『バイク乗りの勘所』

同じところを何度も走る

掲載日:2014年08月18日 タメになるショートコラム集バイク乗りの勘所    

Text/Nobuya YOSHIMURA

私の地元(京都府南部)のバイク仲間には、ホームコースと称して、休みのたびに、同じ道を飽きもせず、何度も走っている人が多い。京都市内から滋賀県高島市に抜ける鯖街道や、福井県小浜市に向かう周山街道。あるいは京都・奈良の府県境から奈良県宇陀市あたりに通じる広域農道、さらには京都市左京区と京都府南丹市の間にある佐々里峠などが、彼らのホームコースの一例。いずれも、交通量も信号も少ない、郊外あるいは山中の快走路である。

走る目的は人によりさまざまだが、多くの場合、ライディングテクニックを磨くための“攻めた走り”とは異なり、あえて言うなら“気晴らし”のため。ローカルねたで恐縮だが、数々の伝説を生んだ奥比叡ドライブウェイ、嵐山高雄パークウェイ、表六甲ドライブウェイ、鈴鹿スカイラインなどを舞台にした往年の有名ライダーのトレーニングとは異なり、速く走りたいとか上手くなりたいといった、明らかな動機がないのが特徴といえるかもしれない。

ただ、同じところを繰り返し走るという点では共通しており、トレーニングの場合に“さっきよりも今回のほうが、うまくコーナーを立ち上がれた”などと比較するのと同じように、例え気晴らしではあっても“先週よりもエンジンのツキが良い”とか“今回のタイヤのほうが舵角がつきやすい”といったマシンの変化や、先月よりも山の緑が濃いとか、今年は去年よりも桜の開花が少々遅いのではないか、といった季節の移り変わりを実感したりできる。

知らない土地を旅し、能動的で出会いに満ちたロングツーリングの醍醐味は捨てがたい。しかし、それと合わせて、知っている道を繰り返し走り、自分とバイクとそれらを取り巻く環境の(何度も走った道だからこそわかる)微妙な、しかし確実な流転に気づき、味わうのもまた、全身を感覚受容器として周囲の環境に委ねることができるバイク乗りならではの特権である。慣れからくる注意力の低下に留意し、同じ道を繰り返し走ってみようではないか。

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