スズキの名車カタナの戦い

掲載日:2017年04月12日 雑誌掲載記事ピックアップ    

構成/バイクブロス・マガジンズ編集部  画像提供/ロードライダー編集部

1982 SUZUKA 8h #30 三上訓宏/伊藤 巧組

当時のスーパーバイクレース規定に合わせて誕生した
1,000cc版カタナ(GSX1000S)の挑戦と苦難

上の写真は1982年の鈴鹿8時間耐久レースを走る#30 三上訓弘選手/伊藤 巧選手のGSX1000Sだ。エンジン、シャシーともヨシムラ製。前面のゼッケンプレートにはクーリングホールが開いていることがわかる。フロントカウル部分には、ここから取り入れた風をシリンダーヘッドに送る通路が設けられていたため、ヘッドライトは薄型のものがゼッケン上側にマウントされた。

カタナはDOHC4バルブエンジンに質実なシャシーを組み合わせたマシンであり、デビュー当時は、海外メディアのテストで時速237キロを記録して当時の世界最速車になるなど、性能面でも大いに注目を集めていた。その注目に応えるように、当時のスーパーバイクレース規定に合わせた排気量に変更されたレースベースマシンとしてのGSX1000Sが誕生した。カタナは4バルブ化によって前モデルのGS1000Sに比べてパワーが上がってはいたが、一方で、熱対策が追い付かないことが課題となっていた。そのため、海外のトップチームでは熟成の進んだGS1000Sが主流だった。上の写真の#30のヘッドライト位置も、熱対策から導き出された結果なのかもしれない。

結局、この鈴鹿8耐は雨という気象条件も幸いしてか#30は28位完走となる。なお、同じレースを走っていたヨシムラは、1,000ccカタナをベースに150馬力までパワーアップした「テスタロッサ1000R」で6位を獲得した。翌年の1983年の8耐ではヨシムラエンジンにモリワキアルミフレームを組み合わせた「ヨシムラ・モリワキGSX1000」がポールポジションを獲得するが、これが1,000ccカタナが残した唯一の栄誉となった。

1983年GSX1000SD。AMAスーパーバイク(上限1,025cc)/TTF-1(1,000cc)規定に合わせたのがGSX1000S。72→69.4×66mmでの998ccで、キャブを負圧BS34→強制開閉VM34とした以外は1100Sと同じ。1982年のGSX1000SZ、1983年のGSX1000SDと展開後、1984年からのTTF-1/AMA-SBの750cc化で終了した。

ヨシムラ「テスサロッサ1000R」を駆るアルダナ/クーリー組。150馬力まで高められたエンジンパワーにタイヤがついていかず厳しいレースとなったが6位入賞を獲得した。

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