【Page6】KAWASAKI KZ1000S1

掲載日:2010年04月09日 特集記事カワサキ・ハチマル・空冷Z    

記事提供/2009年8月1日発行 絶版バイクス4

ローソンは1981年には丸タンクのJベースで、1982年にはZ1000RベースのS1で連覇した。 S1はスーパーバイク規則に則りZ1000Rに似たフォルムを持つが、エンジンがツインプラグヘッド、シート以降が一体で外れるテールセクションなど、実はZ1000Rとは全くの別物。底板に燃料ゲージ用の穴がなく、Z1と同じネジタイプの燃料コックが装着されるなど、スチール製の燃料タンクも市販車とは別物。コンプリートマシンとしてだけでなく、エンジンやミッションなどの一部は、キットパーツとして市販されており、市販モデルのZ1000JやRのチューニングに利用された。


AMAスーパーバイクレース連覇のために
純レーサーとして生み出されたカワサキS1

ローソンレプリカ=Z1000Rが市販されたのと同じ1982年、コンプリートレーサーとしてアメリカで発売されたのがKZ1000S1だ。参戦レギュレーションを満たすためにわずか30台ほどが製作された、AMAスーパーバイク必勝モデルだった。

市販車の外観を持ち、改造範囲を制限したマシンで戦うスーパーバイクレース。1976年にAMAのシリーズ戦に昇格したことで人気が盛り上がるとともに、車両販売の拡張を画策するバイクメーカーもこのレースに目を付けた。

エディ・ローソンがカワサキのマシンに乗るようになったのは1980年で、この年はZ1000Mk.Ⅱでシーズン2位を獲得。翌1981年にはベースマシンをZ1000Jにスイッチしてシリーズチャンピオンを獲得。それを記念モデルとして1982年にZ1000Rが発売されたのはよく知られた話である。

そしてこの1982年、もう一台のスペシャルモデル=S1が発売された。これはZ1000Rをべースとしながらスーパーバイクを必ず連覇するために開発されたエボリューションモデルであり、一般市販されたというものの、その内実は完全なワークスレーサーだった。

当時、スーパーバイクレースにエントリーするためには車両の公認を受ける必要があり、車両生産台数が24台以上であることという条件が付帯されていた。要するに、これ以上生産すれば市販モデルのレーサーベースとして認められるわけだ。そこでカワサキでは、ツインプラグヘッド+CDI点火、前後18インチのダイマグホイール+専用ブレーキを標準装備したS1を開発。30台と言われる台数を市販するとともに、その数台をローソン用としてさらにチューニングを施し、1982年シリーズに参戦。狙い通り年間チャンピオンとなり、カワサキに二年連続の栄冠をもたらしたのだ。

 

80年代後半になるとRC30やOW01など、同様のホモロゲーションモデルが登場するが、S1はその考え方を最初に取り入れたマシンの1台といえる。

 

ライムグリーンのベイツ製ツナギは、1982年シーズンに実際にローソンが着用していた1着。レース関係のチャリティオークションでローソン自身が出品したものだという。当時のライディングフォームを見ても分かるように、大柄なZ1000Jを操るにはかなり小柄なライダーであることは、ツナギからも理解できる。

 

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