【モトグッツィ海外レポート2】本社に併設された博物館『MOTO GUZZI MUSEO』を訪ねる

掲載日:2018年10月15日 フォトTOPICS    

取材、写真、文/山下剛
構成/バイクブロス・マガジンズ

【モトグッツィ海外レポート2】本社に併設された博物館『MOTO GUZZI MUSEO』を訪ねる

モト・グッツィの歴史と伝統を感じる
150台以上の車両をつぶさに見られる

モト・グッツィ本社には、レーサーや市販車を含む150台以上もの車両が保存される「MOTO GUZZI MUSEO」が併設されている。ここはイベント時以外にも公開されているが、公開時間が15時~16時と短く(7月中のみ14時30分~16時30分)、じっくりと閲覧できない。しかし「MOTO GUZZI OPEN HOUSE 2018」の開催期間中は9時30分から18時(最終日は17時)まで開館されていたため、入場にあたっては常に行列ができるほどだった。また、こちらでも公式クラブ「THE CLAN」会員向けのガイドツアーが開催されていた。

ミュージアム(イタリア語ではMUSEO=ムゼオ)は、モト・グッツィ創始者のひとりであるカルロ・グッツィが創業の2年前に製作した「G.P. 500プロトタイプ」からはじまり、年代順に展示されている。「G.P.」とは、創始者であるカルロ・グッツィとジョルジオ・パローディの略称「グッツィとパローディ」で、当初はこれをメーカー名にする案もあったが、自分のイニシャルそのものでもあることからパローディが反対。設計者であるカルロの姓を用いた「MOTO GUZZI」とした。

1920~1950年代は、モト・グッツィがイタリア国内はもとよりヨーロッパ、そして世界のレースで活躍していた時代で、単気筒を主軸に並列3気筒やV型8気筒エンジンも開発していたのだ。

ミュージアムはうなぎの寝床のように長い建屋の2階と3階にあり、長い廊下をぐるりと巡る作りになっている。2階から3階へ上がる階段のところには、1920年から1970年までの本社工場全景の空撮写真、ロゴマークの変遷、風洞実験施設の模型、カルロ・グッツィの仕事部屋を再現した展示などもある。

では、モト・グッツィの歴史をダイジェストで追いかけていこう。

ムゼオの入場には常に行列ができていた。なぜならムゼオの中はさほど広くなく、制限なしに入場していると身動きもできなくなってしまうからだ。

階段を上がって2階へ行くと「G.P. 500 プロトタイプ」が展示されている。150台以上ある車両のうち、ガラスケースで保管されているのはこの車両だけだ。ガラスケースにはイタリア語と英語で車両解説が書かれている。

ムゼオは教室のない学校のような建物で、細長い廊下が続く空間に車両が展示されている。両側の壁には窓ガラスがあるため直射日光がさしこみ、車両を照らしている。

イタリアンレッドのバイクといえば現代ではドゥカティだが、1920年~1950年代のモト・グッツィはレーサーも市販車も赤ばかりだ。タンクやフレームだけでなく、フォークやホイールまで鮮やかなイタリアンレッドで塗装されている。

レーサーや市販車だけでなく、警察や軍のための車両も多い。製作していたエンジンスペックは記載されているものの用途は明記されていないため不明だが、この車両の側面下部には細長く平たいパーツが取り付けられており、ひょっとすると雪上を走るためのバイクだったのかもしれない。

年代が進むにつれて開発したモデルが増えたこともあって、展示車両はまるで閉店後のバイクショップ店内のように過密になっていく。

今でこそモト・グッツィといえば縦置きクランクの90度V型2気筒エンジンしか製作していないが、かつては多様なレイアウトのエンジンを製作していた。バンク角は90度ではないものの(120度くらい?)、このレーサーはドゥカティのような横置きクランクのV型2気筒エンジンを搭載している。もしも歴史がちょっと違っていたら……と想像してしまう1台だ。

モト・グッツィのロゴマークは鷲だ。これは創始者であるカルロ・グッツィ、ジョルジオ・パローディ、ジョバンニ・ラヴェッリがイタリア空軍で出会い、戦争が終結したら3人でバイクメーカーを作ろうと誓ったことを発端とするからだ。そのためモト・グッツィの初期モデルには「アイローネ(鷺)」、「ファルコーネ(鷹)」、「ガレット(雄のひな鳥)」など鳥の名を冠したものが多い。アルミ製のフルフェアリングを装備したレーサーにくちばしのようなフロントフェンダーを付けているのも、ひょっとすると鳥を模しているのかもしれない。

モト・グッツィレーサーの集大成ともいえるのがこの「オットー・チリンドリ」だ。オットー・チリンドリとはずばり8気筒の意味。MVアグスタの並列4気筒に勝つべく、軽さと小ささを追求して決定されたレイアウトで、排気量498.7cc水冷90度V型8気筒DOHCエンジンは改良を重ねて72ps/12,000rpmを発生しつつも重量は56kgに抑えられていた。しかしGPでは圧勝もしくはリタイヤと苦戦し、1957年にモト・グッツィがレースから完全撤退したことで開発も終了した。

1987年製作の「V35ファルコ」は、排気量346.2cc DOHC 4バルブエンジンを搭載するミドルスポーツだ。エアロフェアリングが流行していた時代を反映した意欲的モデルで、フェアリングから飛び出したシリンダーヘッドがモト・グッツィらしさに溢れている。しかしイタリアの免許制度改正によってミドルクラスの需要が落ち込んだため市販されずじまいだった悲運のバイクなのだ。

レース撤退後、60~70年代にはモペットも多く生産していた。2ストローク50ccエンジンを搭載したものが多く、ミュージアム内だけでなくこれらのモペットに乗ってやってくるグッツィスティも多く、軽快な2stサウンドを鳴らしながら走っていた。

手前の車両は1960年に発売された、その名も「スクーター」で、エンジンは2ストローク160cc。奥の車両は2ストローク50ccエンジンを搭載している。

バイク以外に耕運機や三輪車を生産していた時代もある。1950年代後半になると、日本メーカーの台頭によってヨーロッパ各国のバイクメーカーはどこも経営難に陥り、モト・グッツィも例外ではなかった。1967年から73年までは国営、1973年から2000年まではデ・トマソ、2000年から2004年はアプリリア、そして2004年からはピアッジオが、アプリリアごとモト・グッツィをグループ化して今に至っている。

このあたりまで来ると日本でも馴染みのあるモト・グッツィが増えてくる。エビ軍団とでも呼びたくなるイタリアンレッドのモト・グッツィスポーツ群は、手前からルマン1000(1991年)、タルガ750(1991年)、デイトナRS(1991年)、V10チェンタウロ(1995年)。

2002年のインターモトで発表され、その後市販されたレーサー「MGS-01」。現代のレーサーとしてモト・グッツィのエンジンレイアウトやシャフトドライブは決して優位ではなく、絶対的な速さでは他のスーパースポーツには敵わない。しかしモト・グッツィでしか体現できないスポーツライディングをかたちにしたレーサーだ。日本には3台が輸入されといわれ、当時の価格は365万円。究極に贅沢なモト・グッツィだ。公道仕様の開発も進んでいたが、残念ながら中止となった。

もちろんエンジンそのものの設計は異なるが、モト・グッツィの縦置きV型2気筒エンジンが初めて搭載された車両がこの三輪駆動車だ。イタリア防衛省の要請でアルプス兵部隊用として製造され、垂直の壁も登れたといわれるほどの登坂力を持っていた(このように展示されているのはその証明)。V型2気筒エンジンは、そもそもフィアット500用として開発されたともいわれるが、これについてはフィアットが撤退したため実現に至っていない。その後、縦置きV型2気筒エンジンはイタリア警察用車両として開発が進み、1965年のミラノショーで「V7」として発表された。

カルロ・グッツィの仕事部屋を、調度品もそのままに再現したエリア。机の上にはゲストブックが置かれており、来場者が自由に書き込めるようになっていた。

風洞実験施設の模型。実物は下部のおよそ1/3が地中に埋まっている。走行風をシミュレートするプロペラは電気モーター駆動で、最高出力は300ps。225km/hの走行風を再現することができたという。風洞は吸気口が大きく、排気口を小さくすることで風力を強めている。ちなみにこの装置は実験車両をプロペラの前方に置く設計になっている。つまり空気を吹き出すのではなく「吸う」ことで走行風を生み出すのだ。

モト・グッツィのエンジンはいくつかのプロペラ機にも搭載された実績がある。添えられている写真はモト・グッツィのエンジンを搭載する「ノースロップ・グラマン RQ-5A」(BQM-155A)のもの。63ps/7,800rpmを発生するエンジンは排気量744cc 空冷V型2気筒エンジンで、2基搭載されていたそうだ。

1921年に創業したモト・グッツィは最盛期といわれる1950年代までに拡張と増改築を繰り返してきた。1958年に撮影された写真を見ると、現存している施設のほとんどがすでに建築されている。この写真の左上にある黒い楕円形はテストコースで、開発用途に使われてはいないもののやはり現存している。この写真に写ってないものは現在の車両組立工場棟だけだ。また、反対にテストコース右側にある工場棟の多くはすでに解体され、イベントで「モト・グッツィヴィレッジ」として使われた広場になっている。

ミュージアムの各所にはエンジンのカットモデルが展示されている。年代ごとのエンジンの進化をじっくりと観察できるのだ。

さて、こちらはオマケというか、「裏ムゼオ」とでもいうべき施設で、マンデッロ・デル・ラーリオの町中にあるB&B(ベッド&ブレックファスト=朝食つきの民宿)「L'Antica Officina」だ。なぜB&Bが裏ムゼオなのか?創始者のひとりであるジョルジオ・パローディは資産家の生まれで、バイクメーカーを創業するための資金を父親に出資させようと考えた。父親を説得するには実物を見せるのがもっとも有効と考えたパローディは、カルロ・グッツィにプロトタイプを製作させたのだ。マンデッロ・デル・ラーリオに別荘があったカルロは、友人であるジョルジオ・リパモンティが所有していた工房でプロトタイプを製作し、パローディの父親を説得することに成功したのだ。創業の2年前、1919年のことである。その工房がこのB&Bに現存しており、カルロが使った溶鉱炉や金床、工作機械がそのまま残されているだけでなく、当時の新聞記事や写真なども保管されている。つまりここがモト・グッツィの原点なのだ。

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