掲載日:2026年01月19日 フォトTOPICS
取材・写真・文/森下 光紹

Vol.28 江原 美代子(エハラ ミヨコ)
その日は朝から凍りついたような感じだった。目覚まし代わりにタイマーでセットしたラジオからは、この冬一番の寒気が押し寄せていると、若い女性のパーソナリティーが聴視者に明るく呼びかけている。「特にクルマやバイクでのお出かけは注意が必要です」と、強調する彼女の声を右の耳で確認しながら、素早く着替えを済ませてバイクのキーを左手で握りしめた。
夜の冷え切った空気に晒されてまだ冷たくて重い玄関を開けると、とたんに飛び込んでくる強烈な朝日が気分を十分に高揚させる。真冬でもバイクを走らせるには最高の朝であることは間違いない。乗って行く250ccのモデルは昨日の夕方に調子を確かめてあるから、少し長めの暖機運転をしながら5キロも走れば、今この瞬間を後方へと置き去りにすることができた。これがバイクで出発するいつもの感じ。今日会ってみたいと約束した人とは、この先2時間ほど走った先で落ち合う予定だった。
冒頭から何だか小説気取りで書いてみたが、それには少し理由があるので後述する。
待ち合わせのパーキングに1時間ほど早く到着した僕は、バイクを停めてその周辺を歩き回ってみた。北関東の渡良瀬川と利根川に挟まれた広大な土地。広がる青空はとてつもなく広くて、ずっと遠くに見える山には白い雪が中腹まで積もっている姿がはっきり確認できる。大きく息を吸い込むと気分が良い。きっとこの景色は遠く江戸時代以前から、さほど変化することなく現代まで続いているのだろう。
「森下さん、ですか?」

振り向くと、そこには小柄な女性が立っていた。彼女のバイクは僕のバイクの隣に停められていたが、散歩をしていて見過ごしたのだ。しかしお互いバイク乗り。他にライダーは来ていないのだから、初対面でもすぐに認識できるのだった。
江原さんが乗ってきたのはヤマハのMT-25である。扱いやすそうなネイキッドモデル。リヤには小ぶりなボックスが装備されているが、よく見るとそれはホームセンター等で売られている工具箱だった。

「バイク用品ではないけど、このぐらいの大きさがちょうど良いです。いつもあまり荷物は持たないで乗るからね。キャンプも好きで、その時の道具はリヤシートの上にくくりつけるのだけど、この工具箱が荷物のストッパーになるからちょうど良いのよ」
なるほど確かにちょうど良い。そして、250ccのバイクは、彼女にとって色々な意味でちょうど良いのかもしれないと思った。
容赦のない北関東のからっ風が吹きすさぶパーキングには、広いサンルームがあったので、そちらに避難して話を聞く。重ね着しているジャケットを脱いでゆっくりできる場所があることを彼女はよく知っていて、この場所を選んでくれたのだ。

「わたしね。バイクはけっこう買い替えているの。移り気ってわけじゃないけれども、いろんなバイクに乗ってみたいのね。大きいのも小さいのも好きだから、乗ってみないと分からないじゃない。つい、だんだん増えちゃって反省してまた減らしたり。今はこのヤマハとホンダのカブが一台。でも大きいモデルもまだ乗ってみたい願望はあるわね」
そもそも、なぜバイク乗りになったのかという質問を投げかけてみると、片岡義男の小説を片っ端から読んだというマニアだった。特に「湾岸道路」に登場する、とびきり格好良い主人公のカップルにインスパイアされて、ご自身もバイクに興味を持ったというのだ。しかしそれって……。
それは、かなりの男脳だと思いますね。と、つい言ってしまった。僕自身も片岡義男の小説はかなり読んだ人間であると同時に、そのどこから見ても格好良い「バイク乗り」というイメージや、片岡義男独特の世界観に魅了された男子であるからだが、彼女のバイク歴や若い頃の過ごし方等の話を聞けば聞くほど、男性的な感覚を持っていると感じたのである。
江原さんが最初に手にしたバイクは新車のGSX-R250Rだ。バイクブーム大全盛期のレーサーレプリカで、当時のバイク乗りは必ず通った道でもある。高校を卒業して実家を飛び出し、八ヶ岳の麓で下宿しなら季節労働者として1ヶ月働くが過酷な労働環境に挫折して戻る。その後はバイクショップで働くようになって、バイクは趣味というよりも生活そのものになっていった。するとバイクの存在が身近になりすぎてあまり乗らなくなり、愛車を知人に貸した際に事故に遭遇して全損。賠償金を手にしたが、バイクは買わずに趣味性の高そうな古いクルマを購入したという。理由は、「何しろ、とても格好良いから」。
「ローバーの古いモデルを買いましたがメカに強いわけでもないので、結局トラブル続きで手放してしまいました。ローンがまだかなり残ったままだったけど、まぁしかたがないやってね。当時はアルバイトもいろいろ掛け持ちしながら美容師の専門学校にも通ったりして、何だかもがいていましたね。色々やってみないと何が自分に向いているのか分からない。でもそんな時代に恋もして結婚もして、子供も3人も生まれたものだから、どんどん時間が過ぎて行っちゃった」

興味が湧いたものには、一目散に突っ走る。その性格は、基本的に今も同じだと笑う江原さん。バイクが無い時代は、ミュージシャンのガクトの追っかけだったらしく、ライブ会場に駆けつけるうちに旅への興味や、ガクトが当時大河ドラマで演じた上杉謙信関連の歴史にも興味が湧いたことも手伝って、最初は電車での旅スタイルから、バイク乗りへと復帰した。

「名古屋の友達がバイク乗りで、スズキのグラストラッカーを勧められたんです。ちょうどその頃、自宅の近くにメンテナンスがめっぽう得意なバイクショップを見つけてしまって、一気にバイク乗りへと復帰しました。グラトラはとても乗りやすくて、小柄な私がソロツーリングするには最適だったと思いましたが、少し頼りない感じもありましたね。でも東北方面には良く出かけて、どんどん旅好きライダーへと成長したと思います」
3人の子供たちも成長して、この先の人生を考えた時。とにかくひとりで旅がしたいと思った江原さん。その相棒に、昔散々楽しんだバイクを選んだということになったのだ。しばらく忘れていた、自分だけの大切な時間。それを自由に使いこなすための相棒なら、やはりバイクは最適だった。
その後、彼女は二輪免許の限定解除をして大型のバイクにも乗り出した。当時、ご主人もハーレーを購入したりして、江原家は空前のバイクブームだったのかもしれないが、やはり彼女はソロツーリングが一番楽しいと笑う。最初の大型バイクはスズキのイントルーダー750で、これは大型バイクの練習用と考えての選択だったが、乗りやすくて長旅向きのバイクでもあった。その後は友人から譲られた水冷ツインエンジンのトライアンフ・ボンネビルに乗り換える。そのシルエットのバイクらしさはとても魅力的ではあったのだが、彼女の体格には少し重すぎる車重がネックとなった。そんなわけで、現在はヤマハのMT-25というわけなのだ。
「カブもあります。小さいバイクはその独特な世界がまた楽しいので、やめられないですね。どちらのバイクでも長旅するのが本当に楽しい。移動は基本的にソロで行って、行く先々でユニークな人たちと出会うことが楽しいのです。だからライダーハウスに泊まったりするのも好きで、そんなコミュニティーのメンバーにもなったりしていますね」
一時期、4台にもなった彼女の保有車は現在2台に落ち着いた。きっとそれが彼女にとってベストなのだろうと思ったら、「やっぱり大きいバイクも一台欲しいかなぁ」と笑う。色々乗りたい彼女は、やはりどこか男脳なのだった。

サンルームですっかり長話に花を咲かせていたら、午後の太陽が急速に傾き始めた。でもそんな時間は澄んだ空気に最高のコントラストを演出するから、この季節ならではの写真が撮れる。僕らは急いでパーキングを出て、彼女のお気に入りルートを走り出した。土地勘のある江原さんが前を行き、その直後を追いかけながら撮影する。なかなか鋭い横風がバイクライディングには厳しい環境なのだが、そんな風を軽くいなしながら自分のバイクをコントロールしていく。江原さんのライディングは、やはり長旅が得意なことが良くわかるリラックスした印象だ。肩の力が程よく抜けている。リヤブレーキを操作する右足は常に前方を向いていて、その結果、足首でのバイクホールドも美味いから横風の影響も少ないライディングなのだった。

眺めの良い直線で走行シーンを撮影するために何度かUターンすることになったのだが、その点も実に軽やかなバイク操作で危なげない。女性ライダーの場合、やはり極低速域でのバイク操作が苦手で、その点を気遣うようにしているが、心配はまったく無用なライディングだった。
「気持ち良いでしょ。ここから遠くの山を眺めるのが好きなの。だからひとりで良く来ます。季節ごとに景色が変化するから、いつ来ても楽しいですよ」

自分の時間をとにかく楽しみたいからひとりでバイクに乗って旅をする。相棒は大きくても小さくても構わないし、目的地も実はどこでも構わないのが旅好きバイク乗りの本音だ。片岡義男の湾岸道路に登場する主人公もまた、旅の目的地など一つも語らずに東京の環状七号線を南下し、湾岸道路を左折した場所を出発地点としただけで、その後の話は何もない。旅の途中での出来事はそれぞれのライダーが体現すれば良いことで、そこは一行も書かないのが片岡義男の格好良さだと思うが、江原さんの何だか男前なライフスタイルにも、そんな空気感が反映されているような気がしてならなかった。









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