掲載日:2025年01月14日 フォトTOPICS
取材・写真・文/森下 光紹
Vol.5 三輪 日出雄(みわ ひでお)
前回のザンパラで紹介したライダーは、とことんドゥカティに惚れ込んだ青年だったのだが、今回もまたそんなライダーを紹介する。とはいえ、年齢はぐっと上がってもう60代の後半だ。ということは、筆者と同じ歳。さらに言うと、実は少年期から僕のバイク仲間だった高校の同級生なのである。
仕事はトヨタ自動車のインダストリアルデザイナーで昨年引退したのだが、その直前まで第一線で活躍し、数多くの作品を生み出してきた敏腕カーデザイナー。そんな新しさを追求し続ける仕事を長年続けている彼のバイクは、なんと実にアナログで古いバイクと一般的には感じる、モトグッツィのルマン2改なのだ。他にも2台のバイクを所有するが、すべてがモトグッツィ。エンジンは伝統の空冷V型縦置きツインでOHVという、トラディショナルなモデルしか乗らないのである。
長年の友達なので、三輪くんと呼ばせてもらおう。もう付き合いは50年にもなるのだが、お互いに一度もバイクを降りたことはなく、自分の人生にはバイクが欠かせないというスタイルである。違うのは、僕は様々なメーカーと排気量のバイクを散々乗ってきたのだが、彼は21歳から今までモトグッツィにしか乗っていないということ。今回は、その理由を掘り下げたいと思うのだ。
「まぁ、さすがに最初からモトグッツィというわけではないからね。免許は大型二輪のカテゴリーができる直前に取得したから最初から何でも乗れる資格はあったけれども、モトグッツィなんて名前も知らなかったよ」
確かに、高校生の時代には憧れのバイクみたいな話はしていたと思うが、当時のヤングライダー(死語か)の憧れは、ホンダのCBナナハンか、カワサキのZIIやマッハIIIだったはず。しかも実際に乗れるのは中古で購入した250のスポーツバイクがギリギリで、それでも最高に楽しいバイクライフだった。
「だからお前の兄貴から買ったヤマハのHT90が最初で、その後はDX250やホンダのCB250に乗り換えた。高校卒業後トヨタに就職して給料で買ったのがヤマハのGX750。たぶん、そのあたりで自分のライディングスタイルが分かってきたのかもしれないね」
彼はいわゆるツーリングライダーである。通勤や通学でバイクを実用的に使う目的はほぼなく、完全に趣味だ。学生時代から現在まで、その点はまったく変化していない。収集ぐせもなく、とにかく走ることが大好きで、暇をみつけてはかならずどこかに走り出す。それが途方もない長距離でも、ほんの数時間のショートランでも同じスタンスでバイクに乗る人なのだ。
さて、問題のモトグッツィだが、出会いはいわゆる一目惚れだったらしい。
「GX750で初めて行った北海道ツーリングの帰りに、東北も走ろうってことで岩木山に行っただろ。そこで転んでガソリンタンクをヘコました。だから新品のタンクを注文して、お店に取りに行ったわけだが、そこにルマン2の新車が展示してあったのさ」
岩木山の転倒は僕の眼の前だったからよく覚えている。急減速したトラックの下に吸い込まれるようにして転倒したが幸いにも怪我はなく、バイクの損傷もタンクの傷くらいだった。その後もツーリングは続行して家まで帰って来たのだが、その後三輪くんは。「GXのタンクを買うか、XS1100に乗り換えようか悩む」とか言っていたはずだったのに、ある日突然聞き慣れない音のバイクに乗って我が家にやってきたのだった。「へっへっへ、ルマン買っちまった」とか言いながら。
「タンクは買ったんだけど、一晩だけ考えてルマンを買うことに決めたんだ。なぜって、そりゃもう新しさがテンコ盛りなデザインだったからだよ。トラディショナルなエンジンとかより、何しろ斬新なスタイリングに惚れ惚れしちゃった。乗ったことは無いのだから乗り味なんてさっぱり知らないし、ハンドリングがどうとか考えてもしかたがない。とにかく惚れちゃったんだからしかたがないよね。嫁さんもらう時みたいな感覚なのかな。とにかく一緒に暮らして、後のことは後でゆっくり考えよう。みたいな」
当時の年齢は21歳。まだお店のローンなどもシステムがあったわけでもないのだが、ショップの大将は「月賦にしてやるよ」と心意気で売ってくれたという。そして手元に来たルマン2だったが、やはり強烈な個性の持ち主だった。当時の雑誌記事では、「時速200キロで巡航可能なスーパースポーツ」みたいな表現がされていたので、さぞかし強烈なハイパワーバイクかと思いきや、スタートダッシュは実にのんびりしているし、アクセルのオンオフでの上下動や横揺れなど、国産車とはまったく違う性格に戸惑うことになったと笑う。
「右コーナーと左コーナーのハンドリングが違うし、アクセルの使い方を誤るとどこに行くのか分からない。ブレーキも握り込まないと効かない。正直、なんだこりゃぁというのが最初の印象だったけど、使い慣れるとシャープに走れるようになるんだ。モトグッツィ独特のスポーツ感覚なんだよね。それが楽しくてしかながなくなると、もうグッチ沼から抜け出せなくなる。そして、そんなライダーと大勢友達になってしまって、ますます泥沼にハマっていくんだなぁこれが(笑)」
ルマン2が新車だった当時の国産車は、和製アメリカンバイクが大ブームだったが、カスタムには厳しい時代。ハンドル1本交換しても違法扱いされ、もちろんカウリングの取り付けやセパレートハンドル等はもってのほかという規制が強烈だった。輸出モデルのスズキ刀1100も国内モデルの750は、耕運機みたいなアップハンドル仕様にデザインされてがっかりという時代だったのだ。ルマン2は、フルカウルに身を包むスーパースポーツで、ハンドルバーは低く身構えたクリップオンタイプのセパハン。そのシルエットは、強烈な印象を世に放つ存在だったのだ。
「仕事柄、新しいものが大好きだからね。でも優れたデザインには普遍性というのもあるからさ。ルマンにはそこを感じたんだと思うよ。だからきっと40年も乗っていられるんだな」
三輪くんのルマン2は、現在そのシルエットがほぼルマン1となっている。それには理由があって、長年のライディングによるアクシデントで、ノーマルのカウリングが破損して修理不能となったのだ。その結果シンプルなルマン1のスタイリングへと変化していったのである。小型になったアッパーカウルは、純正ではなく、グッチスポルト神宮寺製作のレプリカ。コックピットを良く見ると、インジケーターランプにルマン2時代の面影が残されている。40年以上乗り込んで、初期型のスタイルに落ち着いたのは長く乗ってきた彼のライディング歴を象徴している証でもあり、その優れたデザインが元々魅力を失わないことを証明していることでもある。だから、デザイナーの彼はこのバイクを長く愛しているのだろう。
彼の現役時代の作品を代表するのは、世の中にバカ売れしたプリウスの3型や、日本中のタクシーが長年最も採用したクラウンコンフォート。スポーツカーでは2代目のMR2などがあるが、どれもがすぐにスタイルを思い出すモデルでもあるし、時代を象徴したモデルでもある。その他にもモーターショーに出品したPMとかi-unit等のコンセプトカー等も手がけてきた。つまり、徹底的に新しいアイデンティティをデザインしながらも、不変の魅力も追求してきた人なのだ。
現在所有するバイクは、ルマン以外に2台。以前はスーパースポーツモデルの1100スポルトも所有していたが、それを手放して長旅用のカリフォルニアビンテージを購入した。長旅用につき、この10年でルマン2の走行距離を追い抜いたが、こちらもまた手放す気配はまるでない。そして、数年前に1960年代の本格的ビンテージモデルである850GTカリフォルニアを手に入れた。まさしく泥沼だ。
「やっぱりルーツを感じたくなると本当のビンテージモデルにも乗ってみたくなるんだな。贅沢な趣味だと思うけど、趣味だからねぇ。モトグッツィ沼というのもあるけれども、元々バイク沼に16歳の俺を引きずり込んだのは、他ならぬお前だからな!」
なるほど確かにそのとおりだ。しかしお互いに、「バイクに育てられた」と言っても言い過ぎではない。乗り継いだ車種はお互い違うものの、バイクライディングに求めているイメージは共通なのだと思う。そして、まだ見たことのない世界……それは場所だったり、人だったり、出来事だったり様々なのだが、自分の相棒であるバイクを駆って手にしたいと思うのだ。
息を吸うように、眠るように、時には躍動しながらモトグッツィに乗り続ける。それは彼のいつもの自然体であり、三輪くんそのものの姿である。そこには無理も無駄も排除された優れたデザインそのものが存在すると、僕はとても感じる。カーデザイナーを引退後の彼は、作品展の開催やデザイナーの講師としての役割をになうこともあって多忙だが、3台あるモトグッツィのライディングを止めることは決してないだろう。
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