スズキ RG250Γ(1984)

掲載日:2014年11月07日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

SUZUKI RG250Γ(1984)
最強45馬力とクラス最軽量の車体を引っ提げて’83年に登場したRG250Γは、
翌’84年の2型で大幅改善。ライバルへのリードを広げにかかった。

使える45馬力に進化!

’83年初頭に発売されたホンダMVX250FとヤマハRZ250Rが加速させた2スト250ccスポーツ路線。スズキはこの両車からほんのわずか後、2月になってRG250Γを投入するが、Γはそんな登場の遅さを一気に覆す1台だった。

最大出力はMVXの40、RZ-Rの43を上回るクラス最強の45ps。フレームは量産車世界初のアルミダブルクレードル。そして、WGPレーサーRGΓ譲りのフルカウル(アンダーカウルはオプション)。スポーツを超えたGPレプリカ路線を全身でアピールし、大人気となった。だがスズキはそれに甘えず、翌’84年にはΓを2型にと進化させる。

その登場も少し独特だった。初代Γ発売から1年後となる’84年の2月に、黄色と白のボディカラー、赤いシートを持ったRG250ΓHBが市販される。HB(ハーべー)は西ドイツ(当時)のタバコメーカーで、’83年のスズキのWGP500ファクトリーチーム(#1フランコ・ウンチーニ、#6ランディ・マモラ)と世界耐久チームをスポンサードしていた。レプリカ映えするそのカラーが、メーカーから提供される。

それだけでも大きな話題となったが、このHB仕様Γは、内容も進化していたのだ。フロントカウルはスラントしエッジが効かされ、テールカウルやシート、前後ライト、ウインカーもそれぞれ形状を変えた。フレームとスイングアームは、1型のAL-BOXからMR-ALBOXへ。これは構成材(MR787とスズキは呼んだが、一般には7000番台アルミ)を単純な角断面から四隅にリブを設けたパイプに変更、より高い強度と剛性を確保しつつ、約5%軽量化。ライバル勢より4~6kg軽いフレーム単体7.3kgを実現。車重では1型比で4kg軽量化し、パワーウェイトレシオは2.82kg/psという驚異的なデータに至った。

ほかにブレーキ系も強化。フロントキャリパーを対向2→4ピストンにし、左右で計8個、さらにリアの対向2ピストンを加えて10個(デカ)のピストンで3枚のディスクを締め上げて強力に制動するという“デカ・ピストン・ブレーキシステム”を謳い、ハイメカの象徴として据えた。またフロントディスクも小径化し、効率を上げ重量を抑える。

タイヤも、引き続きミシュランを採用。1型のA55の改良型だった。ミシュランは’83年からWGP500に参戦、2輪用ラジアルタイヤのパイオニア=高性能というイメージを市場に植え付けていたから、標準装備というだけで圧倒的な説得力があった。サイズもフロント16インチ(100/90-16・110/80-18)と、当時のWGP譲りだった。

これら車体系の変更がよく知られているが、じつは並列2気筒・パワーリードバルブの動力系もいくつかの変更を受けていた。補機類によるものだが、まずラジエーター容量を15%アップし燃焼に最適な温度管理ができるように改善。また吸気系にはEACS(エレクトリック・エア・コントロール・システム)を新採用。これはCDIに接続され、エンジン回転数を検知することでキャブに備えたソレノイドバルブを開閉して混合気を常に最適混合比で供給するもの。レスポンスアップや低中回転域での加速と乗り心地向上、高地での加速性能向上、燃費性能も高めた。

1型では45馬力という大パワー、乾燥128(装備141)kgという軽量性に驚かされた。だが、低回転域でのレスポンスとトルク、高回転域の急激なパワーの立ち上がりとピーク回転時は扱いにくい面もあった。コーナリング時のエンジン回転維持も容易とは言い難かった。

だが、これらの改良を受けた2型では全域でパワーフィールが大幅に改善され、市街地からワインディング、さらにはサーキットでの乗りやすさが際立ってきた。深いバンク時に1速のままで乗り切るか、2速に上げるかと迷いそうな時も、リラックスして走りに集中できるようになった。ブレーキタッチもカチッとなり、レバーを握り込んだ分だけきっちり減速するようになった。

ここまでの変更は、HBカラーの約1ヵ月後に発売された青×白のスズキカラー版も同様に受けていた。ただ惜しむらくは、この年、’84年のスズキのWGPワークス活動休止かもしれない。これがなければ、2型ΓはHBカラー以外、内容でもっと評価されたのではとも思える。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

RG250Γの元となったRGの名称は、空冷のRG250Eから引き継いだ。その元はWGPレーサーRGA/RGB/RGΓで、RGはレーサー・オブ・グランプリの略。250Γにも受け継がれたボア・ストローク54×54mmはスズキが1960年マン島TTレース参戦のRT60や2気筒スポーツのT20、3気筒GT380などに使った信頼のボア・スト比に由来する。カタログには、ほかにも本文で解説した各変更点が細かく記されている

1984年3月発売の通常版2型より約1ヵ月先行して販売、という特異なデビューを飾ったのが2型・HB仕様。ベース色は黄×白、HBロゴの赤はシートに反映させるというカラーだった。スズキは’76~’82年のWGP500でメーカータイトルを7年連続で獲得、’83年は’82年チャンピオンのフランコ・ウンチーニが#1とHBカラーで走った。なおアンダーカウルは1型同様にオプション扱いだった

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