掲載日:2024年12月13日 フォトTOPICS
取材・写真・文/森下 光紹
Vol.3 塚本 正信(つかもと まさのぶ) 美恵子(みえこ)
バイクって、何のために乗るのだろう。目的があって乗るものなのだろうか? きっとその答えはYESでもあるだろうし、NOでもある。乗ることが目的ってことだって多いし、バイクを走らせながら、「なんでまたこんな過酷な環境でバイクに乗っているんだろう」などと自分で疑問になることだってある。
そんな時は「もう帰ろう」と我が家に向かって走り出すのだが、数日もすればまた走り出している自分がいる。その時も、走る目的はあったりなかったり。きっと走るための理由なんて、どうでも良いのだろう。バイクが好きって、たぶんもっと感覚的なものなのだ。だから大雨でずぶ濡れになった次の日も、気分が良ければバイクで出かける。天気が回復して気持ちの良い朝が迎えられたりしたら、小躍りして愛車の側に行く。今回は、そんな人生をずーっと続けてきた大先輩を紹介しまーす。
塚本 正信さんは、現在77歳のレジェンドライダー。16歳から今まで一度もバイクを降りたことなど無い生粋のバイク乗りである。そんな人の少年期はもちろんやんちゃで自由奔放。当然のように免許取得前から原付バイクに乗るなんて時代的には当たり前で、しっかり資格を手に入れてからはスポーツカブを乗り回していたそうだ。
「バイク歴かい? そんなのもういっぱい乗りすぎて名前とか順番とか忘れちゃったよ。僕は東京の世田谷育ちだけど、昔はまだまだ田舎でね。田んぼや畑の中に広い環状線道路が出来始めた頃さ。全然繋がっていないから、クルマもあまり走ってない。だから理由もなくすっ飛ばしてたなぁ。アハハハ!」
国内の4メーカーはどんどん発展して新型車を発表する。まだナナハンが登場する前だが、大型バイクも次々に乗った。ツインエンジンが好きで、カワサキのダブワンやホンダのCB450。ヤマハのTX650等がお気に入りだったという。
「トライアンフやノートンとかにも乗ってたね。昔はさ、ノーヘルだったからバイクってのは開放的で自由の象徴みたいな存在だった。第三京浜ができると、みんなですっ飛ばして湘南ばかり行っていたのが僕の青春時代だね」
そんなやんちゃな塚本さんだが、お父様は警察官で、実に厳格な家庭で育っている。大学生の時代には学生運動に傾倒、ゲバ棒持って集会に参加しても、家族のことを考えると紛争地から逃げるのは人一倍速かったと笑う。そんな機敏なところも、バイク乗りだったからこそなのかもしれない。
社会人になると、某有名デパートの営業部門で辣腕を振るい定年まで勤め上げた。サラリーマン時代に先輩から言われたのは、「ただの仕事人で終わると定年後の人生が空虚になるから、趣味を作ること」塚本さんは日常的にバイク乗りだったことから、バイクは自分の生活そのもので、他の趣味と言われてもなんだかピンと来ない。ゴルフ? 釣り? いや違うな。釣りなんて、魚がひっかかるまでそこでじっとしているなんて、好きな奴の気がしれない。というわけで、やっぱり趣味もモーター系やアウトドアライフにキャンピングカーを楽しむスタイルになっていった。
「ピックアップトラックはバイクが積めるし、トレーラーを引いてもバイクをフィールドに持って行けるでしょ。楽しみが二倍になるよね。それが僕の旅のスタイルになっていったかな」
ハーレーにも長く乗っていて、最初の愛車はショベル時代のワイドグライド。まだ笹塚の村山モータースが輸入元だった時代、25歳の青年だった塚本さんは、店に顔を出しても相手にされなかったが、足繁く通って顔を覚えてもらい、お店の外の掃き掃除までしてスタッフと懇意になってついにハーレーをゲット。その後も数多くのハーレーを所有してきた。
奥様の美恵子さんもまたバイク乗りである。夫婦でハーレー乗りという時代は、美恵子さんがママとしてお店に立つ「カフェバーM」を開店して、そこに集うお客さんを連れてアメリカツアーも数多く企画した。40歳を過ぎてからバイク乗りになった美恵子さんはたちまち覚醒して、その時代は奥様のほうがバイクで出かけることが多かったという。塚本さんはクルマでサポート。そんなバイクライフも楽しかったと話してくれた。
「6ボルト時代のホンダダックスとか、ハーレーは大昔のWLや自分の生まれ年のパンヘッドも所有していた。94年型のFLHウルトラには20年以上乗ったかな。ビューエルも好きで今でもS1ライトニングを所有しているんだ。本当にバイクやクルマで遊んだ人生だよね。僕のガレージにはそんな思い出がいっぱいいっぱいあるんだよ」
バイクを載せたトレーラーを引っ張るスズキのジムニーは、もう30万キロをオーバーした。お気に入りのピックアップトラックも健在だ。最近、重いハーレーの稼働率はさすがに下がったらしいのだが、夫婦で楽しむために持っている2台のホンダFTR250は現役バリバリである。この取材中にもFTR用のバッテリーが宅急便で届いた。ガレージには整備途中のFTRのシートが外されていたが、このバッテリーを取り付けて出かける計画があるのだろう。
「いくつになってもバイクは止められないねぇ。仲間もみんなバイクが縁で繋がっているのだし、僕の人生はバイクと共にあるってことだな。この先もずっと同じだと思うよ」
退屈だから釣りはやらないと笑った塚本さん。ニカっと笑うその表情にピンと来たのは、清水の次郎長伝に出てくる森の石松だった。無邪気で破天荒、人情に厚くおせっかいだが、喧嘩っ早いのが玉に瑕だ。
その石松が次郎長の代参で金毘羅参りの帰り道、お堀端で釣りをやってみるが、ちっとも上手く行かずに「えーい、こんなものやってられるかこんちきしょう!」と最後は大きな石を流れにブチ込んで笑っているというシーンがある。
塚本さんの無邪気なところは石松そっくりだと思うが、メンバーを束ねてアメリカツアーを企画するところなんざ親分の次郎長ばりでもある。思うに江戸の渡世人はみな旅人。バイクは無いから徒歩での道中だが、旅に出るのを「長いわらじを履く」と言う。現代の旅人としてバイク乗りを考えれば、なるほど似たものどうしなのかもしれないなと、僕は感じるのだった。さて、ではまたそろそろ、「長いわらじ」を履きますか。
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