『バイク乗りの勘所』

レースが教えてくれたこと(その4)

掲載日:2014年11月10日 タメになるショートコラム集バイク乗りの勘所    

Text/Nobuya YOSHIMURA

“レースが教えてくれたこと”というタイトルで延々と続けていると、いつまでたっても他の書きたいことが書けないので、今回を最後にしたい。で、最後だから…というわけではないが、前回までの、レースの現場での“やり方”を肯定的に捉えた内容ではなく、否定的と言うと語弊があるが、反面教師としてのレース…とでも言えそうな話をしたい。レースメカを辞めてから“レーシングマシンは箱入り娘”だと気づいたところから話はスタートする。

“箱入り娘”というのは、つきっきりで世話をしなければならないからだ。典型的なのは、各部のパーツの耐久性だ。タイヤは1レース(決勝のみ)しか持たず、クランクシャフトやシリンダーの耐用は1,000km。試作ピストンには100kmしか持たない物があり、慣らしなしで、勘を頼りに当たりを取り、祈るような気持ちで決勝に臨んだこともある。耐久性は必要最小限で良いと割り切り、高性能化・軽量化や、ギリギリのセッティングを進めていたのである。

予選前と決勝前(1イベントに2回)キャリパーピストンの掃除と給脂をして初めて安心して使えたフローティングディスク。レースごとに新品の消音材を詰め、それでも不安なので、常に2~3セットの予備を用意していたサイレンサー。スタート(加速)練習のときは、決勝用とは別の、中古部品のセットに交換した乾式クラッチ。3シーズンめになるとファクトリーチームでは使わず、メーカー系チームに放出されたマグネシウムホイール、などなど。

こうしたパーツの集大成といえるレーシングマシンを相手に、慎重かつ頻繁な点検と交換をしてきた経験上、見た目のカッコ良さや初期性能の高さを求めて、本来レース用のパーツ(または構造)をストリートバイクに転用することに、誰もが慎重であってほしいと願う。レーシングマシンからのフィードバックというのは、そうした、部品の転用に代表される“形”ではなく、多くの制約の中で、いかに安全性を高めるかという“思想”であるべきだ。

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