スズキ | SUZUKI RG50ガンマ | RG50Γ
1982年に登場したRG50ガンマは、幾たびかの仕様変更を受けながら、1995年まで生産された原付1種スポーツモデルだった。「ガンマ」という名称は、スズキの2ストレプリカを象徴するネーミングだが、RG250ガンマは1983年、RG500/400ガンマは1985年の登場なので、50ccモデルが一足先に市販モデルとして使っていたことになる。搭載していたエンジンは、排気量49ccの水冷2スト単気筒で、ミッションは6段変速だった。先に発売されていたRG50E(及びその廉価版のRG50T)が空冷で5速だったのから大きく進化していた。原付1種とはいえ、2スト時代のWGP(MotoGPの前身)を席捲していたスズキのスポーツモデルらしい高性能が特徴だったが、1984年モデルでは、原付1種の最高速度制限規制に合わせて、マフラーの膨張室形状を変更することで、トルク型のエンジンになった(最高出力は変更ないが、発生回転数が下がった)。1988年には、フルカウル仕様が追加され、1989年末には、カウルレス仕様のウルフ50(別項)が登場した。1990年には、登場以来のハーフカウル仕様がなくなり、フルカウルのみになり、ホイールサイズは(ウルフ50同様の)前後17インチになった。最終仕様の1995年モデルでは、バックミラーが左右両方に装備されるようになった。90年代半ば、原付1種スポーツではレトロタイプの人気が高まっており、RG50ガンマと交代するかのように、スズキからは、コレダスポーツ50とスクランブラー50が発売された(1996年)。
RG50Γ
2022年04月27日
16グー!
ガンマ50 走れるようにはなりましたがスピードメーターケーブルとタコメーターケーブルがありません。
既にメーカーでは終売のよう。
タコメーターは長さは違えどガンマ250と同じ形状ですが、スピードメーターは多車種とも互換性が無いっぽい。
なんとなく、ヤマハのJOG用が使えそうと思いきやメーター側は同じでもホイール側のギアとサイズが違いケーブル側が大きくて締め込めず使えない。
これはオクで使えるのが出るまで待つしか無いかと思っていたところ、ネジ穴補修キットなる存在を知った。
隙間に薄い金属板が潰れて挟まることでネジが閉まるようだ。
これ使えばサイズ違いでもいける?
早速Amazonで購入して使ったところ無事固定できました。
外しちゃうとやり直しなのでケーブル切れるまではメーター側しか外さないで使えば大丈夫そうです。
タコメーターケーブルは流用したけど長すぎるから考えないといけないな。
RG50Γ
2022年01月14日
33グー!
ひとまず乗れるレベルに組めました。
完璧な寄せ集めのキメラマシンw
寄せ集めの割には見れるレベル?
ベースがRG50ガンマ
ヘッドライトがウルフ50
タンクがマグナ50
シートが中華製
テールランプがマグナ50
キャブレターがDT50
今の形はとりあえず乗れるようにした程度、サイドカバーもアルミで作るつもり、最終的には朽ちている純正外装を徐々に再生します。
今回マグナ50のタンクを使ったのは家にあったこともあるけれど、ガンマ50はガソリンタンクにオイルタンクが突き出る形なので普通のタンクはつきませんが、マグナ50のタンクはその部分がメーターがつくためえぐれていてちょうどよくハマったためです。
とは言え結構加工してますけどね。
RG50Γ
2021年10月19日
18グー!
今も元気に現役中の80'sミッション車
・MBX50
・RZ50
・RG50Γ
すべてフルノーマルでメーターの造りがいかにも80年代を物語る
共通は中央部にアナログ水温計が配置
ヤッコダコカウルのガンマは規制後の84年式
スズキ伝統のアルミ角形ダブルクレードルフレーム、フルフロータサス、3本キャストホイールも37年間全く変えずにオリジナル当時のまま残している
ガンマは速いよぉ〜〜!!!笑
ガンマがNA11A、RZが5R2、MBXがAC03
#懐かしい80年代名車達
#未だ元気に現役
#車齢30年以上前
2021年07月18日
39グー!
俺にとってウィリーは、お馬さんが前足を上げて嘶くイメージ。
全然うまくはないけれど、この頃から自分を鼓舞したくて練習してた。
そしてヒザ擦りは小学生でK・ロバーツ、中高で汚れた英雄、バリバリマシンの影響。
しかし実際にバリマシトレーナーをいただいたのは「お笑いダー」のコーナーだった。
仲間には「そんな事したらバイク可哀想じゃん」とかよく言われた。
けど、違うのよ!俺はバイクに「乗りたい」のよ!
乗らされてるんじゃなくて乗ってあげたいのー。
そう言えば「なぜそんな事をする?」ってセリフが出てくるマンガがあった。
俺の答えは楽しいから?面白いから?いや、嬉しいから!が一番しっくりくるかな。
※このニュアンスわかる方、コーヒーおごります!!
当時のバイクに乗る時の一張羅。
VANの赤いスイングトップにリーバイスのスリム、コンバースの赤いハイカット。
気分は某マンガの主人公。今で言うコスプレのハシリか?
誰しも憧れや目標があって、そこに近付きたくて努力する。
…高い低いはあるけれど(笑)
#GSX1100S
#RG50Γ
#ウィリー
#ハングオン
#バリバリマシン
#キリン
#あいつとララバイ
#VAN
#リーバイス
#コンバース
RG50Γ
2021年07月17日
31グー!
1988年8月23日 17歳
原付で日本最北端を目指した若(バカ)者4名
夏はツーリングでしょ!ツーリングなら北海道でしょ!と若さ特有のノリで決行。
夏休み初日からバイトで資金を貯め、ラスト1週間で襟裳岬から宗谷岬まで縦断。
今考えるとGPSもネットも、スマホなんてない時代。17歳の原付小僧達には大冒険だった。
Aくん RG50Γ、Mくん MTX50、Hくん DJ-1。
Hくんはガス欠に備えポリタンをステップボードに(笑)当時はゆるかったな~。
そして思う。
50でも1100でもバイクは翼とはよく言ったものだ。
#日本最北端
#襟裳岬
#宗谷岬
RG50Γ
2021年07月14日
41グー!
先日ふとしたきっかけでこのモトクルに登録してみた。
で、これもいい機会。今年50にもなったし、少しだけ自分の二輪人生を振り返ってみようと思った。
時は80年代半ば、バイクブーム真っ只中。
西部警察の刀にヤられたガキは、タミヤの刀をいくつも作りながら雑誌バリバリマシンが愛読書の16歳になった。
でも、お金はなく校則で免許は原付のみ取得可。
だったら50cc、7.2馬力を乗りこなしてやる!乗りこなしてからステップアップしてやる!
なんてアホな勘違いをしながら、松本恵二レプリカを買った勢いでタミヤカラーでキャビンカラーに自家塗装。
ツーリングや峠道とバイク生活を楽しんでいた遠い記憶。