『バイク乗りの勘所』

他人任せの安全は危険のはじまり

掲載日:2011年10月24日 タメになるショートコラム集バイク乗りの勘所    

Text/Nobuya YOSHIMURA

全国各地で頻繁に “集団登校の児童の列にクルマが突っ込んで死傷者が出る” といったたぐいの事故が起きている。この場合、過失割合は100対0(%)。つまり、被害者にはまったく過失はない。だが、過失がなかったからといって、被害者側に事故を避けるすべがなかったとは思えない。“集団登校” と聞いて連想するのは、通学路の要所要所に保護者やボランティアの高齢者が立ち、児童を誘導したりクルマを制止したりしている光景だ。

その、極めて日本的な光景を目にしていると、それが果たして安全なのだろうかという疑問が沸いてくる。彼らに誘導されて横断歩道を渡っている子供たちを見ていると、そこが危険な場所であるという認識はほとんどなく、自分たちで安全を確認せず、ただただ周りの大人の誘導(または前を行く仲間の動き)に従っているだけ。もしここで、ひとりひとりが安全確認をしていれば、悲惨な事故の何割かは防げたのではないかと思うと残念である。

スーパーやホームセンターなど大規模小売店舗の駐車場の出口でガードマンがクルマを誘導するのもまた、極めて日本的なシステムに違いない。前を向いている運転者に対して、こっち(つまり危険に対して後ろ)を向いて誘導するのが安全につながるとは、とても思えない。にもかかわらず、大半の運転者は自らの安全確認を放棄し、彼らの誘導に従っている。その結果、もしも事故を起こしたら、彼らはガードマンのせいにするつもりなのだろうか…。

確かに、自分で安全確認をしない子供の代わりに大人が確認したり、クルマや歩行者に気づかず駐車場を出ようとするクルマを制止したりすれば、少しくらい危険回避効果があるかもしれない。しかし、それと引き換えに、安全は誰かがくれるもの…という “安全ボケ” を量産している。“自分の安全は自分で守る” を実践しているオートバイ乗りであっても、周りがこれではたまらない。道路は危険な場所であるという前提に立った安全教育が望まれる。

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