新聞)に掲載した。この中には各スポンサーへのお礼やライダーへの賛辞も含まれている。スズキへのそれは“ナイスハンドリングGS750”と表現し、4気筒がパワーだけのものから、トータルバランスの時代へ切り替わったことを強調している。また、全米のヨシムラ正規取り扱い会社の中にAMAでライバルでもあるレースクラフターズ社が入っていて、“仲間で作り、走る”という当時のスーパーバイクレースの良い雰囲気が伝わってくる。

  • 乗って良し、見て良し、使って良し! 人気のスズキKATANA専用パーツがハリケーンから大量リリース

    掲載日: 2020年08月04日 カテゴリ:

    バイク史に燦然と輝く名車GSX S カタナ。そのカタナのDNAを受け継ぐマシンとして誕生したのがスズキKATANAだ。その大注目の人気モデルKATANAを、よりスタイリッシュに、よりスポーティに演出するカスタマイズパーツがハリケーンから登場。ユーザーの”カタナは、こうあって欲しい”という要望を形にしたパーツ達を紹介する。

  • 【ヨシムラヒストリー11】スズキとの出会いと時代を変えたGS750/944

    掲載日: 2020年07月01日 カテゴリ:

    1977年AMAスーパーバイク第6戦ラグナセカでヨシムラ・スズキGS750/944はデビューウィン。ヨシムラは、その勝利報告広告をCycle News紙(アメリカの週刊バイク新聞)に掲載した。この中には各スポンサーへのお礼やライダーへの賛辞も含まれている。スズキへのそれは“ナイスハンドリングGS750”と表現し、4気筒がパワーだけのものから、トータルバランスの時代へ切り替わったことを強調している。また、全米のヨシムラ正規取り扱い会社の中にAMAでライバルでもあるレースクラフターズ社が入っていて、“仲間で作り、走る”という当時のスーパーバイクレースの良い雰囲気が伝わってくる。

  • 【ヨシムラヒストリー10】パワー最高‼️ 暴れる4気筒マシンをねじ伏せ、度胸試し!

    掲載日: 2020年03月23日 カテゴリ:

    1977-78年のカタログ表紙は1977年オンタリオ6時間耐久(カリフォルニア州)を走るW・クーリー(T・マーフィーと組んで優勝)。このZ1はAMAスーパーバイク用ではなく、改造自由なオープンクラスなので4-1集合管を装着。W・クーリーはシーズン最終戦リバーサイド(カリフォルニア州)でZ1を駆り、AMAスーパーバイク自身初優勝を飾った。

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