ヤマハ FZR250(1986)

掲載日:2016年04月01日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

YAMAHA FZR250(1986)
250cc 4気筒超高回転車の先駆となったFZ250フェーザー。
その後継車、FZR250はレプリカスタイルに転身し他をリードした。

超高回転車がレプリカへ

1985~86年にかけてヤマハはTZR250やセロー225、SRX600/400、FZ750にFZR400、FZ250フェーザー、VMAXなど多くの意欲作やヒット作を連発した。中でも1985年のFZ250フェーザーは量産車として前代未聞、それまでの倍近いレッドゾーン16,000回転という超高回転型4ストエンジンを積む、250ccマルチシリンダー車の先駆となった。

1986年末にはFZ250フェーザーはFZR250にモデルチェンジする。「R」の文字を加えて出力アップやレーシーなアルミフレームの採用など、戦闘力を高めたモデルになったことを表すのが定番化した時代だった。フェーザーでのハーフカウル~タンクカバー一体+変則1灯の未来的デザインと小柄なボディは、FZRではフルカウル+丸目2灯という少し大柄のレーサーレプリカデザインに変更された。このレプリカデザインはクラス初の採用。燃料タンク容量はフェーザーそのまま、乾燥重量も見かけの大型化よりも少なめの+2kg、140kgにとどめた。

エンジンとフレームの基本はフェーザーそのまま。ただ、一歩先にデビューしたTZR250の足まわりと前後17インチを流用し、専用の味付けを施した。これによって乗り味は大きく変わった。フェーザーの、前後16インチ特有の軽さとガシッとした車体が織りなすある種独特のテイストから、FZR250では、路面の影響を受けにくい自然なセルフステアが発生する、オーソドックスなハンドリングへと変化したのだ。

しかもフルブレーキからコーナリングに入って前後サスペンションに掛かる荷重が鮮明に実感できる接地感の素晴らしさは、明らかにフェーザーを超えていた。走る、曲がる、止まるというバイクの基本を考ると、もはや前後16インチの時代ではない、とさえ思わせるほどだった。しかも、高回転になるほど高周波音を交えてパワーが生き生きと盛り上がってくる高揚感はそのままキープされた。

言うなればFZR250は4ストのTZR250、そう言えるものとなっていた。エンジンとフレームをそのままに、ここまで大胆に乗り味の変化やイメージチェンジに成功した事例は今なお、少ないはずだ。

ちなみに、フェーザーを皮切りに他社にも250ccマルチの流れが訪れて、1986年4月のホンダCBR250Fourはカムギアトレーンを採用しレッドゾーン18,000回転に到達。FZR250はと言えば、前記の通り、当初エンジン系に手を入れていなかったが、1988年のモデルチェンジでマフラーに排気デバイスEXUP(エグザップ = Exhaust Ultimate Power Valve。1987年FZR400で初採用)を追加。キャブレターもリセッティングして、アイドル回転時での不安定な回転と細目のトルクを、滑らかな回転とフラットなトルクへと変え、乗りやすさも高めた。

こうした力の入れようで各社の4スト250レプリカは充実化していったが、FZR250ではスポンサーカラー車も目立った。過熱する一方のロードレース界にたくさんのスポンサーが集まり、そのレプリカカラーが施されたのだ。鈴鹿8耐でヤマハをサポートしたネッスル(現ネスレ)の「ネスカフェ・アメリカーナ」カラー(銀×赤/青ストライプ)や同じく資生堂「TECH21」カラー(薄紫)の車両が販売された。

250レプリカは2/4スト問わずに1年ごとにモデルチェンジという過熱ぶりとなり、1989年にはFZR250はFZR250Rへとフルモデルチェンジ。ボア×ストロークや45psの最高出力などエンジンの基本構成はそのままに、最高出力回転数は1500回転高めた16,000回転に。レッドゾーン開始は18,500回転となった。また、アルミデルタボックスフレームも投入され、フロントはダブルディスク化。

さらに1990年には400ccのFZR400RがRRとなるのに合わせてプロジェクターライト化を果たした後、1993年には40ps自主規制に対応、レプリカブームが落ち着く1994年まで生産される。ハイメカブームの象徴的な1台となったのだった。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

FZ250フェーザー(1HX)でスタートした、45度前傾シリンダーによる低重心と高効率なダウンドラフト吸気、スリムなポジションが得られるジェネシスコンセプト思想を継承。これに前後17インチのTZR250系の足まわり、そしてレーシーなスタイルを投入。低速域でもエンジンは扱いやすく、高回転の伸びは天井知らず。角断面スチールチューブフレームで十分にエキサイティングな走りが楽しめた

1986年末に登場のFZR250(2KR)は、1988年にEXUP装備(3HX)、1989年にはデルタボックスフレームやF.A.I.を備えたFZR250R(3LN1)へ。そして1990年にプロジェクターライト化(3LN3)。上のカタログは1993年の40ps仕様(3LN6)。レプリカ度も高まっていた

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