スズキ RG250Γ(1983)

掲載日:2014年04月04日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

SUZUKI RG250Γ(1983)
’80年代前期のハイテク競争時代に、明確なレーシー路線を展開したスズキの入魂の作。
それが世界初のアルミフレームのRG250ガンマだった。

レプリカ全盛の火付け役

’80年代前期といえばハイテク満載のバイクデビューが続いた時代。中でも今回ご紹介するスズキRG250Γ(以下、ガンマ)は、レーサーレプリカブームのまさに火付け役を果たした記念すべきバイクだ。

デビューするやいなや、誰もがまず驚いたのは、水冷並列2気筒の2ストロークエンジンが生み出す、45馬力という250ccクラス最強の出力数値だった。

初代RZ250が’80年に35馬力でデビューし、2年後には4ストロークのホンダがVT250Fで35馬力という意地を見せたが、その翌年の’83年2月1日にホンダはMVX250Fを40馬力でデビューさせた。ところが奇しくも同じ発売日に43馬力を引っさげてフルチェンジ・デビューを飾ったのがRZ250Rだった。

その約3週間後となる2月20日に45馬力のガンマが登場するという2スト車のデビューラッシュとなり、ファンは俄然色めき立ったのだ。

しかもガンマは、軽量化のために量産車として世界初のアルミ角形パイプフレームを採用して、新しい時代の到来を予感させた。さらにオプション設定ながら、こちらも市販車初のフルカウルを採用したことも話題を集めた。

加えてタコメーターの針が3,000回転から作動する過激ぶり。ロードスポーツ車もセンタースタンド装備が常識だった時代に、サイドスタンドのみという大胆な割りきりも多くのバイクファンに驚きを与えた。

もちろん卓越したブレーキ性能とコーナリング性能を求めてGPシーンで流行中だった前輪16インチホイールとアンチノーズダイブメカ、リンク式リヤサス搭載など、当然のように装備。しかも一流ブランドとしてマニア垂涎の的だったミシュランタイヤを標準セットして、ガンマの高い商品性をアピールしていた。

ちなみに車名のRGはレーサー・オブ・グランプリの略。Γはゲライロ=栄光を意味するギリシャ語の頭文字。ただし、空冷エンジンのRG250の時代はそのように表現していなかったから、ここでいうレーサー・オブ・グランプリの意味は、このガンマのために言い換えた感もある。

ともあれハイスペックで登場したガンマは売れに売れて、当時のライダーのハートを見事に捉えたものだった。しかし、ハイテク指向の勢いはとどまることを知らず、デビュー後わずか1年で、ガンマは新技術を投入して生まれ変わった。

それが’84年2月登場のHB仕様だった。HB(ハー・ベー)はタバコのブランド名。GPのスポンサーカラーであるHBの黄色をそのままガンマに投入。今度は完全なフルカウル仕様にしただけではなく、フレームは新たにアルミの角型にリブを入れて剛性をアップしつつ5%(300g)の軽量化を実現。電子制御コントロールによる加速・燃費特性のキャブレター改善を進めた。価格は49万8,000円と初代ガンマより3万8,000円高い設定だった。

そしてその1カ月後の’84年3月に、スズキ本来のイメージカラーであった白青の標準型が登場。型式は初代RG250EWからRG250EW-2となった。価格はアンダーカウル装備なしの設定で初代ガンマと同じ46万円。

この時期、メーターバイザーという名のカウルがVT250Fから実質的に解禁されただけではなく、さらに前輪軸よりも前にカウルの先端が出てはいけないという規則も変更され、カウルを含む車体デザインの自由度がアップした時代でもあった。ちなみに新規則は、このHBガンマから適用された。

さて、そんなガンマの驚きはハイスペックのメカと装備にとどまらなかった。それは実際にライディングして実感した、無類の走行安定感だった。非常に軽量な車体のはずなのに、直進だけでなくあらゆるバンクのコーナリングにおいても高い剛性感を感じさせたのだ。しかも、一般的な速度域まではステア操作に過敏な反応を示すことはなかった。クイックな操安とは真逆の、当時の16インチホイール車らしい安心感の高い設定だったのが印象的。

エンジンは2ストロークらしく高回転でピークパワーを絞り出す特性ゆえに、レッドゾーン付近を維持するのが難しいドライバビリティとなっていた。しかし、コーナリング中の安定感の高い操縦性設定によって、そのエンジンポテンシャルを引きだしやすいものとしていた。まさに先代モデルの空冷RG250とは隔世の観。それはレーサーレプリカ全盛につながる序章でもあったのだ。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

’82年に2スト・スクエア4気筒のRG500Γで、5勝して世界チャンピオンとなったフランコ・ウンチーニがRG250Γにコメント。引退後も安全性向上などレース界に貢献した人

RG250Γの並列2気筒エンジンはT20以来続くボア・ストロークが54×54mmのスクエアタイプ。ホンダもヤマハも長らく採用した定番構成だ。キャブはフラットスライド式。フルフローター式サスはモトクロッサーRMシリーズにも採用され、ビギニングから中間までしなやかに働くのが特長。アルミフレームはスズキ・ワークスレベルでモトクロッサーに採用した経緯もあるが、角断面採用はガンマが初めてのことだった

前輪16インチ化は、ジャイロマス低減、接地面積増大によるブレーキ効力アップと旋回力アップが狙い。アンチノーズダイブ機構はレースの世界だけではなく当時の流行として多くの市販車に採用された。ミシュランタイヤという海外ブランドの採用は国産車初。馬力当たりの重量2.91kg/psも革新的だ。’70年代後半から躍進著しい4ストのスズキだが、2ストの本家!という意地を、このRG250Γで見せつけたのだ

スズキはロードレース世界GP500ccクラスにおいて’70年代後半から7年連続でメーカーチャンピオンを獲得していた。GPをバックボーンにして、このPG250Γが生まれたことを強くアピール。ちなみにΓとはギリシャ語で栄光を意味するゲライロの頭文字に由来する

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