四国エリア(愛媛県) カテゴリ:建物・史跡
2015-06-02 04:13:10 走行日:2015-05-31〜2015-05-31
グー!(41)
現存12天守の1つで宇和島城に行って来ました。
四国には全国の12ヶ所の内、4ヶ所もあります。(宇和島・松山・丸亀・高知)
内、8ヶ所は行っているので残り弘前城、松本城、丸岡城、犬山城には行きたいと思っています。
十分、城フェチでしょうか.....(笑)
宇和島城は下にバイク停めてから徒歩で天守閣まで10分〜15分で気軽に登れます。
乗り物はありません。
今回は伊達藩に関連した史跡をのんびりと回ってみました。
愛媛にはまだまだ良い所、一杯ありますよ。
【宇和島城】
宇和島伊達家2代宗利が寛文6年頃に再建、3重3階総塗籠式、層塔型の天守です。各階の装飾性の高い破風や懸魚などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。昭和35年に大修理を受けていますが、昔の姿を今もなお伝えています。
【天守閣城内】
最上階です。
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年、藤堂高虎築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年に完成。その姿を現在に残しています。
【金剛山大隆寺】
宇和島藩主伊達家墓所
初代秀宗ののち2・3・4代とひきつづいて龍華山等覚寺に葬られていましたが、5代村候は生前から金剛山正眼院を自分の墓所と定めていたので、その没後に正眼院は村候の法名により大隆寺と改名された。以来、6・8代は龍華山等覚寺に、7・9代は金剛山大隆寺にと交互に葬られて、いずれも市の史跡に指定されています。
【竜華山等覚寺】
宇和島藩主伊達家墓所
初代秀宗が生母を弔うために開山。初代、2代、3代、4代、6代、幕末四賢侯8代宗城の墓があります。宇和島では、伊達家の菩提寺は山号で呼びます。寺号が藩主の戒名に因んでつけられているためです。
【龍光院・山海殿】
元和元年、宇和島藩の初代藩主として伊達秀宗が入部したとき、宇和島城の鬼門に当たるこの場所へ、伊達家・藩・領民の安泰を計るため鬼門の鎮として建立されました。芭蕉の母が宇和島出身との説があるからか、芭蕉の句碑があります。
スポット詳細情報