ライダーインタビュー【モーターサイクル・ザン・パラダイス Vol.12】森下 義昭さん

掲載日:2025年05月06日 フォトTOPICS    

取材・写真・文/森下 光紹

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Vol.12 森下 義昭(もりした よしあき)

何十年も同じイメージで乗り続ける
孤独なライダーのカッコ良きこと!

バイク乗りになるきっかけというのは人それぞれだと思うが、特に男性の場合、やっぱり憧れの存在だとか目指す姿みたいな指標が明確な場合が多い。それは映画のワンシーンであったり、偶然見つけてハートに焼き付けてしまった光景だったりするものだ。僕の場合もそんな典型的なパターンで、映画「大脱走」のスティーブ・マックイーンへの憧れだったりするのだが、もう一人揺るぎない憧れの存在があった。それが今回紹介する実の兄なのだ。もしかして、そんな人って多いのではないかなぁ。というわけで、今回は3歳年上の兄貴を語りながら、自分にとってのバイク観がどのように形成されていったのか紐解いていこうと思う。

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兄はいつの時代でも凛としていてカッコ良かった。それは幼児の頃の白黒写真を見てもすぐに分かる。僕はまだ1歳数カ月で三輪車にも乗れないちびっ子だが、自信無さ気な表情の弟を守るようにして三輪車のハンドルを握る兄の姿は、実に凛々しく力強く、正義感や責任感に溢れているのだ。かっこいいぜアニキ! という感情は、その後65年経ってもまったく揺るぎない。

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僕が幼稚園に通う頃、お絵描きに記名されているのは自分の光紹という名前ではなく、兄の義昭という名前だった。ひらがなで「もりしたよしあき」と全部書いてあるのだ。その理由は、「兄になりたかった」というもので、強烈な憧れがあったことがよく分かる。何でもできて、自分より全てに秀でている兄貴に憧れすぎたから、自分の名前をお絵描きに書くことができなかったのだが、そんな兄は当然自分より先に中学生になり、高校生になった。そしてなんとバイクの免許を取得して、ライダーになったのだ。今回、なぜバイク乗りになったのか始めて聞いてみたが、その答えは実に兄らしいものだった。

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「高校生になると少し大人に近づく感じがするじゃない。それで免許が取れるということにときめいたんだな。まずは原付き免許、その後限定解除して自動二輪免許。18歳で普通車の免許を取得することが大人の階段を登るイメージだった」

兄が最初に乗り出したのはホンダのSS50というスーパースポーツだが、当時は旧型扱いで安く新古車が買えた。父親は、バイク乗りにまったく反対の姿勢がなかったし子供の成長を嬉しそうに感じていたから、その後CB125にステップアップし、CB450エクスポートにも乗り換え、ついに当時の若者がみな憧れたCB750FOURも兄は手に入れた。1971年型のK2モデル。それは少年チャンピオンで連載が始まったばかりの750ライダー「ナナハンライダー」に登場するひかる君のモデルと同じで、そのカッコ良さは「漫画より兄貴が上」だった。

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水泳部で鍛えた身体はスレンダーで筋肉質。ロングヘアーがよく似合うキリッとした顔つきで、ベルボトムジーンズを粋に着こなし、自分の部屋でガットギターを弾いていたりする。よく聞いている音楽は、ビートルズやミッシェル・ポルナレフだった。その当時の僕はイガグリ頭の中学生で当然バイクに乗ることはできず、自分の年齢を恨み倒していた時期だ。バイク雑誌を買っては読み漁り、深夜放送を聞きまくってヤサグレていた。実はナナハンライダーになる前の兄貴に、「この450は僕が免許を取ったら譲ってね」とお願いしていたのに、兄はすっかり忘れてCB750に乗り換えたのだった。ナナハンは重くて大きく、そんなスーパーバイクを操る兄は凄すぎて孤高の存在。絶対に自分では乗りこなせないだろうと思ってがっかりしていた記憶がある。

その後、兄はクルマの免許を取得して、なんとハコスカのハードトップを手に入れる。僕はやっと16歳になってカワサキのZ400RSを購入。兄が乗っていたCBナナハンを勝手に下取りに出して買ったヨンヒャクは、あまりに大人しく素直なハンドリングだったことが何だか不満で,すぐにCB500FOURに乗り換えた(またナナハンじゃないところが弟)。

当時の兄はバイクを手放しクルマ三昧だったのだが、やはりバイクの楽しさを忘れられずに復帰。カワサキのW1や小型バイクのダックスなどにも乗っていた。

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「僕は大勢で群れることが嫌いでさ。いつも一人でバイクには乗っていたね。当時CBナナハンは暴走族の御用達だったから、ちょっと迷惑だったな。購入したナナハンのカラーがホワイトスネークのチーム色だったから、タンクの色を塗り替えたりした。バイクはソロで楽しむもの。その感覚は今でもまったく変わらないね」と言う兄貴。ロンリーウルフを貫いている。

兄弟揃ってバイク乗りになったが、不思議なことにふたりでツーリングに出かけたことは一度もない。社会人になって、僕は上京しカメラマンとなり、兄は様々な職を経験しながら、自分の会社を起こし、中古車販売の店を運営するようになった。その間も様々なバイクを乗り継いでいるのだが、聞くとそのほとんどがいわゆるトラディショナルバイク。クラシカルな物やツアラー色の強い物。国産のアメリカンモデルやハーレーも数台乗り継いでいる。意外と飽き性だが、選ぶモデルには統一感があるのだ。しかしあまり長距離ツーリング等に使用することはない。

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「バイクは気持ちの良いライディングそのものを楽しむアイテムだね。僕の欲しいシチュエーションがあるんだよ。大好きな空気感とでも言うのかな。その瞬間を楽しむために乗っているのだと思うよ」

僕はバイク好きがエスカレートして、どこでもバイクで行かないと気がすまなくなり、日本中を駆け回るロングディスタンスライダーになったが、バイクに求める気持ち良さは兄とまったく同じである。大好きな空気感。それはエクスタシーの領域なのだと思う。

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最近僕は、兄から譲られるはずだったCB450をとうとう手に入れた。1970年型のエクスポートは昔兄が乗っていたモデルとまったく同じである。それに乗って、今回は兄を訪ねてみた。

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現在の兄はクルマ屋稼業も営みながら、オリジナリティ溢れる手作りカフェを経営している。手先が器用だからお店も自宅も全部手作り。店はテントハウスをカスタムしたもので、自宅は発泡スチロール製のキットハウスを改造してある。その隣には自分のアトリエも自作。愛知県の知多半島に土地を買い、そこでユニークな暮らしを夫婦で始めたのだ。現在乗っているバイクはハーレーのロードキングで、気が向くとふらりと出かけて行く。コーヒーと五平餅、そして夏はかき氷がメインメニューのカフェ「海の茶屋」には多くのバイク乗りやクルマ好きが集まってきて、オフ会も開かれているようだ。

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久しぶりにCB450に乗った兄をハーレーで追いかけながら写真を撮る。初夏のような日差しの知多半島を気ままに兄貴の背中を見ながら走るのは、なかなか楽しい瞬間だった。そしてその後はハーレーで走ってもらって撮影。これが実に良く似合うのだ。やはり格好良い兄貴はそのままだった。顔には深いシワが刻み込まれた69歳は、以前と全く同じ表情で柔らかく微笑む。僕は、老いた両親の世話を全部兄貴に任せて自由に楽しく生きさせてもらったから、まったく兄貴には頭が下がる思いだが、そんな弟をいつも優しく包み込む凛とした兄貴はずっと変わらないでいる。昔のままなのだ。どれだけ時間が経過しても、時代が変化しても、兄貴はやはり僕にとって憧れの存在なのだった。

ライター プロフィール
森下 光紹(モリヤン)
旅好き野宿好きで日本全国を走り回り、もう足を踏み入れていないエリアがほとんど残っていないと笑う。とにかくバイクで行かないと気が済まないから、モンゴルとカザフスタンの国境まで気の合う友人と行ってしまったこともある。乗って行くバイクはいつの時代もポンコツで、メンテも得意な自称ポンコツ大魔神。本業はカメラマンで、人生行く先々のどんなシーンでも写真に収めるのがライフワークのひとつ。その人生訓は「我が生命は水が如き」という。

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