ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!! “あの咆哮”に感激のホンダコレクションホール走行確認テスト

掲載日:2020年02月28日 フォトTOPICS    

取材協力/ホンダ
写真/柴田直行 文/石橋知也 

ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

名車の走りと咆哮を間近で体感できる
ホンダコレクションホールの走行確認テスト

ツインリンクもてぎ内のホンダコレクションホールで展示しているバイクもクルマも、すべて実動(動態保存)状態にあるのはご存じですか? それらの補修やレストアも半端なものではなく、欠品パーツを新規に製作するのも日常茶飯事。そうして仕立てた車両を実走させて確認するのが、ここでご紹介する「走行確認テスト」です。

取材に出かけた2月20日の試走はレーシングマシンばかり。まず、バイクは1984年型NSR500、1985年型NSR500と同NS500、1963年型RC164、2004年型CBR1000RRWという、いずれもワークスマシンが5台。

ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

ほかにクルマ部門ではF1の3台が走行しました。このイベントは一般の来場者も見学できて、今回のように会場がツインリンクもてぎ南コースとなった場合、昼休みには整備テントの見学も可能。憧れのバイク群を間近で見ることができます。今回は行けなかった皆さんのためにも走行した車両について詳しくレポートをお届けします。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

走りも感激モノですが、やっぱり“あの咆哮”です。1台ずつ走りますから、違いもはっきりわかります。地面も空気も震えるというのは、こういうことなんです! 走行確認テストの今後の日程については、ツインリンクもてぎホームページで分かるので、次回は是非。

1984年 NSR500(NV0A)
ホンダ初の2スト4気筒は上下逆さのレイアウト?!

1983年に2ストロークV型3気筒のワークスマシンNS500でフレディ・スペンサーが世界GP500チャンピオンを獲得。その翌年、同じ2ストロークでホンダ初の4気筒マシンとなるNSR500をGPシーンに投入しました。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

「他の真似をしない」が信条だったホンダは、フューエルタンクをエンジン下に、排気系(チャンバー)をエンジン上にと、通常とは上下逆さ構造(アップサイドダウン・レイアウトと呼ばれた)を選択。エンジンはこれまた他社が2軸だったのに対して、1軸逆回転クランク90度V4(クランク+プラマリー+ミッション2軸=4軸)としました。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

パワーは強烈でしたが、通常のタンク部にあるチャンバーの熱が酷く、ライダーは大変でした。また燃料がタンク内で半分以下になると「燃料がちゃぽちゃぽ動いた」(フレディ)ほか、重心が上がるなどでハンドリングもレース途中で変わるなど問題も多く、このNSR500ではエースライダーだったフレディが3勝、その代役で走ったランディ・マモラが1勝に終わり、タイトルを逃すことになりました。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

「上の回転域(8000rpm以上)のパンチはスゴイですけど、500ccにしては下のトルクがない。車体はしなやかですよ」とは、今回の試走で各車を走らせた、モータージャーナリスト・宮城 光さんの弁。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

チャンバーの熱対策でダミータンクカバーは中間に空間を設けた2構造でしたが、フレディはチンチンに熱くなったツナギの胸と袖の金属ファスナーで火傷したと言います。ステアリングヘッド側の四角い箱は燃料フィルターケースで、燃料を下の32Lアルミタンクからダイアフラムポンプで組み上げられてここに入り、キャブレターへと送られる仕組み。フレームはアンダーループのないアルミフレームで、太いツインスパーに移行する前の過渡期の形状です。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

リアバンク後ろに4連されるのは、ケーヒンφ34mmマグネシウム製キャブレター(円筒型バルブ)で、もちろん1984年型NSR500専用。2個1体型でサイドリンク式。メインジェット交換を容易にするため、予めセットした4つメインジェットを、リボルバーピストルの弾倉のようにフロートチャンバー下から回転させてセッティング変更。それでもキャブは一端インシュレーターから外さなければならないけれどホースも外さずに済むので、セッティング作業はかなり時間短縮となったそうです。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

ボア・ストロークはφ54×54.5㎜。排気量は499.27cc。クランクケースリードバルブ式で、90度V型は逆回転クランクの4軸構成で90度等間隔爆発。シーズン終了時には最高出力145ps/1万1500rpm、最大トルク9.2㎏・m/1万1000rpmのハイパワーにまで熟成。低中速トルクを出すための排気チャンバーにはATAC(アタック)が装備されましたが、やぱりピーキーな特性は変わりませんでした。また、スパークプラグは前輪とフロントバンクのクリアランスを確保するため、絶縁部が超ショートな専用品を使用します。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

今回の試走に向けて、独自のコムスターホイール、ニッシン異径4Pブレーキキャリパー、デイスクローターを新作。当時はCFRP(カーボン)だったホイールは信頼性・耐久性を考慮してアルミに、鋳鉄だったφ310㎜ディスクもステンレスに変更されています。タイヤはフロント:16インチ、リア:17インチ。当時はフロントがバイアス、リアのみラジアルのミシュラン製でしたが、今回はダンロップのα14。フロントフォークは当時、φ41.7㎜のCFRP+アルミ製インナーチューブ+マグネシウム製ボトムケースを使っていました。

1985年 NSR500(NV0B)
フレディのダブルタイトル獲得を実現した500

1985年型NSR500は、先進過ぎた1984年型から一気にコンベンショナルなタイプに変更されました。これにはエースライダーだったフレディ・スペンサーがGP250タイトルも狙うため、NSR500のエンジンを縦に半分にしたRS250RW(90度V型2気筒)も同時に製作するという理由もありました。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

フューエルタンクはエンジン上に、チャンバーはエンジン下と、こちらは普通に配置。エンジン自体も変更し、逆回転クランク4軸から正回転クランク3軸の90度V4になり、フレームは極太のアルミツインスパー(ホンダ呼称ではアルミツインチューブ)タイプを採用。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

同年、フレディは見事GP500&250ダブルタイトルを獲得しました。一見、大ごとのようですがエンジニアたちは「1984年型の基本パーツが同じで、配置変更しただけで混乱はない」と言いましたから驚きです。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

「フレームは非常に高剛性でガチガチなんですが、一方でサスは良く動く。このエンジンは低回転域からトルクもあって、上も良く回る。このエンジン特性は1980年代後期モデルまでこんな感じでしたね」(宮城さん)。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

エンジン下に配置されたチャンバー。取り回しは知恵の輪のようで、脱着も順番を間違えるとダメという複雑さ。チャンバーは輪切りではなく成型物の合わせタイプです。54×54.5㎜、499.27ccのエンジンは進行方向に向かって前回りとなる正回転クランクによる90度V4(クランク+ミッション2軸=3軸構成)で、吸気はクランクケースリードバルブ方式です。排気バルブは遠心式ガバナーで作動するATAC(四角い箱型)。パワーは数値上では1984年型と大差ないのですが、ずっと扱いやすくなったといいます。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

フレームは目の字断面アルミ押し出し材(7N01材。40×100㎜リブ付き)をメインに使ったツインスパーで、相当な高剛性です。フロントフォークもCFRPインナーチューブによるφ43㎜と大径化、スイングアームピボット部はアルミ削り出し品。スイングアームも目の断面のアルミ押し出し材(40×80㎜)で、1984年型のようなトラス構造ではなく1本物でした。リアサスは下部がチャンバーに占領されたため、アッパーリンク方式を採用。ラジエーターは2枚に分割して、V字型にレイアウト。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

ホンダが独自開発したコムスターホイールはリム、スポーク、ハブを組み立てる構造で、1984年型はCFRPでしたが、1985年型ではアルミ製になりました。写真は実走のために新作されたアルミ製で、ハブとスプークは貫通ボルト&ナットで組まれています。「精度を出しながら組み上げるのは、普通のスポークホイールより大変でした」とは、レストア担当のメカニック氏。そんな理由もあってか、1986年型からNSR500はマグ鋳造ホイールに変更されています。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!
“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

1985年型ではサイレンサーはスイングアーム両サイドに左右に2本ずつ出されます(写真上)。1984年型は左右テールカウル部(写真下)でした。1986年型からテールカウルに2本、スイングアーム両サイドに1本ずつになります。ガルアームを採用した1989年型からは右2本、テールカウルに2本という配置に落ち着きます。2ストのパワー・特性を左右するチャンバーはとにかく太くて、スペースやバンク角の確保に相当苦労したようです。1985年型NSR500の車重は約120㎏!

1985年 NS500(NS2B)
市販レーサーRS500Rも生んだ、名エンジンマシン

NS500は1982年にデビューしたホンダ初の2ストロークGP500マシンです。それまでお家芸としてこだわった4ストロークエンジン、しかも独創的なオーバルピストン+1気筒あたり8バルブというNR500で戦ってきましたが結果が出せず、勝つために2ストを投入。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

ここでもホンダは他とは違う112度V型3気筒エンジンを選びました。このV3エンジンは中央気筒が前に、両側気筒が後ろになる独特の構造です。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

1982年のベルギーGP(スパ・フランコルシャン)では、フレディ・スペンサーが初優勝。1983年はケニー・ロバーツと世紀の一騎打ちを制してフレディは当時史上最年少でGP500世界チャンピオンに輝きました。1984年もフレディは4気筒NSR500が不調だったこともあって、このNS500でも参戦して2勝。そして4気筒登場後も3気筒は活躍しています。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

ちなみにこの1985年型NS500は同年、全日本ロードレース選手権でHRCの阿部孝夫選手が乗ったマシンです。このNS500をベースとした市販レーサー、RS500Rでは多くのプライベーターがGPにも参戦しました。

「軽くてコンパクトで、股下でマシンがコントロールできます。車体はしなやかで乗りやすいですよ」(宮城さん)。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

エンジンは1軸逆回転クランクを採用した62.6×54㎜、112度V型3気筒(120度等間隔爆発)。吸気はピストンリードバルブ方式で、他社のようなロータリーディスクバルブでないのは、モトクロッサー用をベースに開発したためです。メリットは押しがけスタートでの抜群の始動性で、3歩でかかりました。独自排気バルブのATACは、1983年開幕時からリアバンクの2気筒に装備して、途中からは中央気筒にも追加されています。中央気筒のチャンバーはエンジン下でトグロを巻いて長さ・容積を稼ぎ、右下に出されるレイアウトです。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

キャブレターはケーヒンφ36㎜のマグネシウムボディ(マグとなったのは1983年途中からのこと)で、Vバンク内に装着されました。リードバルブはカーボン製。軽量でクイックに曲がり、ブレーキング・コーナリング・立ち上がりでラップタイムを稼ぐことがコンセプトのNS500は、最高出力130ps以上、車重約113㎏(1983年型)と、狙い通りの優れたパワーウェイトレシオでした。ダブルクレードルフレームは当初はクロモリでしたが、1982年の途中からアルミ製に変更されました。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

フロントフォークはSHOWA製φ41.3㎜で、ボトムケースはマグネシウム製。市販車にも使われたアンチノーズダイブ機構、TRAC(トラック)も装備しました。軽量化が最大のテーマだったNS500では、インナーチューブはCFRP+アルミ製。コムスターホイール、スイングアーム(当時は銀色にしてカモフラージュ)、リアブレーキディスクにもCFRP製を投入したほど。カウル類ももちろんCFRP製です。タイヤは1982年当初はフロント:16/リア:18インチで、1983年型からは前後とも16インチホイールとなりました。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

1983年型でキャスター角は25度28分、トレール量90.9㎜と、最近のスーパースポーツより1度ほど寝かされているフロントまわり。フロントに16インチホイールを履くためなのでしょうか。現代品の溝付き16インチのハイグリップでは、当時言われた切れ込みなどのクセもなく、良く走るいうことです。直引き3キャブなのでスロットルワイヤも3本。車体まわりを観察して驚かされるのはシート高の低さで、1983年型では760㎜。最近のスーパースポーツは820㎜ぐらいは普通にあります。

RC164とCBR1000RR
新旧4ストワークスバイクの試走も会場を盛り上げた

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

今回は2ストロークGPマシン群にフォーカスしましたが、当日は1963年型RC164と2004年型CBR1000RRという、2台の4ストロークエンジンを積むワークスバイクも試走しました。

【1963年 RC164】

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空冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ、44×41㎜、249.37ccで、44psの最高出力を1万4000rpmという高回転で発揮した、驚異のGPマシンです。デビューした1963年にはGP250クラスで個人(ライダーはジム・レッドマン)とメーカーの世界タイトルをダブルで獲得。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

4本メガホンマフラーの高回転音は今聞いても最高。ブレーキまわりなどマグネシウムパーツは経年劣化もあり危険なので、さすがにアルミで新作したそうです。現在入れているエンジンオイルは純正エンジンオイルのS9、10W-30。ホンダの純正オイルって高性能なんですね。

【2004年 CBR1000RRW】

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2004年鈴鹿8時間耐久ロードレースで優勝したファクトリーマシン。ライダーは宇川徹/井筒仁康組でした。この年、市販車は前年までのCBR954RRから1000RRにフルモデルチャンジしての1年目。前年までは90度VツインエンジンのVTR1000SPWで参戦していましたから、ファクトリーホンダでの並列4気筒エンジン車の優勝は、1981年のRS1000以来。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

2004年当時は前後に16.5インチタイヤを履きましたが現在は存在しないタイヤなので、これは当時のままだそうです。

“ホンダのNSR500やNS500が目の前を走った!!

今回ホンダコレクションホールの走行確認テストでテストライダーを務めたのは宮城光さん。1962年11月19日、兵庫県生まれ。2&4輪の走行確認テストにレギュラーで携わる“ドライダー”。現役時はモリワキZERO-X1(CBX400FエンジンのTT-F3)を駆り1983年鈴鹿4耐で優勝、女性誌に取り上げるまでのスターに。1988、1990年には全日本国際A級GP500クラスでランキング3位(いずれもNSR500をライド)。1993年から2000年まではアメリカでレース参戦を経験。その後は4輪レースにも参戦した。現在はジャーナリスト&TVコメンテイターとしても活躍中。

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