掲載日:2018年10月22日 フォトTOPICS
取材、写真、文/山下剛
構成/バイクブロス・マガジンズ
モト・グッツィの公式発表によれば、9月7日から9日までの3日間の来場者数は30,000人。タンデムやクルマなどで来場した人もいることを考えれば、バイクの台数はそれよりも少ないことになるが、モト・グッツィ本社前にあるマンデッロ・デル・ラーリオ駅のバス停や駐車場、広場はすべてバイクで埋め尽くされた。
ナンバープレートを見るとほとんどはイタリアだが、イギリスやフランス、ドイツといった国名もちらほら見られる。ドゥカティやBMW、日本メーカーのバイクもいるが少数で、全体の1割程度だ。
モト・グッツィの車種割合としては、現行モデルと旧モデルが半々、やや旧モデルの方が多いかも……といった印象だ。現行モデルではV7シリーズが多く、次いでカリフォルニアシリーズ、V9シリーズだったろうか。
旧モデルではV11シリーズやグリーゾ、1200スポルト、ノルジェ1200といった前世代のモト・グッツィもかなりの数がいたが、それよりもミュージアム級の旧車、1920~50年代の水平単気筒モデル、1970年代のV7シリーズとカリフォルニアがかなり目立っていた。モト・グッツィの歴史を証明するラインナップといえるが、イタリア車で言われがちな「壊れる」という印象とはかけ離れた実態ともいえる。
バス停の柱に貼られた中古グッツィ販売のちらしや、実車に「売ります」と書いた紙を貼っている場面も見られた。旧車イベントならともかく、モデル年式を問わないメーカー主催のイベントで、これほどの数の旧車を見かけることは日本ではあまりない。
また、マンデッロ・デル・ラーリオの商店街には、服屋、靴屋、雑貨屋、携帯電話屋など業種を問わずショーウィンドウに1920~50年代あたりの古いモト・グッツィが展示してある。なかにはレストア中なのか、ホイールやタンクがなくフレームとエンジンだけの車両を飾っている店もある。町の人に聞いたところでは、イベント中だから展示しているのではなく、ずっと昔から飾ってあるものなのだという。
「モト・グッツィはマンデッロ・デル・ラーリオの誇りなんだ」
ミュージアムを見学する必要がないのではないか、とすら思えるほどのモト・グッツィたちは見ていて飽きることがなく、町の誇りであることを肌身で感じられたのだった。
ひとつずつ解説をつけるには膨大なので、撮影した写真の一部を紹介しよう。マンデッロ・デル・ラーリオを埋め尽くしたモト・グッツィたちをじっくりと眺めて、「MOTO GUZZI OPEN HOUSE 2018」の空気を感じてほしい。
ベース車はおそらくルマンIIで、サードパーティ製のフルカウルを装着している。このカスタムはほかにも何台か見かけた。
左からグリーゾ1100、1200スポルト、グリーゾ1100、グリーゾ8V、カリフォルニア1400ツーリング。グリーゾと1200スポルトは残念ながら現在は絶版だ。
カスタムグッツィ3種。左はカリフォルニア(ストーンあたりか)をペイントしただけのようだが、ミリタリーテイストは満点。右手前のカフェレーサーはV35/50あたりがベースだろうか。奥はV75だが、80年代耐久レーサー風の二眼ライトに愛嬌がある。
手前の女性がまたがっているのは1953年発売のジゴロと思しきクラシック・グッツィ。走り去っているのはV11コッパ・イタリア。近所の宿からやってくる人はこういう気軽な服装が多い。
ミリタリーグッツィ5台でやってきたコスプレ集団。こちらはスーペラーチェ(1939年)。数多のモトグッツィの中でもさすがに目立っていて注目を集めていた。
V7 IIをベースとしてV850ルマン(1型)スタイルのビキニカウルを装着したカフェレーサー。イタリアに限らずヨーロッパでは日本とちがって、こうしたカスタムバイクでもタンデムライドを楽しむ傾向が強い。
カルロ・グッツィ自らがデザインしたというガレット。1950年から66年まで生産された。こちらはおそらく後期型で、エンジンは4ストローク192cc単気筒を搭載する。
集まってきたバイクたちを眺めてニヤニヤするのは万国共通だ。本社内に入らずとも駐車場にある1000台以上のモト・グッツィを見ているだけでも楽しい。おそらく日本にいたら一生かかっても見られないほどのモト・グッツィを見ることができた。
初期のモト・グッツィの象徴的エンジンである水平単気筒を復刻させて1970年に発売されたファルコーネ・サハラ。特徴的だった外付けフライホイールを内蔵するなど近代化が図られていた。
商用三輪車のトリアルチェの荷台に友人を乗せて移動中。詳細は不明だがこの三輪車は1920~30年頃に生産されていたもの。このほかにも商用三輪車は4台ほど来ていて、1台は中古車として販売されていた。
カフェレーサーカスタムされたV850ルマン。ブレーキキャリパーから推測すると2型か3型だが詳細不明。着用しているベストに縫い付けられたワッペンの数を見るにつけ、かなりの長きに渡ってモト・グッツィに乗り続けてきたことが伺える。
マンデッロ・デル・ラーリオの町にある携帯電話屋のショーウィンドウ。この町の商店は業種にかかわらずこうしてショーウィンドウにクラシック・モト・グッツィを飾っている。それはつまりプライド(誇り)を飾っていることと同義なのだ。
V7 SPORT直系の後継モデルとなる750 S3。車両のどこにも劣化がなく、かなり丁寧にレストアされたようだ。このモデルからモト・グッツィはリアブレーキを踏むとフロントブレーキの片方とリアブレーキが同時に作動するインテグラルブレーキを装備した。
手前はV50II(1979年)、中央はNTX750ポリス仕様(1989年)。イタリアンバイクは赤というイメージはモト・グッツィだけでなくドゥカティやMVアグスタなども同様だが、ブルーを巧みに配色するのもイタリアらしさでもある。それは服飾でも同じで、ミラノ市内には男女問わずブルーを華麗に着こなす人が多い。
ベース車はおそらく1200スポルトで、かなりの部分に手を加えてカフェレーサーに仕立てている。
ギアボックスからシリンダーヘッドに至るまでのエンジン、ホイールのリムとスポーク、ブレーキレバーまでモト・グッツィ・レッドでペイントしたマシン。ベース車はV7スポルトか。
モト・グッツィ本社前のバス停に貼られていた中古車販売のちらし。売り主はセルジオさんで、写真ではぼかしている部分に電話番号が明記されている。興味がある人はこの半券をちぎり、売り主に電話して交渉するわけだ。ヨーロッパではこういう手法もメジャーだ。
排気量50ccの2ストロークエンジンなどを積んだモペットは、経営難に陥ったモト・グッツィの所有権が国営のSEIMMが移った時代に多く生産された。
おそらくベース車はV35/50系。カフェレーサーをモチーフとしながらさらに個性を強めたカスタムスタイルは注目の的だったが、タンクに手描きされた「REVENGE=復讐」が何を意味するのかはまったくの謎だ。
日本でモト・グッツィといえばルマンやV7スポルトだが、世界的にもっとも売れたのはカリフォルニアシリーズだ。その原型のひとつであるこのV850 GTは、初代カリフォルニアと同一構成を持つ兄弟モデルで、北米ではエルドラドの名で販売された。エルドラドという名称は昨今復活し、欧州や北米ではカリフォルニア系1,400ccエンジンを搭載するクラシカルなクルーザーとして販売されている。
愛車を売却して乗換しませんか?
2つの売却方法から選択可能!