デイトナのインフィールドを行く#604 辻本。辻本はAMAスーパーバイク仕様GSX-R750を気に入っていた。TT-F1仕様より車重が増えたものの、パワフルなのだ。AMAでは1mmオーバーサイズのピストンが許されているため、φ71×48.7mm、771.25ccと排気量が大きいからだ。対してTT-F1は1%オーバーだからφ70.3×48.7mm、756.12cc(STDはφ70×48.7mm、749.93cc)。

【ヨシムラヒストリー22】1986年デイトナ後編「若き2人の挑戦者たち」

  • 取材協力、写真提供/ヨシムラジャパン、木引繁雄、磯部孝夫
    文/石橋知也
    構成/バイクブロス・マガジンズ
  • English Page >>
  • 掲載日/2022年12月12日

1986 Daytona! part 2

1986年、デイトナ200マイルには奇跡のようにチャンピオンや有望な若手が集結していた。ヨシムラは1985年全日本TT-F1チャンピオンの辻本聡とケビン・シュワンツ。マシンはAMA初見参となる油冷GSX-R750だ。マフラーは、新技術としてアメリカでも公開された“デュプレックスサイクロン”だ。

ヤマハは1984年GP500世界チャンピオンで、1981、1982年AMAスーパーバイクチャンピオンのエディ・ローソンを、この1戦のためだけに参戦させた。AMAのレギュラーは1985年USフォーミュラ1チャンピオンのマイク・ボールドウィンと、ケニー・ロバーツの秘蔵っ子で、1981年ダートトラックのルーキー・オブ・ザ・イヤーのジム・フィリスだ。加えて3月9日のデイトナ200マイルは誕生日(3月20日)前なので出られないのだが、17歳の新人ジョン・コシンスキーにもFZ750を与え、前週に行われたAMA/CCSのレースに参戦させた。とにかくヤマハは、AMA参戦2年目のFZ750を優勝させたいのだ。マシンは前年と違って本社製のファクトリーマシンだ。

ツナギもストップボードも日の丸デザインの#604 辻本。チームスタッフも白のユニフォームで、ある種“高貴な潔さ”を感じる。勝てるマシンGSX-R750を得て、チームにはGS750/1000のときに近い雰囲気があり「2度目のやってやろう!」(ヨシムラR&D渡部末広)と意気込んでいた。

アメリカンホンダにとっても、スズキと同じく最新鋭機のVFR750F(V4第2世代)のデビュー戦だった。1983年AMAスーパーバイクチャンピオンのウェイン・レイニーと、1984、1985年AMAスーパーバイクチャンピオンのフレッド・マーケルという強力な布陣だ。当初はフレディ・スペンサーも加えた3台体制だったが、F・スペンサーが耳の感染症にかかり欠場してしまった(辻本は、F・スペンサー欠場をとても残念がっていた)。

その他にもスコールバンディットスズキ(スズキGB・GSX-R750)から1978、1979年世界GP250&350チャンピオンのコーク・バリントンや、ダートトラックの王者たちが参戦していた。ダートトラック組ではAMAグランドナショナルチャンピオンを1985年に獲ったババ・ショバートがアメリカンホンダから(1年落ちのファクトリーマシンVF750F)、1977、1978年王者の帝王ジェイ・スプリングスティーンと、1982、1984年王者のリッキー・グラハムがスーパーチーム(FZ750)からエントリーしていた。

デイトナでは広いピットロードからスタートする。ポールポジションは#4 E・ローソン。2番手#6 W・レイニー、3番手#34 K・シュワンツ、そして4番手#604 辻本。ダートトラック組は#67 B・ショバート(右端)、#129 J・スプリングスティーン(辻本の後方)。「スプリングスティーンなんか、左コーナーはびっくりするほど速いのに、右コーナーは素人みたいで……おもしろいよね」と辻本は左周りのオーバルトラックの名手たちを評する。

デイトナ200マイルのスターティンググリッドは、独特のシステムで決定される。まず、タイムドプラクティス(計時予選)でトップ5(フロントロー)を固定する。その後、全車を2グループに分け、それぞれ50マイル・15ラップのヒートレース(2レース)を行ない、そのリザルトで6番手以下のスターティンググリッドを決める。200マイル決勝(57ラップ)は、全80台が出走する(予選落ちがある)。

その結果、ポールポジションは現役GP500ライダーの貫禄でE・ローソン(1分56秒228)、2番手W・レイニー(1分56秒423)、3番手K・シュワンツ(1分57秒429)。そして4番手には辻本が見事に1分59秒032をマークして入った。5番手はM・ボールドウィン:1分59秒034で、ここまでが計時予選で決まったフロントローだ。

計時予選も含めてプラクティスでは、非公式にグランドスタンド前18度バンクのフィニッシュラインにスピードトラップ(光電管)を設けて“最高速”を計測した(デイトナの場合、この地点で本当に最高速が出ているとは限らないが)。計時によると1位がW・レイニー(VFR750F):171.42 mph(約275.58km/h)、僅差で2位はE・ローソン(FZ750):170.13mph(約273.74km/h)、3位にK・シュワンツ(GSX-R750):169. 17 mph(約272.19km/h)。この中でフルカウルではないのはE・ローソンのFZ750だけで、彼のスピードの乗せ方や伏せ方が、いかに上手いかが証明されたと言ってもいい結果だった。

パワーではアメリカンホンダのVFR750Fで、西31度バンク、バックストレッチ、東31度バンク(ターン4)から一旦ボトムに降りて少しストレートを走り、グランドスタンド前18度バンクに至る超高速セクションでは、他を圧倒する。それでもE・ローソンはラップタイムで上回るし、最高速でもほとんど一番だ。たとえばインフィールドから西31度バンクへ駆け上がる区間は、フラットなインフィールドから、コンクリート舗装のエプロン(本コース外。本コースはアスファルト舗装)を通り、ガクンと急激に立ち上がる。そこでW・レイニーやK・シュワンツは、フラットな所ではワイドオープンしてパワースライド・大カウンターになり、振られたままバンクに駆け上がっていき、最上段の壁ギリギリのラインに入ろうとする。対してE・ローソンは必要なだけスロットルを開け、スムーズに加速し、バンクへの段差もひょいと腰を浮かせてイナし、段差などなかったかのように滑らかなラインに乗せてバンクへ駆け上がっていく。

「エディのヤツ、伏せないでバンクで抜いていった。バカにしやがって……でも、1人だけスムーズ。同じ所を走っているとは思えないほどね」とは辻本の談。

K・シュワンツはこの1986年シーズンから#34を付けていた。まだ彼らしいリーンアウト気味のライディングフォームとはほど遠く、ただ身体を横に落とすだけ。決勝2位と大健闘だったが、本人は不満。それに終盤は左ハンドルのグリップが抜けそうになるトラブルに見舞われた。3ヵ所をセーフティワイアリングし、回り止めしてあるハズだったが……。(彼はゴール後に、左グリップを抜いて見せた)

50マイルのヒートレースは、ヒート1(59台出走)が1位E・ローソン、2位J・フィリス、3位K・バリントンで、ヒート2(60台出走)が1位W・レイニー、2位F・マーケル、3位辻本となり、決勝進出の80台が決まった。約半数が予選落ちとなったが、200マイルではないけれど、50マイルのレースはできたので予選落ちしても、ある種の満足感はある。この辺がアメリカのレースの良い所で、あくまでエントラントが一番楽しめるようにできている。

「ケビンにデイトナの攻略法を聞いたことがあった。そしたら、あいつ一言、ワイドオープンって」(辻本)

勇気とテクニックが試されるデイトナ。バンクでもインフィールドでも、まずスロットルを開けてから話が始まる。その次にテクニックだ。辻本は、ワイドオープンする勇気は持ち合わせていた。バンクも壁際も怖がらない。パワースライドもできる。もちろんK・シュワンツやW・レイニーもだ。けれども、その上を行くスムーズにマシンを走らせるテクニックを、E・ローソンだけが持っていた。ただ、辻本を含めた若者たちは、勇気と情熱だけは誰にも負けないと自負していて、果敢に世界チャンピオンに挑戦し続けていた。

デイトナのスタートは独特だ。トライオーバルの外周路の、オムスビ型の角をカットするように作られた長く広いピットロードでスタートを行なう。本コースのグランドスタンド前はバンクが付いているため、スタンディングスタートができないためだ(18度もあるため、立っているのがやっと)。それと決勝に出走する80台をファーストウェイブとセカンドウェイブの2組にわけ、時間差でスタートさせる。セカンドウェイブはスタートフラッグが遅れて振られるのだが、彼らは完走が狙いなので問題はない。

そうして第45回デイトナ200がスタートした。ポールポジションからE・ローソンがスムーズにリード。続いてW・レイニー、K・シュワンツが追って行く。辻本は少し遅れた。なぜならAMAのスタートにまだ慣れていなかったからだ。エンジンを始動してからのスタートなのは全日本TT-F1と同じ。全日本に限らず普通は、静止していなければいけないのだが、AMAではリアタイヤがグリッドを決めるラインまでズルズルと進んで良いのだ(静止する必要がない)。普通なら完全にジャンプスタート(フライング)だから、50マイルのヒートレースよりだいぶマシになっていたとはいえ、W・レイニーなどAMAレギュラーからは、かなり遅れてしまった。

E・ローソン、W・レイニー、K・シュワンツがトップ3だ。6ラップが過ぎ、W・レイニーがトップへ踊り出る。が、E・ローソンはタイヤをセーブしながら、相手のペースに合わせる。まるでわざとトップを譲ったかのように、あくまでクールだ。一方K・シュワンツは、この争いを“速過ぎる”と感じていた。このままでは転んでしまう、自分のペースを守ろう……。K・シュワンツは2人から徐々に離れて行った。

ピットインでちょっと時間がかかってしまった#604 辻本。それで2位K・シュワンツから離されてしまった。基本的にデイトナではタイヤ交換はリアのみ。タイヤは前後とも超高速のデイトナスぺシャルで、空気圧も通常2kg/cm²台だが、3kg/cm²ぐらいと異常に高い。当然「石のように硬くてカンタンに滑る」と辻本。なお、GSX-R750は前後17インチ、FZやVFRは前17インチ/後18インチで、いずれもバイアスタイヤだ。

その構図が15ラップ目に突然崩れた。W・レイニーが予定より早くピットインし、リアタイヤの交換を希望したのだ。ただし、ピットではタイヤ交換の用意ができておらず、スロー走行もしたため、約50秒のタイムロスとなってしまった。原因はリアタイヤのチャンクだった(ブリスター=オーバーヒートなどによりトレッドに発生する気泡、そして破裂)。明らかにソフト目のコンパウンドは選択ミスだった。これでトップは労せずしてE・ローソン、少し離れてK・シュワンツ。18ラップが終了してE・ローソンがピットイン、ガスチャージだけ行った。要した時間は13秒だった。同じラップでK・シュワンツもピットイン。

すると、場内実況が叫んだ。
「トップはサトシ・ツジモロだ!」

辻本は、ピットインせずステイアウトしていたから、自動的にトップになったのだが、場内アナウンスは逃さなかった。辻本はすでにラジオ番組や場内実況のインタビューなどにも登場し、カミカゼボーイ「サトシ・ツジモロ(ツジモトと発音できない)」として注目され、人気者になっていたのだ。辻本は20ラップが終了したところでピットインし、トップの座を明け渡した。26ラップ、K・シュワンツはトップのE・ローソンに対して24秒のビハインド。続いて辻本、F・マーケル、M・ボールドウィン。

辻本の挑戦は、33ラップ目のバックストレッチ終わりのシケイン進入で突然終わった。コンロッドボルトが破断したのだ!(正式結果では31ラップ終了で、ヨシムラの計測=32ラップと1ラップ違っている)実は、GSX-R750のキットパーツのコンロッドは、強度の問題があって(コンロッドボルトが伸びるなど)、いくつかのエンジンが潰れていた。これを受けて以後、不二雄はヨシムラGSX-R750のコンロッドをキャリロ(アメリカ製)に換えた。キャリロのコンロッドは、H型断面のニッケルクロモリ製で、非常に強度が高くバランスが良いのが特徴で、ロードレース用、ドラッグレース用、ハイチューンのストリート用(この後でデビューするヨシムラトルネード1200ボンネビルもそうだ)として高い評価を受けていた。

37ラップ、E・ローソンはルーティーンのピットインをして、ガスチャージとリアタイヤを交換(ストラテジー通りだ)。K・シュワンツもガスチャージとリアタイヤ交換をしたが、リアタイヤを交換した際にドライブチェーンが張り過ぎてしまい、これが原因でドライブスプロケットを痛め、終盤には歯飛びを起こすほどになってしまった。なので、とてもE・ローソンを追える状態ではなかった。こうして第45回デイトナ200は優勝E・ローソン、2位K・シュワンツ、3位F・マーケルで決着が付いた。

デイトナ200マイル2位は、本来祝うべきリザルトだ。しかし、K・シュワンツにとってシャンパンはほろ苦かった(彼はお酒が強くなく、ビール1缶で酔っぱらってしまう)。E・ローソンにまったく歯が立たず「ただ走って2位になっただけ」と悔しさと無力感いっぱいのビクトリーレーンだった。

辻本にとっては、リタイアというリザルト以上に悔しくもあり、ハッキリした目標が見えた挑戦だった。K・シュワンツやW・レイニーはライバルではあるが、目標ではない。目指すのはE・ローソンであり、彼の住む世界=GP500だ。辻本に強烈なインパクトを残したE・ローソンが見せつけた走りは明確な目標であって、夢でも何でもない。ここから辻本の走りは大きく変貌していった。不二雄は、辻本の成長や油冷機2年目のパワーアップなど、デイトナ挑戦は期待以上の成果があったと感じていた。

#34 K・シュワンツの2位を祝ってガレージで日本人スタッフ・応援団が記念写真。前列左端から辻本のチーフメカ浅川邦夫、不二雄、油冷機の親・スズキの横内悦夫氏。中央で舌を出しているのが辻本。右隣は辻本担当の竹中治メカ。

ヨシムラジャパン

ヨシムラジャパン

住所/神奈川県愛甲郡愛川町中津6748

営業/9:00-17:00
定休/土曜、日曜、祝日

1954年に活動を開始したヨシムラは、日本を代表するレーシングコンストラクターであると同時に、マフラーやカムシャフトといったチューニングパーツを数多く手がけるアフターマーケットメーカー。ホンダやカワサキに力を注いだ時代を経て、1970年代後半からはスズキ車を主軸にレース活動を行うようになったものの、パーツ開発はメーカーを問わずに行われており、4ストミニからメガスポーツまで、幅広いモデルに対応する製品を販売している。