ヤマハ TZR250(1985)

掲載日:2015年02月06日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

YAMAHA TZR250(1985)
レーサーレプリカブームを中押ししたTZR250は名車RZの後継。
走りも作りも革新的だったが、それを支えた思想は「原点復帰」だった。

RZ神話を超えるが目標

’80年代後半のバイク界は、レーサーレプリカ全盛期。その全盛に向けての大きな起爆剤となったのが、ヤマハTZR250(1KT)だ。デビューは1985年の11月。既にスズキRG250Γ(’83年)、ホンダNS250R(’84年)が先行していたが、長年に渡るGPでのワークスマシンYZRや、市販レーサーTZの活躍。これによる高いレースイメージを持つヤマハの2ストモデルこそが、レプリカの本命であるという待望感がそこにはあった。

’80年のRZ250、’83年のRZ250R、’84年のRZ250RR。いずれもTZの市販版兄弟モデルという捉えられ方をしていた。水冷2スト並列2気筒はほぼ同構成、スチールダブルクレードルフレーム、18インチのタイヤも同様。

ただ、バイク界の進化は当時劇的で、レースでもフロントホイール径はより高い旋回性と安定性の両立を求めて18→16→17インチと変遷すると同時にラジアルタイヤが導入される。リヤサスは2→1本になると同時にベストなリンク/レバー比を求めてさまざまな様式が続出し、ショック自体も作動性を向上するべく進化。これに合わせるように、フレームもダブルクレードルの確立後はアルミ化やツインスパー化など、新しいトライが猛烈に進んでいた。

TZ250もその流れで、鋼管ダブルクレードルフレームとカンチレバー式モノクロスサス、前後18インチホイールを’85年型までで終了。’85年後半に発表された’86年型では新たに幅広アルミプレス材によるデルタボックスフレームを新採用、前後17インチ&リンク式モノクロスサスと、構成を一新する。

兄弟機RZシリーズもこの流れで、’85年末にTZR250へと生まれ変わったのだ。並列2気筒エンジンはクランクケースリードバルブになり、フォーク径もφ39mmにアップし、リヤにはリンクサス。フロントブレーキディスクも2枚ではなく、1枚。ただしYZR500と同じφ320mm大径品を使い、制動力を確保。

フレームもTZ譲りのデルタボックスとなるが、アルミ化しただけではない。形状もTZ同様、新しかった。ステアリングヘッドからスイングアームピボットまでを直線的につなぎつつ、エンジンを支えるアンダーループを廃する。フレーム断面積を大きくし剛性を40%アップしながら、単体重量は9.7kgとRZ-RR比40%ものダイエットに成功した。

静岡・袋井のテストコースで開催された当時の専門誌向け試乗会では、押した時点で、かつてないほどの125cc並みと思える軽さと取り回しの良さに驚いた。RZ250RRより乾燥で21kgも軽い126kgの重量だけでなく、ホイールベースも82mmも短縮された。タンクもニーグリップ部がスリム化し、ハンドルまでの距離も短縮。外観こそフルカウルのレーサースタイルだが、実際には前傾姿勢は軽めで、誰でも気軽に乗り出せる760mmの低シート高、低重心でコンパクトな設計を受けていた。

エンジンは自主規制上限の45馬力だが、持てるポテンシャルをフルに引き出せてこそのスポーツモデル。大きく重くなるバランサーを使わず、RZから続くヤマハ独自のオーソゴナル式(ラバー)マウントで軽量&快適性を得る。アンダーループを廃した恩恵でバンク角は51度確保、空力もCd0.268というクラス最小値を達成し、防風性もRRよりアップ。足まわりもホイールで30%、スイングアームで40%軽量化しトラクション能力を40%アップした。

総合ポテンシャルを全方位で求めた結果、乗りやすさが生まれ、RZからの2スト250ccらしい中高回転でのシャープな伸び感に、新たな感動を安心して存分に味わえるという設定だった。ちなみに全国の主要サーキットで、TZRはそれまでの市販車のライバルよりも3~6秒もラップタイムを短縮したというが、外観がレーサーレプリカ風というだけだったら、それはなかった。革新と言えるほどの技術を詰め込み、バランスよく作り込んだからこそだ。

そしてこれを可能としたのは常勝ケニー・ロバーツを支えてきたワークスマシン、YZR500の設計思想だ。ロバーツとホンダのフレディ・スペンサーによる名勝負の’83年WGP。そのヤマハ側の責任者だった阿部輝夫さんが、同シーズン終了直後にTZRの初代開発プロジェクトリーダーに就いていた。阿部さんは「レーサーレプリカではなく、2スト250の原点に立ち返る!」ことを最優先した。勝ち負けの世界ではなく、純粋にピュアな走りを求める狙いから生まれたTZR。だからこそ、多くの人に支持され続けたのだ。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

’86年の世界GP500ではヤマハ・チーム・マールボロの監督にジャコモ・アゴスティーニが就き、平忠彦とエディ・ローソンらが参戦。そのレプリカカラーを施した、TZR250マールボロも販売。下欄でヤマハレーシングギアとして紹介されているウエア類は、平選手も現役時代に使っていたプロショップ高井製

開発初期にYZR500(OW76)のフレーム=デルタボックスタイプの使用を即座に決定。ディメンションはRZ250RRをベースとして、早い時期に基本型が完成。エンジンはV型やタンデム配置なども検討し30基以上の中からショートストロークの並列2気筒を選択したという。RZの後継車なのでRZS250、RZOW、OW250の3つの名前が残りRZS250となりかけたが、TZ250と重なる部分が多いので最後の最後でTZR250に

BikeBooksで雑誌・電子雑誌をチェック!

こちらの記事もおすすめです

この記事に関連するキーワード

新着記事

タグで検索