『バイク乗りの勘所』

見届けることの大切さ

掲載日:2014年04月14日 タメになるショートコラム集バイク乗りの勘所    

Text/Nobuya YOSHIMURA

“…だから年寄りは嫌なんだよ”と言われるのを承知で書く。近ごろ、物の扱いが粗雑な若者が増えているように感じる。粗雑は、乱暴とはちょっと違う。例えば、生卵を落として割ってしまうのが“乱暴”で、落ちるかもしれないところに平気で放置するのが“粗雑”と言えるかもしれない。あるいは、クルマのドアを閉めるとき、思い切り“バンっ”とやるのが“乱暴”で、それと比べると力は弱いが、閉まっていようが半ドアだろうがおかまいなしなのが“粗雑”だろうか。

物を壊す可能性は“乱暴”のほうが高そうだが、トラブルの種をまいているのは“粗雑”のほうだ。もちろん、中には乱暴と粗雑の両方の要素を兼ね備えたツワモノもいる。彼らに粗雑な行動をとらせる要因はさまざまだろうが、多くに共通するのは“無関心”ではなかろうか。上の例では、卵が落ちようが割れようが、ドアがちゃんと閉まっていようが半ドアだろうが、とにかく、自分の行動によって起きる“結果”に関心がないとしか思えない。

こうした人たちに不向きな作業のひとつが、クルマやバイクをはじめとする機械類の整備である。彼らでも、ネジを緩めたり締めたりできるが、緩めたネジを、次に使うまで正しく保管するとか、締めたネジの締まり具合を確認するといったことに無関心だからだ。一見締まっているように見えるネジ類が、俗に言う“仮締め”状態だったり、パーツが裏返しについていたり、軽く動くはずのパーツが動かなかったり…と、枚挙にいとまがない。

無関心な人間に、無関心ではダメだと教えるのは難しく、根気が要る。そこで私は“見届けろ!”と指導している。卵を置いた結果どうなるのか、ドアを閉めた結果どうなるのか、ネジを締めた結果どうなるのか、自分の手を離れる瞬間を、とにかく見届けさせるのだ。よそ見をするな…と言うのではない。ある動作の継続中は、よそ見をしたってかまわない。だが、手を離れる瞬間は、よそ見をせずに見届けるべし。それだけでトラブルは激減する。

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