Text:石橋知也/大屋雄一 Photo:木引繁雄/中尾省吾/前川健彦/PLOT
記事提供 : ロードライダー編集部

掲載日/2012年4月19日

ライダー:テリー・バンス、チューナー:バイロン、ハインズ、パワーの伝説!

このデュオは、アメリカン・ドラッグレーシングの生きる伝説だ。そして、AMAスーパーバイクでも栄光の歴史を刻みこんでいる。出会ってから40年、ふたりの巨人はフルスロットルでパワーをあの路面に叩き付け続けてきた。

 

プロストックバイクを
確立させたV&H



バンス&ハインズ・スズキの’81年型スーパーチャージャー付きトップフューエル(TF。手前)とプロストックバイク(PSB。奥)。TFマシンのエンジンは4バルブのGSX系が積まれた TFのインジェクションはバイロンが得意とするところ。師匠ラス・コリンズのRCエンジニアリングで学んだ技術だ。このマシンは1次減速にベルトを使った第1号。ミッションは2速

1972年、南カリフォルニア、ライオンズのドラッグストリップから偉大な歴史は始まった。テリー・バンスとバイロン・ハインズはここで出会った。テリーはその頃、自分でチューンしたCB750FOURでの活躍から、ラス・コリンズに認められ、彼の会社・RCエンジニアリングと契約した。バイロンはベトナム帰還兵。ほどなく彼もRCエンジニアリングで働くようになる。ラス・コリンズはテリーのライダーとしての才能を、バイロンのビルダー/チューナーとしての資質を見抜いていた。なぜなら彼は、その両方の天才だったからだ。

 

ラス・コリンズはミスター・ナイトロ、狂気の天才だった。CB750のトリプルエンジン、ダブルのV8などのトップフューエルを製作・ライディングした男で、ナイトロメタン燃料、燃料噴射システム、スーパーチャージャーなどのドラッグレーシングの神器を確立させた男だ。 '75年にはトリプルCB(約500馬力)で7.861秒、287.88㎞/hを出し、2輪で初めて7秒台に突入した。ラス・コリンズ+トリプルCBとテリー+ダブルCBの師弟対決もあって、テリーとバイロンは腕を磨いた。ラス・コリンズのトリプルCBはナイトロメタン燃料のトップフューエル=TFだったけれど、テリーとバイロンのダブルCBはガソリン燃料のトップガス=TGで、同クラスで23戦中22勝という圧倒的なパフォーマンスを発揮した。

 






テリーは190cmほどの長身。ヘルメットはベル、ツナギがベイツだった。NHRAではTFやPSBで通算27勝を記録 スーパーチャージャー付きヤマハを積むジム・バーナードのTFもバイロンのインジェクションを装備した XJ750Aセカ。ヤマハのXJ / FJエンジンは頑丈で’80年代はドラッグ用に使われた。写真のマフラーはV&H製

ラス・コリンズは’76年にトリプルCBで281㎞/h以上の速度で大クラッシュ。生死を彷徨ったが一命を取り止め、リハビリ中には会社のデスクにぐしゃぐしゃになったトリプルCBを飾り、次期モデルの構想を練った。そしてCBエンジン2基をV8状に配置し、スーパーチャージャーを装備した新型を製作(約600馬力)。トリプルで問題となったハンドリングは改善され、'77年に7.30秒、約321㎞/hの新記録をマークした。このV8製作には、もちろんバイロンが加わった。

 

‘77年にスズキがGS750を発売すると、テリーとバイロンに、そのプロモーションとしてGSでレースに出ないかと持ちかけてきた。アメリカには素晴らしいワインディングロードもたくさんあるが、まったくない土地も多い。そんな地域でスポーツバイクを拡販するには、最も身近なモータースポーツ、ドラッグレーシングが最適だと考えたのだ。こうしてテリーとバイロンは、その後の成功と運命を左右したUSスズキと契約することになる。

 

当時、STDバイクの面影を残しエンジンやシャシーを改造したプロストックバイク=PSB(現在のプロストックモーターサイクル=PSM)の人気は高くなく、ラス・コリンズなどのTFが注目された時代だった。そんな頃、テリーとバイロンのPSB・GS1000は9秒フラット、234.4㎞/hの新記録を出しその勢いに乗り、'79年にはUSスズキはシルバーにブラックライン、レッドのピンストライプ、ゴールドのロゴが入ったテリー・バンス・リミテッドエディションのGS1000をリリースした。

 

そして’80年1月、ふたりはバンス&ハインズ社を設立した(レースはV&Hレーシングとして活動)。これでドラッグレーシングはV&H、ロードレースはヨシムラというスズキのモータースポーツ戦略が確立したわけだ。'80年にはTFのGSX(ナイトロメタン燃料、スーパーチャージャー付き1260㏄、B&J製2速ミッション)で6.98秒、327.6㎞/hと初めて6秒台に突入。師匠のラス・コリンズの7秒台突入から僅か5年だった。また、これは1次減速に初めてベルトを使ったマシンだった(現在ではベルト駆動はこの手のマシンではポピュラー。バイロンの先見の明には驚く)。

V&Hは’82年に独自のマフラーを発売した。これで会社として軌道に乗り始めたのだ。'84年まではTFを続けたが、以後はPSBに絞っていく。'80年代中期までスズキのGSX1100/GS1150は、ベストセラーにもなった。ポスターにはバーンナウトするテリーがいた。USスズキはV&Hの活躍で、パフォーマンスならスズキというイメージを植え付けることに成功したのだ。

 

V&Hの活躍でPSBも人気を得て、それまでバイクには冷たかったNHRA(ナショナル・ホット・ロッド・アソシエーション)も'87年からPSBをシリーズに組み込んだほど。テリーは’88年で現役から退くが、彼の活躍がその後のPSB/PSMを作り上げたのは間違いない。



'07年NHRAニュージャージーRdで。マシンはH-D。ライダーはアンドリュー('04 0'06年NHRAチャンピオン)、すぐ横にチーフメカニックの兄マット('97 0'99年NHRAチャンピオン)、その後ろに父バイロン・ハインズの姿も '11年のNHRAシリーズ・チャンピオンはV&Hレーシングの同僚、エド・クローウィックが勝ち取った インディアナポリス近郊の工業団地にある、現在のV&Hレーシングの社屋。 バイロン・ハインズ近影

 





'93年デイトナに臨むV&Hヤマハ。#45コーリン・エドワーズ(OW01)、#71ジェイムズ・ボウマン(スーパースポーツ600)、#7エディ・ローソン(OW01)、#2ジェイミー・ジェイムズ(OW01)。#7は本社製スペシャルだ エディはマジー・カワサキのスコット・ラッセルを最後の31度バンクで逆転。自身('86年)もV&H('90年)も、2度目のデイトナ200優勝だ 19歳のエドワーズ。'92年AMA250チャンピオン(TZ)を獲得したUSヤマハの秘蔵子は' 93年にV&H入りし、'94年までAMAで走った。その後、ヤマハでSBKに進出、ホンダへの移籍後は' 00年、'02年にSBK世界チャンピオンとなる。そして'12年もCRTマシンでMotoGPを走るテキサスの鉄人だ

 

ロードではヤマハ
E・ローソンも大活躍

次にV&Hは、AMAスーパーバイクに進出する。マフラーをアピールするにはドラッグのPSBのように市販車ベースのロードレース、スーパーバイクは打って付けだ。選んだバイクは油冷GSX-R750。サテライトチームとして活躍したが、ナンバー1になるにはファクトリーチームでないと不可能な世界。そこで'90年にUSヤマハと契約。AMAのヤマハファクトリーとして活動した。カラーリングも、パーフルとイエローの鮮やかなものになった。

 

V&Hヤマハはその初戦・デイトナ200でデビッド・サドウスキーが優勝(OW01)。SS600ではそのサドウスキーがシリーズを制した。'91年にはトーマス・スティーブンスがAMA・SBチャンピオンに。'93年デイトナ200ではGPを引退していたエディ・ローソンを起用し、優勝(V&H2度目のデイトナ制覇)。'97年からはドゥカティにスイッチし、アンソニー・ゴバートやベン・ボストラムが活躍。V&Hはロードレースでも大成功した。

 

ただ、バイロンはあまりおもしろくなかった。ファクトリーマシンはいろいろと制約があり、チューナーとして腕を奮えるバイクに思えなかったのだ。そこでヤマハYZFでPSBマシンを製作して、自らライディングした。'92年NHRAシーズンクラフツマンナショナルで優勝。翌’93年ウィンストンファイナルでも2位に。そして息子マットを’96年、NHRAにデビューさせる。マットは'97~'99年の間、PSBで3連覇。もちろんマシン(スズキGSX-R)はバイロンが製作した。 マットが引退してからは次男のアンドリューが'04~'06年のPSB(H-D)で3連覇。現在もH-DスクリミンイーグルV&Hのライダーとして父とテリー、兄・マットのサポートを受け現役を続ける。また、V&HはAMAロードレースでH-D・XR1200レースのシリーズスポンサーにもなった。'70年代に出会ったふたりの若者のサクセスストーリーは今も続いているのだ。

主力のCSワンはアグレッシブなデザイン、そして価格の安さが魅力!

円筒形のアルミorチタンサイレンサーを持つS4、SS2-Rシリーズに代わり、スポーツモデル向けEXシステムの主力となっているのが“CSワン”シリーズだ。車種別にさまざまなタイプが用意されており、写真は変形五角断面の最もベーシックなもの。外筒は経年変化に強いステンレス製で、塗装仕上げのブラックもラインナップ。内部はストレート構造となっており、抜けのいいサウンドが発せられる。精度に優れており、組み付けもスムーズだ

オールドスクールスタイルのメガホンも健在だ!

“バンス管"と聞いて、真っ先にこれを思い浮かべる人は多いはず。デザインはシンプルな4-1構造で、まさにメガホンマフラーのお手本といったスタイルだ。材質はスチールで、めっきの質や内部構造もデビュー当時から一切変わっていないという。プロトではCB750/900/F用とナイトホーク用のみを取り扱う。また、スチールエキパイ(黒塗装)+アルミサイレンサーの集合管=スーパースポーツ4-1も、CB750/900/F用のみ、現在もラインナップしている

 

カワサキ ZX-14R('08~)
CSワンデュアル=10万590円
ブラック=10万6680円)

スズキ ハヤブサ1300('08~)
CSワンデュアル=10万275円
ブラック=10万6680円 ヘッドパイプ=7万875円

ホンダ CBR600RR('07~)
CSワンアンダーテール=6万3210円
ブラック=6万8565円

ヤマハ YZF-R('09~'11)
CSワンデュアルアンダーテール=10万2060円
ブラック=10万9305円

スズキ GSX-R1000('09~'11)
CSワンシングルブラック=6万3210円
シルバー=5万6910円


スタイルはさまざまで
品質の高さもポイント

現在、バンス&ハインズのEXシステムは、ハーレー、その他のクルーザー、そしてスポーツモデル用が三本柱となっている。ドラッグレースやAMAスーパーバイクなど、プロスペックからスタートした同社ではあるが、ストリート用はそのデザイン性の高さから、ルックスが重視されるハーレーを筆頭としたクルーザー系で人気が高まっていった。

 

スポーツモデル用は、CSワンと呼ばれるシリーズが主力となっている。最大のポイントは、アグレッシブなデザインだ。右ページに掲載した変形五角断面タイプがシリーズの顔となっており、他とは一線を画す強烈な個性を放っている。このほかにも、この五角断面をベースとしたテーパードタイプや、スラッシュカットのパイプを上下に2本並べたアーバンブローラーなどが、車種別に用意されている。また、ハヤブサなど一部のモデルには、ステンレス製のエキパイ=パフォーマンスヘッドパイプなども用意されているのだ。

 

ラインナップはスリップオンがメインで、サイレンサーの素材がステンレスというのも他とは違う要素のひとつだ。独特の輝きは、それだけでも人目を引くだろう。内部はストレート構造となっており、抜けのいいサウンドを発する。一部を除き一般公道使用不可なのでご注意を。

 

そして、何といってもうれしいのは値段だ。オープン価格のため本誌で調べたところ、例えばGSX-R1000用なら5万6910円で買えてしまう。気軽に試すことができるのも最新バンスの魅力である。

 

国内総輸入発売元 プロト
住所/愛知県刈谷市井ヶ谷町桜島5
電話/0566-36-0456
営業時間/9:00-18:00(月曜~土曜)

 

国内最大級の二輪用パーツメーカー&ディストリビューター。
世界各国からさまざまな特色あるアイテムを輸入すると共に、
同社の手によって開発されたオリジナルパーツも多数展開している。