ライダーインタビュー【モーターサイクル・ザン・パラダイス Vol.26】吉田 好孝さん

掲載日:2025年12月16日 フォトTOPICS    

取材・写真・文/森下 光紹

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Vol.26 吉田 好孝(ヨシダ ヨシタカ)

日本の伝統工芸を受け継ぐ職人が乗るハーレー
彼にとって、バイクの存在とは何なのだろう

時代は変化する。それはいつだって同じである。今までの当たり前が、次にはそうではなくなるものだ。仕事も同じ。生活そのものも、常識も、道徳でさえ変化していくし、価値観も変化していくものである。それが世の中だということは百も承知で、自分の信じた道を生き続ける人がいる。

その姿は、あたかも滝の下に身を置く修行僧のようでもあり、日々混沌とした流れの中で満員電車の吊り革を持って微動だにしない、ビジネスマンのようでもある。

生きる糧を自分の中にコレだと決めた強い信念の人ほど、きっと心の中は穏やかで周りに優しい心根を持つのだと筆者は思う。今回は、そんな人が乗るバイクライフを紹介したい。実は筆者の、50年来の友人でもある。

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彼が差し出す名刺を見たことがある。

「金箔置き師・吉田 好孝」

仏壇や仏具に金箔を施す名古屋の職人である。父親も同業で、彼はその後を継いだ吉田一家の長男だ。「置き師」とあるのは、金箔は貼り付けるものではなく、下地に置いて馴染ませることでその姿を完成させていく技法ゆえの表現だという。技法が完成されたのはもう何百年も前のことで、歴代下地には漆が使われてきた。仏壇の金箔もお寺の装飾にある金箔も仏像も、同様の手法で続けられている実に伝統的なものである。

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彼の家族は両親と3人の妹。お兄ちゃんは、自由奔放な3姉妹に頼られる存在で、賑やかな家庭にてすくすく育った。父親は正しく一家の大黒柱よろしく常に家の中心に居て、伝統的な仕事をこなす人。若い頃はやんちゃで当時のバイクを乗り回したライダーでもあった。母親は常に朗らかで社交的。そんな家庭での長男がバイクに出会ったのは高校3年の春だった。

「最初は、バイクに乗る奴はみんな暴走族だと思って斜めに見てたから、自分がバイク乗りになるとは全然思わなかった。でもある日、強烈な出来事が目の前で繰り広げられたんだよね。同級生のバイク乗りが集まって、ロックバンドのプロモーション用音源を録音することになったのだけれど、現場に俺も行ったんだ。自分の眼の前を疾走するバイクの姿に強烈なインパクトがあって、完全にノックアウトされちゃった」

そのバイク軍団の中には筆者もいた。彼とはその前から友人だったが、バイク仲間と言う前に、お互い音楽好きという一面で繋がっていた。その後、彼とはバンドを組むことにもなるのだが……。

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最初に手にしたバイクはホンダのXL250である。大ヒットしたXLRより以前のモデル。まだオフロードブームの一時代前でマイナーモデルだったが、個性的なバイクでもあった。高校を卒業して就職するとGL400に乗り換えた。父親の後を継ぐ目的もあって仏壇屋に丁稚奉公を始めたが、休みの日にはバイク三昧という日々。当時は仲間と一緒に、とにかくワイワイ走ることが楽しかったという時期を経て、その後はソロツーリングの魅力にハマる。

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「あの頃は バイクとバンドのことばかり考えていたのかな。でも仲間がだんだん仕事で地元を離れたりして環境が変化してきた。俺も仕事に真剣に向き合うようになったと思うよ。丁稚奉公が終了して家に帰ってきて親父と一緒に仕事を始めても、バイクは降りなかったなぁ。ソロで長旅することは随分特別な時間で、そんな日常が今の自分を作ってきたのだと思う」

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GL400はその後SR400やCX400ユーロへと乗り換えて行ったが、どのバイクでも北海道から九州までひとりで走り回った。長い休みを取ることはできないが、とにかく行ってみたい場所には行く。宿泊場所は予約もしない無計画旅。でもそんな旅先での出会いやエピソードは、困難な状況も全部含めて楽しいものだった。思いがけない事が起こるのが旅の醍醐味でもある。

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最愛の奥さんとの出会いもまたバイクがきっかけとなった。オフロードのレースに出場していた彼の所に、友人の紹介で引き合わされたのだという。彼女はバイク乗りではないが、結婚後も彼の趣味にまったく抵抗を示さなかった。そしてその後4人の子宝に恵まれた。流石に子育てで奮闘中の時期にはロングツーリングに出ることが少なくなったものの、バイクは手放すこと無く所有し続けて、ある日、少し成長した子供たちから「父さんは好きなことを遠慮しないでやれば良いよ」という言葉を受けて、また乗るようになった。

「息子の言葉は本当に嬉しかったな。ハーレーはそんな時期に買ったんだよね。普通二輪の限定を解除したんだ。もう400ccクラスに欲しい車種が無い気がしたのと、自分のライフスタイルにはハーレーのスポーツスターが一番合うと思ったからさ。うん、今でもそう思っているよ」

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彼のスポーツスターは2004年モデル。以前のリジッドエンジンマウントだったハードなスポーツスターから、ラバーマウントエンジンに変更された初期型で、ツアラー的な要素が加わったロングセラーモデルになったバイクである。新車で購入してすでに21年が経過したが、きっともう乗り換えることはないだろうと言う。普段はシンプルな外観で気軽に乗り、ロングツーリングの時はウインドシールドを装備し、大きなキャリアに荷物を積んで出かけていく。彼にとって、このスポーツスターは完全にone of themたる存在である。

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仕事は金箔置き師。昔のように仏壇や仏具に施すだけの職人では食っていけない時代だから、彼の仕事は多岐にわたる。お寺の装飾品からお店の看板。レストランや店舗の内外装なども手掛けて、全国各地を飛び回る。道具はシンプルだから、身軽でどこにでも出かけていく。そもそもバイク乗りはフットワークが軽いのだ。そして、その仕事の耐久性は100年どころではない。彼は時代の流れに翻弄されながらも、伝統の文化を自身のフットワークで可能な限り実践し続けているのだ。

ハーレーもまた、100年以上空冷のVツインエンジンに拘ってきたメーカーである。決して止めないそのアイデンティティは、どこか彼の仕事と共通するものを感じる。そんなスポーツスターのエアークリナーカバーには、金箔が施されているのだった。

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彼は古い友達である。最近、時々また一緒に走るようになった。北海道やら九州やら、紀伊半島やら。目的地で落ち合って共にキャンプを楽しんだり、大好きな民宿で夜中まで話し込んだりする。笑顔が優しい男で、話の内容はほとんど彼の家族の自慢話やエピソードなのだが、家族想いの彼らしいその姿を眺めているのが僕はとても好きなのだ。

走りはそれほどアグレッシブではないが、淡々と良く走る。疲れない走り方を常に実践しているライダーだ。そして本当にニコニコと笑顔で走っていることが多い。キャンプも好きで、寝泊まりに不安も不満も言わないから、長旅向きなライダーであることも間違いない。

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彼はきっと、足腰立たなくなるまでこのスポーツスターに乗り続けることだろう。もう他のバイクに乗り換えるわけがない。買い足すことも無いだろう。様々なバイクに育てられてきた彼のバイクライフは、この一台にたどり着くまでの大切なストーリーだったに違いないのだ。もうどこから見ても、「俺とお前」の仲である。頼りがいのある相棒は今日も絶好調で、富士山麓を走り抜けて行った。

ライター プロフィール
森下 光紹(モリヤン)
旅好き野宿好きで日本全国を走り回り、もう足を踏み入れていないエリアがほとんど残っていないと笑う。とにかくバイクで行かないと気が済まないから、モンゴルとカザフスタンの国境まで気の合う友人と行ってしまったこともある。乗って行くバイクはいつの時代もポンコツで、メンテも得意な自称ポンコツ大魔神。本業はカメラマンで、人生行く先々のどんなシーンでも写真に収めるのがライフワークのひとつ。その人生訓は「我が生命は水が如き」という。

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