モトクロスIA2ライダー 才能を開花させた富田 俊樹

掲載日:2013年10月25日 エクストリームモトクロス    

取材・写真・文/ダートライド編集部  取材協力/T.E.スポーツ

モトクロスIA2ライダー 才能を開花させた富田 俊樹

IA2でランキントップを走る22歳
ケガが続いたシーズンを耐えより真剣さが増した

富田 俊樹選手は1991年生まれの金沢(石川県)出身のライダー。取材の時点で年齢は22歳となる。日本のモトクロスライダーでは平均より少し若いが、若年が多いIA2(国際A級4ストローク250ccクラス)ではそれほど若い、というわけでもない。筆者が富田選手を意識し始めたのはここ2年の事だが、それまでの経歴も含め、雨の予報が出ていた全日本モトクロス選手権第8戦関東大会に足を運び、話しを聞いた。

 

 はじめまして。こんにちは。富田選手とこうしてお話をするのは初めてなのですが、まず金沢出身のモトクロスライダー、というのは珍しく感じるのですが?

富田 俊樹選手(以下、富田)  はい、今全日本モトクロスで前を走っているライダーではぼくだけだと思います。ロケーション的にはまったく恵まれていない場所になります。コースはないし、雨と雪が多い地域になります。

 やはりそうですよね。どういった経緯でモトクロスを始めるようになったのですか?

富田  よくある話しですが、父親がモトクロスをやっていまして(IB/国際B級)、その影響で自分も乗り始めました。5歳の時の話で、その頃の印象だとモトクロスをやっている時の父親はとにかく厳しかったです。

 わかります。今でもそういう親御さんをよく見かけますよね。しかし、その頃から金沢となると、とにかく練習もレースも大変だったのではないですか?

富田  そうなんです。キッズスーパークロスというレースに出場していたのですが、ロケーション的に関東・関西どちらからも均等に遠いので、どちらのコースにも遠征していました。マシンはヤマハのPW50にカワサキKX65と乗り継ぎ、80ccからは今日までずっとホンダに乗っています。その後、2006年にIB2に上がりその年でチャンピオンを獲得し、翌年にはIA2ライダーとなっていました。

 昇格してその年にチャンピオンとは凄いですね。才覚を感じます。しかし、そこから数年ぐらいですか。IAでは正直ほとんどお名前を聞かなかったですが?

富田  はい、IAに上がった途端、とにかく毎年大きなケガをしていて、それが4年間続いたんです。そこからちょうど20歳になったのを境に、ケガから脱する事が出来ました。

 年齢的には切りがいいですが、何かきっかけが?

富田  大きなケガをした時『辞めようと』とも思ったのですが、奮起してもっと真剣になってやるようになったのがちょうどこの時期で、もちろんそれまでも真剣にはやっていはいたのですが、どこか甘さがあったというか、もっと追い込めるところがあったのです。そこを潰す事でケガなくシーズンを走れるようになりました。

 それで、2011年でケガなく走り切る事で本来持っていたポテンシャルを発揮して上位に顔を出すようになったのですね。元々、何事もなく走れば速い、ってのも凄いですけど。

富田  昨年(2012年)は初めて全戦出られたんです。そこで今までの走りと較べて何が違う? と訊かれると、無理をしていたし引くべきシーンで引かずにいっていたのですね。それが、速く走っていてもどこかマージンを取っておく事が出来るようになったのです。

 ふむ。年齢を重ねる事で精神的に成長したという一面もあるのでしょうね。ところで、今年はランキングトップでその流れでモトクロス オブ ネイションズ(モトクロスの国際試合でオリンピックと同等の権威がある)の代表としても選ばれ、ドイツに走りに行かれましたね。結果は残念でしたが(予選落ち)、向こうではどのような印象を持たれましたか?

富田  うーん、とにかくデカいイベントですね。観客も凄く多い。それで、コースも大きいですね。加えて、びっくりするぐらいハイスピードなんです。おまけに、海外のライダーはコーナーの手前で完全にブレーキングを済ませてコーナリング中はしっかりアクセルを開け続けるんですね。だからブレーキングバンプはコーナーの手前には出来ますが、コーナーの途中にはおかしなギャップが出来ないんです。その代わり、とにかくもの凄くアクセルを開けるからワダチ(深い溝)が凄い。もの凄く大きなワダチがあちらこちらに出来ます。日本でもワダチの出来るコースはありますが、海外のそれはスケールがケタ違いで深くて大きいのに加え、もの凄く長いんです。この攻略には相当手を焼きました。

 ぼくもワダチは凄く苦手ですが、サイズが大きいのに加え長いとなると、特殊なテクニックが要求されそうですね。モトクロスである以上、ハイスピードで駆け抜けなければなりませんし。そんな状況の中ここ数年、日本勢は予選落ちを強いられていますが、やはり現場で海外のライダーに揉まれると力の差が広がりつつあるや、なにか焦りのようなものは感じますか?

ドイツ・トイッツェンタール(タルケッセルサーキット)で開催されたモトクロス・オブ・ネイションズ。日本チームは土曜日の予選で通過が出来ず、日曜の朝に行われたBファイナルでも結果が出せず、決勝進出はならなかった。

ドイツ・トイッツェンタール(タルケッセルサーキット)で開催されたモトクロス・オブ・ネイションズ。日本チームは土曜日の予選で通過が出来ず、日曜の朝に行われたBファイナルでも結果が出せず、決勝進出はならなかった。

富田  差が広がり初めている実感は確かにあります。事前にコースを走りこんで慣れればOK、なのではなく、それでは埋められないテクニックのようなものが完全に開いてしまっているんですね。正直、今のままでは如何ともし難いという印象を受けました。

 それは気が重くなる話しですね。そうすると、海外に活動の地を移してスキルアップを図るような夢や展望はお持ちなのでしょうか?

富田  そこ、難しい問題なのですよね。冷静に見れば、日本でトップを走るライダーが例えばAMA(アメリカのモトクロスレース)に参戦しても苦戦してる。つまり、ぼくが行ってもまずそこまでも到達していないので、現実的には難しいと思うんです。もちろん、そうは言ってもチャンスがあれば挑戦したいです。AMAでもFIMでも、どちらでもよいので。

 おっと、お年の割りには落ち着いた考えですね。確かに言われてみればその通りですね。IA2よりもレベルが上のIA1のライダーでも苦労しているのですから、今すぐ何かを、というのは難しそうですね。でも、夢はあると。そういえば、その冷静さもそうですが富田選手はモトクロスでご飯を食べているとか?

日本チームの面々。全日本モトクロス第5戦終了時のランキング上位から選出された。MXOPEN 小方 誠(TEAM HRC)、MX1 小島 庸平(Team SUZUKI)、MX2 富田 俊樹(T.E.スポーツ)、監督 井本 敬介(Team HRC)、団長 東福寺 保雄(T.E.スポーツ)。

日本チームの面々。全日本モトクロス第5戦終了時のランキング上位から選出された。MXOPEN 小方 誠(TEAM HRC)、MX1 小島 庸平(Team SUZUKI)、MX2 富田 俊樹(T.E.スポーツ)、監督 井本 敬介(Team HRC)、団長 東福寺 保雄(T.E.スポーツ)。

富田  いえ厳密に言うと、モトクロス1本で『食べている』わけではありません。実家暮らしで衣食住は両親に甘えていますし、練習のための移動にかかるお金は自前ですが、レースウィークの移動はチームが運転などしてくれて、負担はありません。また、マシンは本番車と練習車で別にあって、レースの度にチーム拠点にマシンを運ぶ必要もないのです。

 なるほど、厳密には『だけで食べている』とは少し異なるのですね。でも、基本的にはモトクロス漬けの毎日なのですよね? それでも生活は難しいと思うのですが、差し支えなければ収入の面での内容を教えていただけますか?

富田  ぼくの場合、まずホンダからマシンを貸与されていて(編注:エンジンは無限)、それらを含め色々テストがあり、それが仕事になっています。それに2009年から所属している今のチーム、T.E.スポーツのスクール講師をやる事で収入があります。他にメインとなるのが、各レースでの優勝賞金とスポンサーフィーです。これらを合わせて、自分の生活を賄う、という内訳になります。

 凄いですね。となると、ゴルフ選手のように勝たないと賞金などは得られないわけですよね。プレッシャーがとんでもなさそうですが……。

富田  プレッシャーについては、そうですね。なくはないです。しかもぼくの場合、例えば練習を重ねればプレッシャーが薄まる、とかいうのはまったくなく、メンタル的にはかなりナーバスになるのかもしれません。ただ、今年のランキング争いもそうですが、気持ちの上で、ぼくは常に『1戦1戦勝つ事』だけを考えて走っています。今年の開幕戦もそうですが、『勝つぞ』という強い気持ちで挑んで、その結果が今の状態という感じです。ランキングというよりかは勝ちに拘っているスタイルなのが、ぼくと言えます。

 なるほど、そうですね。レースである以上、毎回勝つ事が結果的に年間のランキングにも結びつきますし、プロでやっているとなると余計にそうですね。今日のインタビューでは富田選手の気持ちの強さを感じました。それでは最後にダートライドをご覧のみなさまに、何か一言をお願いします。

富田  はい。モトクロスは観る側からすると、激しいレース展開に、横一線のスタートから続くバトルの多さが魅力だと思います。乗っている身としては常に高い緊張感にさらされて、こういった体験はまず日常の生活では味わえないもので、そこが最大の魅力だと思います。ぜひ、会場に足を運んでぼくの走りを見て下さい。また、ここまでやれているのは、応援してくれたり力を貸してくださっている皆さんのお陰です。いつもたいへん感謝しています。ありがとうございます。

 今日はありがとうございました。

 

 

 

土曜日の公式予選は朝から雨が降り続くヘビーマディの中でレースが行われた。難しいコンディションの中、なんと富田選手は膝を負傷してしまい、リタイア。しかし翌日の決勝レースは、シード権を使って出走をなんとか果たした。前夜から降り始めた雨は朝方には止んだが、逆に泥が流れ落ちない深刻なマッドコンディションになり、今年前半の関東大会同様に前走者が巻き上げた泥で正面からでは誰かを判別出来ないほどライダーもバイクも泥で覆われる事になった。しかし、比較的マディを得意とする富田選手はヒート1を見事優勝。午後も路面の回復は見込めず、ヒート2はスタートをうまく決めたもののランキング上位の山本、竹中選手2名の先行を許してしまい、泥で周回遅れをパスするのが難しい中で順位の挽回難しく3位で関東大会を終えた。

 

そして迎えた最終戦、第51回MFJ-GPモトクロス大会(2013年10月19日~20日)では、またもや深い泥のレースとなったが、ライバルのマシントラブルによるリタイアなどもあり、ヒート2で見事年間タイトルを獲得。シーズンを通して安定したリザルトを残した結果で、IA昇格7年目でのうれしい1日となった。来期の動向にも注目したい。

 

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