掲載日:2025年06月18日 フォトTOPICS
取材協力/YouTubeチャンネル「全趣味半端」 取材・写真・文/森下 光紹
Vol.15 大原 信一郎・永瀬 恭太・櫛引 将広・佐野 篤志・森下 光紹
チームの名前は「ロケット団」という。まるで昭和のギャグ漫画に出てきそうなネーミングだが、20年以上続いた真夏の野宿旅で、ある日突然命名された。確か、北海道のオホーツク海沿いに網走へ向かう途中である。そこにエラそうな理由などまるで無い。立ち寄ったキャンプ場でグループ名を書く項目があり、メンバーの一人が「ロケット団」と書いただけだ。
「何だよ、ロケット団って!」
「だって地図も持たずに、ひたすらまっしぐらに走ってばかりの集団だからさ」
傍らに海を見ながら走り続ければ、いつかは日本一周できる。そんな単純な理由で始まった夏旅は、毎年続くリレーツーリングとなって、いつ終わるのかまるで分からない物語を創り始めた。
旅好きなバイク乗りにとって、いつかはやってみたいのが日本一周の旅だろう。バイクに乗り出したきっかけは、誰もがまだ知らない世界を覗いてみたいという衝動であるはずだ。それがスピードへの憧れだったり、あてのない長旅への郷愁だったりと人それぞれだとは思うけど、どんなライダーでも、ツーリングが好きなら、きっとさらに遠くへ足を伸ばしたいという願望は大きいと思う。
日本一周は、随分長い休暇やそれにかかる費用も膨大。なかなか誰でもできるものではないという考え方が一般的だが、それを解決する方法があったのだ。それが……リレーツーリング。
東京でバイクショップを営んでいた大原 信一郎さんは、毎年お盆休みの数日を使って、徐々に距離を伸ばしていくと言う方法で日本一周を思いついた。今年の到達地点はまた来年の出発地点。どこまで行けるかは分からないから、基本的に宿は決めない野宿旅。そんなことを思いついて20年以上の旅を続けた。筆者の僕は、4年目だった青森スタートの旅から参加して、その旅模様を「ホットバイクジャパン」というハーレー専門誌に寄稿。その長い長い夏旅を、写真と文章で記録し続けた。
そんな旅が2年前に止まった。大将の大原さんがガンに侵されて、亡くなってしまったのだ。亡くなる数年前からバイクに乗れなくなり、僕らは大原さんをイラストに描いて、行ったことのないエリアまで連れて行ったが、コロナ禍でそんな旅そのものも中断、そして大将の昇天という流れとなってしまった。
僕が長年書き続けた旅のタイトルは「大原信一郎の日本一周」しかし、ほぼ日本一周を遂げても止めない夏旅となったことで「大原信一郎の止まってたまるか!」と名前を変えた。九州は10年目の旅で足を踏み込んでいるのだが、その時は大隅半島の佐多岬を目指したことで、薩摩半島を残したままだったのだ。
その後、大原さんに「薩摩半島に行かないとねぇ」と何度も言い続けてきたが、ついに実現しないまま大将はこの世に見切りをつけてあの世の人。だから僕は魂だけでも連れて行こうと、この春計画したのだ。
最初は一人で行こうと思ったのだが、ロケット団のメンバーで、大原さんとの付き合いが長いメンツに声をかけると二つ返事。旅の出発は真夏ではなく、5月のゴールデンウィーク中となった。
永瀬 恭太(通称チロル)は、最も大原さんとの旅を長く共にしたメンバーだが、当時唯一九州だけ、来られなかったという過去を持つ。本来都会っ子で野宿なんて出来っこないイメージなのだが、飄々と長旅をこなすセンスも持ち合わす。カッコ良くワイルドなイメージとかまるで興味がないくせに、過酷な環境下でもしっかりバイクを前に進める隠れた度胸の持ち主だ。動物や子どもが大好きで、旅の途中のどんな時でも、遊び相手をすぐに見つけ出す。そしてその土地の人に溶け込んで、いかなる場所でも身勝手な野宿を許されてしまうという不思議な才能を発揮する。大原さんもその点では同じで、この二人が揃うと日本中のどこでも野宿が可能だった。
櫛引 将広(通称クッシー、または麻呂)は、夏旅の前半が終了する頃から参加を開始し、その後は全部の旅を共にしてきたメンバーだ。自身もバイク乗りになる前から旅好きで、北海道を釣りで周り続けたという過去もある。基本的に穏やかな人柄だが、頑固な一面もあって、大将とは時に大喧嘩を巻き起こしたりするものの、人情が上回って時が経つとと水に流す性分。「麻呂」というニックネームは、何だかその所作に優しい品があって、当時参加していた女性ライダーに名付けられた。普段から古いハーレーをとことん使い倒す、根っからのバイカーである。
佐野 篤志(通称佐野くん)は、大原さん存命中の夏旅には一回参加しただけのメンバーだが、その時の長旅はほとんどの行程が大雨という過酷なものだった。東北を出発して太平洋側をひたすら南下する旅で得られたものは、彼のライフスタイルに大きな変化をもたらしたのかも知れない。ロケット団の長旅は、どれほど過酷でシビアでも、毎日大笑いしながら過ぎていく。びしょ濡れになっても、宿をとろうという意見はまるで出ない。バカやってるんだから、放っておけ! と全員の背中に書いてあるのだ。そんな強烈な旅を共にしたメンバーであり、大原さんが亡くなった後、彼は愛犬を引き取って共に暮らし始めた。今回は自身のYouTubeチャンネル「全趣味半端」の動画も撮影して、この九州旅を進めた。
森下 光紹(通称モリヤン)は、基本的にはソロでの長旅を好むポンコツ愛好家。だからといって一人でいるのが好きというわけではなく、人を観察しながら出会いを楽しむのが好きなのだ。ロケット団に加わるのは、彼らのことが大好きで、その旅の途中で出会う人々も大好きだから、自分のライフワークになってしまったのだろう。どこに行くのもバイクじゃないと気がすまないから、もう自分の人生で地球から月を往復するほどバイクに乗っているに違いない。大原さんとの付き合いも長く、チロルいわく「次に昇天するのはモリヤンだから、今のうちに動画とか撮っておいたほうがいいと思うよ」……だとさ。
さて、前置きが長くなったが、スペシャルなので許してね。実はこのコーナーで、今回の旅の模様を長々と書くつもりは無いのだよ。簡単な行程は、フェリーで大阪南港から新門司港に渡り、そこから阿蘇を目指してキャンプした後に九州道を南下、鹿児島を経て薩摩半島の最南端である開聞岳を目指したというもの。旅の様子は、佐野くんのYouTubeチャンネル「全趣味半端」で、その全容が動画にて楽しめる。
15年前、大原さんがいた夏旅での九州は、福岡から長崎に向かい、港で野宿した後、天草から熊本、鹿児島へと南下、桜島経由で大隅半島に出て最南端の佐多岬がゴールだった。その後は宮崎の海岸線を北上して、僕以外のメンバーはフェリーで関東に帰るという旅だったので、阿蘇の周辺や薩摩半島には足を踏み入れていなかったのだ。
というわけで、大原さんの遺影を荷物に括り付けた状態で、由布院から阿蘇へ向かうやまなみハイウェイを飛ばす。そして阿蘇山頂の噴火口にも立ち寄って、さらに南下して行った。
「大原さーん、これが阿蘇だよ。この下が噴火口だってよー」
無邪気なチロルは、休憩のたびに大将の遺影を持ち出して記念写真を撮っていく。メンバー全員が自分自身の旅を思い切り楽しみながら、「寒い」だ「ケツがイテー」だのと文句を言いながら進む。
キャンプサイトでは、その日の出来事を思い返しながら、「大原さんだったら、どうしただろうね」と話に花を咲かした。それが一番大将の供養になる。皆いつまでも大将を思い出して、語っていたいのだ。
その翌日には目的地の開聞岳をバックに記念写真を撮った。これで、大原信一郎の日本一周も、止まってたまるか!も、コンプリートである。
「バカやろう! そんなことはどうでもいいから、どんどん走れ!」
「俺を止めるなよ。止めないでよ! グワハッハッハ!!」
大原さんの口癖が全員の頭の中で蘇る。目的地など実はどこでも良いのが大原流の旅学だった。とにかく前に進んで、その日の出来事をとことん楽しむ。大将の生き方は、旅に出ない普段からも、まったく同じスタイルだった。わがままで、お人好しで世話好きで、怒りっぽく、家族想いで愛妻家。言い出したらとことん頑固なくせに気弱な部分も隠さない。何よりバイクが好きだった。無計画な旅が大好きだった。そしてすべての人間や動物、機械も全部愛していた人。それが大原 信一郎という人なのだ。20年以上撮り続けた写真の中に、僕との2ショットはたったの一枚だけだが、何とも言えない微笑ましい瞬間がそこにはある。大将の人柄はしっかり現れていることを、この旅でも思い出していた。
開聞岳を後にして、その先は海岸線を左手に見ながら進んで行った。枕崎市からR270で北上してから僕は水俣の手前で他のメンバーと別れてソロで走るつもりだったのだが、枕崎市で右折のポイントを見過ごした。「まぁいいや、そのうち右に曲がれば良いだけでしょ」と気安く構えていたら、どんどん小さな半島の奥へ奥へと連れて行かれてしまい、最後にはそこがどこなのか分からなくなった。
「あ、俺、ナビありますから先導しますよ」と佐野くんが助け舟を出す。彼は随分前から、僕がミスコースしていることに気づいていたはずなのだが、「それもこの旅の面白さ」と思ってついてきたに違いない。さすがにしびれが切れて、助け舟を出してくれたのだが、全員同じことを考えていた。
「これ、大原さんに連れてこられちゃったね。こういうのが大原ツーリングだろ! ってね」
「大将、地図もほとんど見ないもんな。道が続けばひたすらまっすぐ行くからね」
「今頃、お前ら、ざまぁみろ! グワハッハッハ! て笑ってるよ。いたずら大好きだからさ」
小さな峠で途方に暮れながら地図とにらめっこしていたら、道の角にある家の2階から突然おじさんが顔を出して「ほう、ツーリングかい。楽しそうだねぇ。左に行けば海岸だよ、頑張って走りなよ」と、笑顔で声をかけられた。
「止まってたまるかよ!」
大原さん、大将は居なくなっても、どうやらまだまだ旅は続いて行きそうだよ。
愛車を売却して乗換しませんか?
2つの売却方法から選択可能!