ヨシムラと言えばマフラーだ。1971年、先代POP吉村が考案した集合管は、その後の4ストロークバイクの姿を大きく変えてしまったほどだった。けれどもヨシムラが1954年創業以来、ずっとエンジンをトータルでチューニングしてきたことも忘れてはならない。そのひとつが吸気系の要、キャブレターだ。そして1992年、2代目の吉村不二雄さんが発明した『MJN』(マルチプル・ジェット・ノズル)は、それまでのキャブレターの常識を覆すものだった。
通常のキャブレターは、ジェットニードルと呼ばれるテーパー形状の針と、これがスロットル操作で上下動し収まる筒状のニードルジェットのすき間から主燃料が吸い出される仕組みだ。このメイン系で燃料の計量を行なうのは、ニードルジェット下部(燃料を溜めておくフロートチャンバー内)にあるメインジェットだ。そしてメイン系とは別にスロットル全閉付近での燃料は、別経路のパイロット系(ミクニの呼び名。ケイヒンだとスロー系)があるが、これは極小さな穴から吸い出される。
ジェットニードルとニードルジェットの隙間はキャブレターのメインボア下部にある。ジェットニードルは先細のテーパー状なので、スロットル開度によってこの隙間の大きさが変わる(燃料増減)が、位置は同じ。ところが流速が速い(負圧が高い)のはメインボア(ベンチュリー)中心部で、キャブレターの壁に近い部分は、実は流速が遅い。これでは吸い出しの効率が悪い。それに半~全開など、スロットルバルブが大きく開いた状態では、吸い出される燃料がメインボア下側に偏ってしまい、理想的な霧化とは言えない。
MJNはジェットニードルの代わりに細いパイプを使い、この横に開けられた多数の孔からメインボア全体に燃料が吹き出す。高い吸入負圧を効率良く使えるので混合気の霧化が促進され、燃焼室への混合気の充填効率も高いのだ。
MJNの発想はどこから出てきたのだろう。吉村不二雄さん(ヨシムラジャパン社長)は、’80年代後期のライバルファクトリーチームとの激しい戦いの中で突然ひらめいたと言う。
「発売を開始したのは1992年だけど、開発を始めたのは油冷機でレースをしていた1988年頃だった思う。油冷GSX-R750のレース用キャブは、パワーを上げたいからφ36mm、φ40mmと、どんどん大きくなっていった。こうするとパワーは確かに上がるけれど、過渡特性、レスポンス、燃費は悪くなる。ボアが小さいうちはそれほどでもないが、ビッグキャブでは…。こうした問題はビッグキャブを使ったことがある人は経験でわかると思う。全閉からはなかなかツイてこないでしょ。何とかならないかと思っていたら、あるとき突然ひらめいたんだよ。ボア中心に孔も設置する方法が」
それは横孔を開けたMJNノズルを、ジェットニードルの代わりに使う方法だった。こうすれば燃料が吸い出される孔が、ちゃんとメインボアの最適位置に設けられる。MJN以前にも、ジェットニードル部に溝を設け、そこを燃料が這うように上がっていく効果があるキャブレターがあった(レクトロンなど)。ただ、どれも全開域では良くても、過渡特性が出せない、セッティングが非常にシビア(ジェットニードルに相当するパーツの形状・寸法が特殊)など問題があった。
「最初は1/4開度ごとに孔を設けていて、片側4個しかなかった。孔の大きさも全部同じじゃなかったかな。とにかくやってみようと。こんな大雑把なヤツでも効果はすぐに確認できた。エンジン音も違っていたね。これはイケると感じたよ。試作パイプは旋盤で手作りした。テストではダグ・ポーレン選手(当時ヨシムラ在籍。1989年全日本TT-F1&F3ダブルチャンピオン)にも乗ってもらった。でも、ここからが大変だった」
ジェットニードルと外径がほぼ同じの極細パイプに、さらに小さな横孔を開ける。この製作精度が勝負なのだ。キャブレターのジェット類も1/100mm単位の精度。つまり超精密加工が必要で、こんなことは他業種でもあまり見当たらない。
「2年ぐらい苦労したかな。レーザーで開けたりね。最終的には機械的にドリルで開ける方法が一番精度も出て仕上がりもキレイなことがわかった。孔の位置、大きさ、数もいろいろ試した。それにMJNノズルとノズルガイド(筒)のクリアランス、耐摩耗性(材質、表面処理など)もいろいろ検討しなければならなかったから、時間がかかった。毎回交換してもいいレース用ならまだしも、一般のお客さんが長く使うには、耐摩耗性は重要だからね」
ドリルと言うとハンドドリルを連想するが、ここでは違う。もっともっと小さな孔を精度良く開ける加工機のことだ。MJNノズルはムク材から加工して製作するが、市販に向けてヨシムラでは、ムク材の断面中心に長い孔を開けてパイプにする“中ぐり加工”のMJN専用NC機(コンピュータ制御機)を導入するなど、設備投資も行った。
MJNの利点のひとつは、既存のキャブレターの基本構造を変えずに転換できることだ。簡単に言ってしまえば、ジェットニードルをMJNノズルに、ニードルジェットを専用のノズルガイドに交換するだけなのだ。コストを抑えられたことは、結果ユーザーに還元できる。
「ミクニさんにTMRという高性能なキャブがあったからこそ出来たとも言える。昔のキャブと比較したら精度も性能も全然違う。旧いCB750FOURやZ1にTMRを装着したら、これが旧車か?と思うほど変わる。スムーズで扱いやすいし、パワーももちろん出る。MJNにすればさらにスムーズになる。昔のキャブではこうはならない」
「MJNにしてみると、通常キャブよりメインジェットが小さくできる。これは霧化が良いから少ない燃料を効率良く使えるからで、結果として燃費も良くなる。もちろん過渡特性が良い。総じてスムーズになるし、高開度域ではレスポンスも上がる。ネガらしいネガは見つからないよ」
MJN装着車に乗ってみると、通常のキャブレターよりもスムーズさが際立つ。これは車種を問わず言えることだ。また、MJNはセッティングの容易さも利点だ。極端に言えば、MJNノズルは4気筒用ならばミクニTMRのラージボディ用と、スモールボディ用の2種類でよく、あとはジェット/スクリュー類でセッティングすればいい。(市販されるキャブレターのMJNノズルは、多種ある中から車種毎に最適なものを組み込んでいる)
「やってみてわかったんだけれど、1種類のMJNノズルで多少のボアサイズの違いもエンジンの違いもカバーできてしまう。エンジンの吸入負圧で、必要とする分だけ無理なく効率良く供給できるからなんだと思う。対して通常キャブのジェットニードルの選択は大変だよ。ストレート径やテーパー形状の違うものがいろいろある。これはレースの現場では大変な作業になる。ベンチでいくら基準セッティングを確認しても、現場では条件が違ってくるから。レースにおいてセッティングの容易さは大きなアドバンテージになる。もちろん一般ユーザーにとってもいいこと。あとはジェット/スクリュー類を調整すればいいから。その程度ならば、セッティングを楽しめる範囲だと思う」
EFI(電子制御燃料噴射装置)全盛の中で、油冷機などちょっと前までのキャブ車のパフォーマンスアップの可能性を大きくしたMJN。キャブレターならではの良さも再発見できる。
少ない燃料で効率良く燃やせるのだから、当然排気ガスもクリーンになる。CO(一酸化炭素)やHC(炭化水素)も低減する。
「EFIになったのは環境問題などから仕方がないこと。EFIの方が生産性も良いしね。でも、キャブだってまだまだイケたはずで、可能性を残したまま終わってしまった。MJNはエコラン競技に使われるほど燃費も良いし、燃焼が良いから排ガスもクリーン。だからキャブ仕様のバイクをMJNにすれば、発売当時よりもパフォーマンスが上がって、かつエコでクリーンに楽しめるよ」
エアファンネルは昔から“低速型なら長い、高速型なら短い”というのが常識だ。この両方の特徴を得ようと’90年代中期にレースで流行ったのが“可変ファンネル”だった。当然ヨシムラもトライした。しかし可変ファンネルはモーター駆動で応答性が悪く、設定も難しく、製作コストもかかった。こうした理由から、バイクのレースでは姿を消した。市販車では、並列4気筒なら両サイドの2気筒を短く、中央の2気筒は長く、といったファンネル設定が出てきた。そこで2005年、ヨシムラは長短両方の特性を備えた2段構造の“デュアルスタックファンネル”を、レースで実戦テストを始めた。
「長さや隙間の設定はいろいろ試したよ。吸気抵抗になってはいけないしね。これが現在最良の形状。このデュアルスタックファンネルもMJN同様に発想があって、それを実践してわかったことが多い。ただ理屈で進めてもダメ、やってみないと。やってみてそれがどうして良いのかは、あとで解析して理屈や理論が付いてくることもある。集合管もそうだった」
TMR-MJNと組み合わせれば最強だろう。ちなみにエアファンネルは、英語では“ヴェロシティスタック”と呼ぶことが多いので、デュアルスタックと命名された。
「趣味の世界では、MJNやデュアルスタックファンネルのようなアフターマーケットのチューニングパーツは、これからも必要だと思う」
「キャブの可能性はまだまだある。だからアジアで人気の小さいエンジン用に、ヨシムラ独自でキャブも製作した(YD-MJN)。EFIじゃアジアのユーザーがイジり切れないから。レースやチューニングの普及活動は、今後アジアでは大切な仕事になっていく。まあ、こうした趣味の世界は乗って、イジって、また乗ってと自分の好みにして、そのパフォーマンスアップを実感していくことで価値観が増してくる。そこに大人のバイクの楽しみがあると思う」
実機でのMJNが作動する様子は想像以上だ。燃料を非常に微細に霧化(マイクロミスティング)していることがよくわかる。特にスロットル開度が大きくなると、霧化はさらに微細化して、その白い霧がボア全体に広がっている。ボア中心部の高い吸入負圧を利用できるMJNならではの霧化の様子だ。これを見ると、通常キャブのように下部の1個所からではなく、ノズルの多孔からボア全体に燃料が吸い出されるMJNの利点は決定的で、その理論と構造の素晴らしさにあらためて驚かざるを得ない。
MJNノズルから吸い出される燃料の勢いや霧化は想像以上で、これを見れば理論だけで正しいことを充分に納得させられる。そしてキャブレターという超精密部品の作動、機能、構造を知ることで、それを持つ価値観はパフォーマンス以上に高まる。また、キャブレターが見えるバイクなら、MJNキャブレターは存在感充分な外観を持っている。ヨシムラらしい、ちょっと不気味で高級感溢れるボディカラーで、ヨシムラのコーポレートカラーでもあるレッドがアクセントになっている。やっぱりMJNキャブレターは中身でも外観でも、違いを見せつける(MJNはヨシムラジャパンでの実用新案登録済の商品です)。
どんな高性能キャブレターでも整備は必要だ。長く使っていれば摩耗するパーツもある。そこでヨシムラは、以前からキャブレターのオーバーホールや仕様変更(違うエンジンへ換装の際に伴うピッチ変更や通常キャブレターのMJN化など)のアフターサービスを行ってきた。ベースとなるキャブレターは、TMR-MJN/TMR(ジェットニードル)キャブレターのみ。パフォーマンスを維持しながら長く使うには整備が欠かせない。こういったサービスがあれば長く愛用できるので、決して高い買い物ではない。
ここも非分解部分。通常のパーツリストには載っていない。キャブレターのプロが診断し、作業してくれるのだから、安心でありがたい。
基本工賃やアフターサービスに関する詳細はヨシムラジャパン公式サイトで確認できる。
オーバーホールを依頼する際に、大切なのが受付用紙(写真左)をキャブレターと同梱して送ること。用紙はホームページからダウンロードできる(PDF)が、これを忘れる人が多い。ヨシムラが使う作業内容書(写真右)はユーザーには関係ないが、かなり細かい項目をチェックしながら確実かつ丁寧な作業が行われている。
ミクニTMRにMJNを組み込んである。4気筒、ツイン、シングル用があり、それぞれにラージボディφ36~41mm、スモールボディφ28~35mmがある。車種別設定が豊富で、旧車(CB750FOURやZ1)からカタナ、油冷機、ニンジャ250など幅広くラインアップしている。
ミクニTMRと並んで現行レーシングキャブレターを代表するケイヒンFCRのMJN仕様。TMR-MJN同様専用のブラックボディ+レッドキャップ。ZRX1100/1200、GPZ900Rニンジャ、Z1、SR400/500、NSF100用などがラインナップ。
ヨシムラがボディから設計し、製作した横型エンジン用高性能キャブレター。ダウンドラフトタイプで専用マニホールド、インシュレーターなども用意。ホンダのモンキーやGROMに最適なφ24mmとφ28mm。モンキーのSTDフレーム・タンクに装着可能。
レスポンスの良いフラットバルブのミクニTMにMJNを装備。Ape50/100、XR50/100モタード、NSF100、モンキー(専用マニホールド有)用などがラインナップ。φ22、24、26mm。それぞれデュアルスタックファンネルも用意されている。
ケイヒンCR-miniにMJNを装備。ミニバイク用のφ22mm+MJNは現在でも戦闘力が高い。XR100系の縦型ヨシムラヘッド用、STDヘッド用などがある。ボディはブラックの他にシルバー(MJN仕様)も。
通常タイプのキャブレターをMJN仕様にするインナーパーツキット。ラインナップにはケイヒンCRスペシャルφ29mm用、φ33mm用(いずれもZ1/2用)や、シングルのCR-mini用などがある。また、手持ちのTMRをMJN仕様にするサービスも行っている(ヨシムラで組み換え作業)。
TM-MJNに設定。キャブレター装着に必要なキャブレター本体、専用スロットルセット、エアファンネル、K&Nエアフィルターなどをセットにした便利なキット(ボアアップキットやデュアルスタックファンネルが付属されたキットも設定あり)。単品で集めるよりずっとお得な価格だ。
デュアルスタックファンネルも豊富にラインナップ。これはTM-MJNφ22mm用のショートデュアルスタックファンネル。ミニバイク用専用設計。カラーが3色あるもの楽しい。ヨシムラは近年、ミニバイクのチューニングにも力を入れており、シリンダーヘッド、シリンダー、ピストン、カムシャフトなど、大物パーツも揃う。
1954年に活動を開始したヨシムラは、日本を代表するレーシングコンストラクターであると同時に、マフラーやカムシャフトといったチューニングパーツを数多く手がけるアフターマーケットメーカー。ホンダやカワサキに力を注いだ時代を経て、1970年代後半からはスズキ車を主軸にレース活動を行うようになったものの、パーツ開発はメーカーを問わずに行われており、4ストミニからメガスポーツまで、幅広いモデルに対応する製品を販売している。
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