ホンダがダカールで勝つために必要なものとは何だったのか ―初挑戦から8年をかけて獲得した「ラリーの真実」―

掲載日:2020年03月05日 フォトTOPICS    

取材協力/ホンダ
取材・文/春木 久史 写真/稲垣正倫、HRC

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ホンダ・ウエルカムプラザ青山で開かれた「ダカールラリー2020 取材会」ではHRCラリーチーム代表の本田太一氏に話を聞くことができた。

かつてのパリ-ダカール・ラリーから22年の空白を経て、2013年の南米で始まったホンダファクトリーチームによるダカール挑戦。威信をかけ最新技術を注ぎ込んだファクトリーマシンCRF450Rallyとともに「勝てる」と言われながら苦杯をなめ続けてきた数年間。チームはどのように成長してきたのか。新天地、サウジアラビアでのラリー。初勝利の舞台裏をHRCラリーチーム代表の本田太一に訊く。

●今年は勝てる。そう確信したのはどの時点ですか。

本田:前半を終えた時点でリッキー・ブラベックが2位のキンタニーア(Husqvarna)に20分の差をつけていましたから、展開としては悪くなかったわけですが、この時点で、勝てるという思いは持っていなかったですね。中盤までは有利な展開、というのはこれまで何度もありました。その後にいろいろなことがあって順位を落としていくという経験をしてきましたから、むしろここからが重要だ、という気持ちでしたね。チーム全体がそうだったと思います。だからリヤドの休息日は、なんとも言えない緊張感がチームにありました。現時点では優位に立っているということはみんなわかっているんですが、それを口に出してはいけないというか……。絶対に気を抜いてはいけない、とみんなが感じていたと思います。

休息日には、丸1日以上時間があるので、エンジンは腰上(シリンダー、ピストン、シリンダーヘッド等)をすべて交換するなど、後半戦に備えてマシンをリフレッシュします。そのメニューもすべて決まっているんですが、それが完了しても、ダブルチェック、トリプルチェックまで、メカニックたちが自主的にやっていました。もちろんボルト一本すみずみまでですね。全員ほとんど寝ていなかったと思います。絶対に勝ってやる、っていうモチベーションが、これまで以上に強かったと思います。

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ダカールでのパドックの様子。レースのない休息日であっても、メカニックは整備に余念がなく休むことはない。

●パウロ・ゴンサルベスの死亡事故を受けてステージ8がキャンセルされたほか、後半はSSの短縮が2度ありました。逃げる立場としては有利な展開だったのではないでしょうか。

本田:そうですね。ただ、今回のラリーは、20分、30分の差が簡単にひっくり返る可能性がある内容で、まったく気を抜くことができませんでした。まず、SSのほとんどが道の無いオフピストで、ナビゲーションがテクニカルだったことが大きいですね。ちょっとしたミスですぐに大きくタイムロスしてしまう。これまでの南米だと、なんだかんだ言ってもピスト(道)が多かったので。最終ステージも、コース上の障害が理由で短縮されたんですけど、それでも、フィニッシュするまで「これは勝てる」という確信を持つことはなかったです。

●トータルタイムではリッキー・ブラベックが首位をキープしましたが、毎日のステージ順位では例年以上にシーソーゲームが続いたように見えました。

本田:確かにそうですね。オフピストが多いステージだと、先頭でスタートするより、少し後ろでスタートしたほうがナビゲーションの面で有利なので、それがリザルトに反映されたと思います。基本的には前日の順位が上のライダーが先にスタートしますから、翌日はナビゲーション的に不利になりやすいんです。だから「明日はナビ勝負のステージだ」と予想した場合は、ライダーもステージ優勝を狙わずにほどほどの順位を狙ったりしますね。今年のサウジは、南米よりもオフピストの割合がそれだけ大きかったということですね。しかもサンドだと、前を走っているライダーの跡が残りやすいですから、さらに後ろのライダーは比較的ラクに走れるということが多い。

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タイヤ痕を追って走るリッキー・ブラベック。写真は勝利が現実的なものになってきたStage10。

●サウジアラビアという異文化の国での開催でした。不安はありませんでしたか。

本田:最初は不安でしたね。イスラム教の戒律が厳しい国で、情報も少ないし。選手やチーム関係者のビザは大丈夫だろうか、とかも。でも、実際には輸送も含めて、南米よりもスムーズなほどでした。ビザも電子的な手続きで簡単でした。現地は想像していたよりもずっとオープンな雰囲気で、言い方はちょっとあれかもしれないですけどアメリカナイズされた感じでした。道路もきれいに整備されていて、ビバーク間の移動もすごく快適でした。制限速度が130km/hで、実際道がいいので、600kmの移動でも6時間で行けちゃったり……。その分、チームはラリーに集中できたと思います。

●すべてのライダー、チームにとって初めてのコースということでした。

本田:南米では2009年から開催が続きましたし、チリ、アルゼンチンには地元のライダーも多い。それにダカール以外のラリーも開催されていますから、コースを知っているライダーも多いんです。我々も、それなりに経験を積んできていますから、例えばフィアンバラのステージで、ビバークがこことここ、という情報があれば、ある程度どんなルートなのか、どんな地形、路面なのか予測できるわけです。それがまったくないというのが今回のラリーでした。その意味では、本当にイコールコンディションで、良い展開だったと思います。

チームとしては、どんなところを走るのかまったく予測できないので、マシンの準備等に難しさはありました。今回は、空力や部品の材質の見直しなど、熱対策をメインにやってきたのですが、実際にはそんなに熱は問題ではなく、むしろライダーが寒さに耐える結果になったりとか……。でもこのあたりも、どのチームも同じだったと思います。あらゆる面で、イコールコンディションの、良いラリーになっていたと思います。

●ナビゲーションにも変更がありましたね。

本田:ナビゲーションのルール、システムは変わっていないのですが、ウェイポイント(GPS座標上のチェックポイントで通過しないとペナルティがある)の数が大幅に増えたことで、よりナビ技術が重視されるようになりました。また、ロードブック(コマ図)が、毎朝スタートの直前、20分前に渡されるようになったことが大きな変化でした。昨年までは、前日のフィニッシュ時にロードブックが配布されたので、ライダーはじっくりと翌日のコースを研究できたのですが、今年は、ロードブックを渡されたらすぐにマシンにセットして、そのまま走り出さなければならない。よりライダー個々のナビゲーションスキルが重要になりました。

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マシンチェックをするジョアン・バレダ。最終成績はバイク部門で総合7位。

●どうしてそのような変更が行われたのでしょうか。

本田:ここ数年、ロードブックの情報と、グーグルマップなどの情報を併せて分析し、チームとライダーに有利な情報を提供する「マップマン」という存在があることが知られてきましたが、それによる不公平を解消するための対策ですね。こうしたことも含めて、ダカールの主催者は、スポーツとして透明性のあるラリーを目指しているように感じました。スケジュールの変更なんかは、長いラリーにはつきものですが、そういう場合にも、各チームに事前に相談してくれたり、今までとは少し違う雰囲気がありました。主催者は、新しいダカールを意識していると思います。

●最大のライバルであるKTMは、2年前にモデルチェンジして、エンジンも一新。パワーの面でも競争力を取り戻しました。一方、ホンダはまだモデルチェンジしていませんね。

本田:2013年に初出場した時は、市販エンデューロモデルのCRF450Xをベースにした改造車でした。これでボロ負けして、翌年から現在のファクトリーマシンになるんですが、その時点で、すでにエンジン出力の点ではライバルより上をいっていたはずです。それから、ハンドリング、整備性、耐久性など全体的に進化させてきました。バイクの性能という点では、数年前にライバルを上回る性能に達していたと考えていますし、競争力は維持しているはずです。だから現在では、フルモデルチェンジではなく、やはり信頼性、耐久性の向上が重要だと考えています。充分な準備をしてきたと考えていた今年も、ケビンとジョアンのエンジンにトラブルが起きてしまいました。結果的には、リッキーが優勝してくれましたが、もし、ケビンとジョアンのマシンが順調だったら、ラリーはもっと有利に運んでいたはずです。そのことを考えても、現時点で優先されるのは、信頼性の向上です。

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Stage7でステージ優勝を飾ったケビン・ベナバイズ。残念ながらマシントラブルで優勝圏外へ。

●以前からリッキー・ブラベックの能力に着目していましたね。

本田:彼には、5年前にFIMクロスカントリーラリー世界選手権のアブダビにテストで出場してもらい、その時、ジュニアクラスで優勝する活躍を見せてくれました。その後チームに入ってもらい、一緒に経験を積んで来たんですが、昨年のダカールでは、後半、首位を走っていながらマシントラブルで残念な結果になりました。彼は、とてもバランスのいい考え方をするライダーで、ライディングだけではなく、ナビゲーションの力が非常に高い。難しいウェイポイントでみんなが苦労している時でも、ほとんどミスをしないのに加えて、ミスをしてもリカバリーが早いんです。ジョアン・バレダもナビゲーションのセンスはいいんですが、リッキーはさらにいいですね。

●その能力が今回の勝利につながったんですね。

本田:彼はカリフォルニアの出身で、アメリカのデザートレースで鍛えたライダーなんですが、今回のサウジは、オフピストのステージが大半で、それが地元の地形によく似ていたというのも良かったようです。まったく道がないところの地形が読める。それが彼をリラックスさせたというのも、勝因としてはあると思います。去年の結果が惜しかっただけに、彼にとってもなによりの勝利だったと思います。

●勝てると言われながら勝機を逃すラリーが続きました。これまでのラリーを振り返って、一番大変だったと感じることは何ですか。

本田:毎年ダカールが終わると、次のラリーに向けての準備が始まります。バイクも当然、改良、改善しなければならないのですが、そのための準備期間が短いことですね。極めて短期間で、バイクを改良して完成させなければならない。そうしたことを、他の準備と同時にしなければならないのが大変ですね(笑)。

●苦い経験からは学ぶこともたくさんあったのではないでしょうか。

本田:こうなるかもしれない、と少しでも思ったことは必ず現実になる。ちょっとでも気になったことは、必ずトラブルとして現れる。だから、ちょっとでも気になったことは、徹底的に、納得がいくまで対処しなければならないということを学びました。「ダカールではあらゆることが起きる可能性がある」というのは、みんなが言う事なのですが、その通りです。徹底的にやった。あらゆることを想定して準備したつもりでも、今回のケビンとジョアンのように、想定できなかったことが起きます。「ちょっとここが気になる。でも、直前のテストでも問題は起きなかったから大丈夫だろう」などというのは、ダメなんですね。気になったことは現実になる。それがダカールなんだと学びました。

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盟友パウロ・ゴンサルベスの死を悼んでキャンセルとなったStage8、パドックでは入念なマシンチェックが行われた。

●2013年の南米ダカール初挑戦からずっとチーメイトだったパウロ・ゴンサルベスが、ステージ7の事故で亡くなりました。

本田:彼は、昨年まで、我々のチームを牽引するライダーであると同時に、ラリーとは何か、ということを、言葉だけではなく、行動で教えてくれる存在でした。特に、人との調和の大切さです。チーム内だけではなく、ライバルチームであっても、一緒にラリーを戦っている仲間としてつきあうことの大切さを教えてくれました。パウロは、今年から新しいチームに移籍しましたが、変わらずに、ダカールでの優勝という夢を追う友人でした。彼には本当に感謝しています。

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2020年は別チームでの参戦だったが、HRC優勝の礎を築いたパウロ・ゴンサルベス(写真は2015年、HRCから参戦したダカールラリー)。

●ホンダは優勝したらダカールラリーの活動をやめるのではないか、と心配しているファンも少なくないようです。

本田:我々は、すでに来年のダカールでの勝利を目指して準備をしています。今年の経験を生かして必ず良い結果を出しますので、どうか引き続き応援をよろしくお願いします。

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2013年から始まったホンダのダカールチャレンジ。ついに2020年、KTMから王座を奪還することで達成された。しかしホンダはこれからもこの王座を守るべく戦い続けていく。

まとめ:
南米ダカール初挑戦の2013年を除いては、常にライバルのKTM勢とともに首位争いをし、ジョアン・バレダを筆頭として数多くのステージ優勝を獲得、そして、パウロ・ゴンサルベスとケビン・ベナバイズによる2位入賞と、勝てるポテンシャルを示してきたホンダ。今年こそは、と期待され続けながら「またか……」と、落胆し、悔し涙を流してきた日々。その中で最も強く大きく成長してきたのは、本田太一だったかもしれない。その彼が見出した真実は、ダカールを知る誰もが口にする一語。「ダカールでは何が起こってもおかしくない」。それを乗り越える強さを備えた者だけが勝てる。2021年、舞台は再びサウジアラビアと決まっている。ライバルの反撃に備えて、ホンダはもっと強くなって戻ってくる。

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