ヤマハ XT400(1982)

掲載日:2014年06月06日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

YAMAHA XT400(1982)
技術的激変の’80年代前期、オフロード車の分野でも各社は独自性を競った。
ヤマハの国内向けビッグ・オフ、XT400はその先兵だった。

フィールド無限の自在旅

1980年代前期のオフロードのジャンルは、オンロード車と同じく、エンジンと足まわりが著しく進化した時代だった。4ストではエンジンの4バルブ化と水冷化、2ストなら排気デバイスの追加と、同じ水冷化、両者共通でリヤ足まわりはモノサス化がお約束だった。

今回ご紹介するXT400は’82年4月に登場。当時すら、あまり見かけることのなかったレアな存在だったが、乗りやすさではクラストップレベルのまとまりを見せていた。

そしてXT400のルーツを遡れば、それはヤマハ初の4スト・ビッグオフで、第1回パリダカールラリーの覇車、’76年発売の初代XT500に行き当たる。強烈なスタートダッシュが特徴のバイクだった。そして当時、日本ではあまり知られることもなかったのだが、輸出専用車のXT400もあった。これはXT500のストロークダウンモデルであり、排気量以外の外観と装備はほぼそのままXT500。簡単に言えば、SR500と400の関係に相当するオフモデルだった。

’82年には初代XT500の後継機種としてXT550が登場。フレーム内にオイルを貯蔵するドライサンプ式潤滑システムはXT500から継承するものの、デザインを筆頭にその他は完全一新していた。

ビッグシングルエンジンで問題になるのが振動だが、XT550ではバランサーを内蔵。快適性向上と車体軽量化の両立に役立つアイテムとして、そのバランサーの普及もこの頃から大幅に進んだ。ちなみにXT500からXT550へは、排気量、馬力・トルクだけではなく軸距や車体サイズまでアップしながら、車重は9キロ減量している。

始動性やヘッドライト明度向上のために、電装を6V・マグネット点火から12V・CDI点火へ。ヘッドまわりはSOHCを継承したが4バルブとし、吸気系にはデュアルキャブを搭載して全域で理想的な吸気を確保するYDIS(ヤマハ・デュオ・インテーク・システム)も採用した。ちなみにホンダもこの時代、2連キャブを使ったが、ヤマハは性格の異なるキャブを併用。アマルタイプ強制開閉式で低中速回転域をスムーズ化し、SU負圧式のセカンダリーで高速回転側の伸びをカバーするものだ。吸気ポート径を細目にしつつオフセット配置して、吸入流速を上げながらスワール状に混合気を送り込む技術も投入した。

YDIS採用で、低回転域での扱いやすさ、中高回転の伸びとパンチはさらに磨きがかかり、いわゆるドライバビリティ向上=実質的な扱いやすさアップで、誰もがXT500以上のペースで走れるようになった。

そしてその始動にコツと脚力が不可欠だったXT500だが、XT550ではオートマチック・デコンプのキック始動として始動性を改良。

足まわりは、当時のヤマハはロードスポーツのXS400/250、XZ550/400、アメリカンのXV750/400スペシャルほか、市販ロードレーサーTZ500/250などにもカンチレバー式モノクロスサスを採用していたが、このXT550も例外ではない。モトクロッサーYZ系はすでに他社と同じくリンク式リヤサスを採用していたが、一般市販車にはカンチレバー式で十分、という判断をしていたようだ。

さて、こうした背景を持つXT550の国内向けモデルがXT400だ。カタログのヘッドコピーでは「スーパーエンデューロ」のほかに「旅」という文字を取り込んでいる。250ccのオフ車よりも快適に高速道路使用を含めたロングランをこなし、旅先で突如出合う未舗装路でも安心して走れる、というメッセージ。

カタログの表紙は、荒涼とした大地をひとり坦々と突き進む男のバイクというイメージ。ちなみにこのエンジンは、’85年登場のビッグヒットモデル・SRX400の心臓となった。一方、ベースモデルだったXT550は、エンジンをボアアップしてXT600、その競技車TT600へ。さらにXT600Zテネレへと発展していった。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

バランサー装備の新エンジンは550と400を当初から設定。以降、同じオフのXT600やXT600Zテネレだけでなく、SRX400/600のエンジンとしても活躍。XT500の刺激的なパワーは影を潜めたが、全域でスムーズなパワーデリバリーで、ハイトラクション&低疲労な走りを約束。リヤのカンチレバーサスと片ハブ式フロントドラムブレーキはその後、姿を消した。技術革新の過渡期に位置するバイクだった

1982年2月に印刷された、フランス向けカタログからXT550を紹介。図はヘッド上部から見て上側がプライマリーのアマル型強制開閉キャブ、下が負圧式SUキャブで全域をカバーしていた。フロントディスクブレーキ導入直前の時代だった

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