掲載日:2025年04月11日 フォトTOPICS
取材・写真・文/森下 光紹
Vol.10 吉田 守(よしだ まもる)
人にも物にも一生というものがある。それは本当にそれぞれで違っていて、とても興味深い。未来なんてさっぱり分からないものだが、少しは想像できることもある。それは自分自身の未来でも、乗っているバイクの未来でも共通で、人は自分の未来を少し想像しながら今を生きているに違いない。長く乗り続けているバイクは、そんな想像の中に欠かせない大切な存在として、あり続けているのだろう。
吉田さんがこのCB750FCを購入したのは、今から42年前。18歳の時だった。それ以来、このバイクだけを乗り続けている。今もコンディションは抜群で車体は美しい外観を維持しているし、本人は還暦を迎えているが健康そのものだ。ホンダの1980年代を象徴する名車でもある第2世代のCBナナハン。その存在は、現代でも当時のフラッグシップたるオーラを強く放ち続けていて、とても魅力的である。
「免許を取って最初のバイクはスズキのGSX-250Eでした。通称ザリって言われている奴ですね。当時は人気が無くて安かったのだと思いますが、これが調子悪くてハズレでした」
吉田さんがバイク乗りになったきっかけは、バイト先の先輩が乗せてくれたことだったという。横須賀の街が好きで、その街とバイクというアイテムはマッチしていたし、何より便利でどこにでも行ける開放感や、少しやんちゃなイメージにも憧れがあったのかもしれない。
吉田さんの両親は、豪快な父親としっかり者の母親。そして3歳年上の兄という4人家族。父親の気性を真っ直ぐ受け継いだ兄に比べて、大人しい少年だったと微笑む彼だが、芯の強さは人一倍だったらしい。
「基本的に平和主義者なんですけど、どこかでスイッチが入ると頑固一徹ですね。たぶんそこが親父からの血を受け継いでいるのだと思いますけど、仕事でもプライベートでもそのことがプラスになったりマイナスになったりしているような気もします。まぁでもそれが僕ですからね。あはは」
1980年代のバイクシーンというのは、日本の4大メーカーが次々と新車を発表するイケイケの時代。その後はバイクブームと言われた少し特殊な現象があった。世間的はバブル絶頂期。日本は勢いだけで突っ走っていたような気がするが、そんな時代だからこそ名車が生まれたという事実も否定できない。
1970年代を牽引したのが、ホンダのフラッグシップであるOHCエンジンのCBナナハン750fourだったとすると、1980年代を牽引したのはやはり次のCB750Fシリーズだったと思う。エンジンはDOHC化されて、アメリカへの輸出モデルだった900をフラッグシップとして、国内バージョンはナナハン。その斬新なスタイルはまさしく次世代のバイクとして、多くのライダーが憧れる存在だった。
「僕のはFCですから、シリーズの最終モデルです。初期型は1978年デビューですから、もう熟成されていた車種ですね。基本スタイリングは変化していないですけど、ホイールのサイズとかが変更されて運動性能は上がっています。特徴的なデザインのメーターまわりは、今でも実に魅力的で大好きですね」
購入時、実はスズキの刀と迷ったという。刀も当時を象徴するすぐれたデザインのバイクで、近年復刻バージョンも発売されるほどの存在だが、熟成されたホンダのFCに彼の軍配は上がった。その後、42年間の走行で、10万キロは軽くオーバーした。
現在のスタイルは、基本的にノーマルのシルエットを崩さないものだが、ホイールは特徴的なコムスターから、3本スポークのキャストに。マフラーもヨシムラ製に交換されている。その他にはハンドルバーには、よりクリップオンスタイルとなるCBX750用を使用するなど、吉田さんの好みが反映されていた。長年乗り続けていれば、そのようなモディファイは普通のことだとも思うが、この個体にはもっと壮絶な歴史も刻まれていた。
「24歳の時にクルマに突っ込まれてほぼ全損みたいになってしまいました。でも他に乗りたいバイクもなくてね。フレームがダメだったから交換して、ダメージを受けたエンジンも全部分解して組み直したんですよ。そしたら、出来上がったバイクは以前よりも、はるかに素晴らしい性能を発揮しました」
新車よりも素晴らしい状態になったというのだ。メーカーの工場で組み立てられたバイクは、もちろん一定の性能を発揮し、優れた製品として世の中に出ていくのだが、そのエンジンを敏腕メカニックが分解し、細かくバランスを調整してしっかりと組み立てると、最高のコンディションに仕上がるという話は様々な現場で聞く。吉田さんがメンテナンスを任せていたバイクショップの大将は、そんな神の手の持ち主だったのだろう。しかし、その逆の話も聞かされた。
「以前の大将は亡くなってしまったから、他のメカニックにメンテナンスを頼んだのですが、その後調子を崩してしまい、後日他のショップで診てもらったら、エンジン内部からウエスの破片を発見したんです。多分、メンテで開けた時に入れ込んだウエスを取り忘れたのではないでしょうかね。3回ぐらいドッグ入りして、今はもう大丈夫な感じですけど、まだ少し心配で遠くに行くのを躊躇しています」
取材当日、エンジンからの異音は感じることはなく、絶好調なイメージなのだが、42年間には本当に様々な出来事があったようなのだ。それでも同じバイクに乗り続けている吉田さんなのである。
「僕にとってはもうバイクじゃなくて相棒ですからね。他のバイクには替えられないですよ。足にするスクーターならもう一台持っていますけど、他にバイクは……いらないなぁ」
普段から良く乗っているとはいうものの、他にスノーボードという趣味もある吉田さん。スノボに明け暮れていた頃には、ほとんどこのCBに乗らなかった時期もあったという。しかし手放すという発想はまったく無く、常に吉田さんの傍らに愛犬のような存在で控えていた。バイクはよく鉄の馬に例えられるが、このCBは、なんだか飼い主に従順で時には頼もしい大型の愛犬のようでもある。
「さぁ行こうか」と目配せすれば、すくっと立ち上がり、旅の友となる存在。吉田さんはあまり長距離ランを得意とするロングツーリングライダーではないが、自分の人生には常に愛犬のようなバイクを従えている人なのだ。
「一番遠くに行ったのは、能登半島のSSTRに一回参加したぐらいですからね」と笑うのだが、若い頃は湾岸線で流行ったドラッグレースに出場してみたり、三浦半島を回るのが好きだったりと、常にバイクと一緒だった。最近はもっぱらショートツーリングや、よく行くライダーズカフェが主催するグループツーリングに参加するなど、やはり仕事のない休日はバイクと共にある。仕事がIT関係で、デジタルの世界に身を置く立場なので、趣味はアナログ。だからバイクも80年代のフラッグシップがお気に入りなのだろう。その証拠に彼の腕にはシチズン製の自動巻時計が巻かれていた。朝起きると、この時計の針を秒針までピッタリ合わすのが、一日最初のルーティーンなのだと、笑って話してくれた。
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