
1999年全日本で大柄で曲がらない隼レーサーをねじ伏せる#13鎌田。彼はS-NKクラスのチャンピオンに輝く。(Yoshimura Archives)
1999年、ヨシムラは大きな決断をした。全日本ロードレースと鈴鹿8耐に、スーパーバイクではなく、S-NKクラスで参戦することにしたのだ。ベースマシンは、スズキGSX1300R隼だ。

1999年全日本で大柄で曲がらない隼レーサーをねじ伏せる#13鎌田。彼はS-NKクラスのチャンピオンに輝く。(Yoshimura Archives)
1999年、ヨシムラは大きな決断をした。全日本ロードレースと鈴鹿8耐に、スーパーバイクではなく、S-NKクラスで参戦することにしたのだ。ベースマシンは、スズキGSX1300R隼だ。
S-NKクラスは、1997年から始まっていて、NK1(大型ネイキッド・4気筒750cc以上、鉄フレーム)とX-Formula(4気筒800cc以上。ボアアップで1350cまでOK)の2カテゴリーから成り、いずれも一般生産車がベースだ。6位以内に入ると、エントラントは賞を獲ったマシンを買い取ることができ、[a][b]その価格はNK1で350万円、X-Formulaは200万円となっていた。
S-NKクラスは、全日本シリーズと鈴鹿8耐に設定されていた。1998年、全日本でのポイントはスーパーバイクとの混走で総合順位に与えられていたが、1999年からはS-NKクラス独自にポイントが与えられようになった(完走者のみ。ポイント付与は予選出走台数によって異なる)。[c]つまりS-NKクラスの全日本チャンピオンも誕生するということだ。また、鈴鹿8耐でも、S-NKクラスの表彰が総合表彰とは別に行われることになった。

1999年9月19日、全日本第8戦筑波の1コーナーに進入しようとする#13鎌田。S-NKはSB混走で、#55生見(桜井ホンダ・ホンダRC45・SB)、#21清水(チームグリーン・カワサキZX-7RR・SB)、#99鶴田(イエローコーン・カワサキZX-9R・SB)が続く。(Yoshimura Archives)
当時のスーパーバイク(SB)のレギュレーションは、世界各国(全日本、AMA、世界選手権=SBKなど)で車重などが若干異なるけれど、排気量は4気筒600~-750cc、3気筒600~900cc、2気筒750~1000ccと同一だった。隼は1298ccで、スーパーバイクの規定排気量をオーバーしているが、全日本・鈴鹿8耐に設定しているX-Formulaなら出場できるのだ。アメリカならAMAフォーミュラ・エクトリームか、WERA の排気量無制限クラス“Formula USA”に出場可能だ。WERA(Western Eastern Roadracers Association)は、全米規模の団体で、AMA(American Motorcyclist Association)よりもアマチュア色が強いが、レース数・規模は相当なものだった。

1999年11月7日、全日本最終戦もてぎMFJ GPでは、ヨシムラ隼は#13鎌田と#43T・ライマーの2台体制で臨む。そしてS-NKクラス1-2 位を獲得(総合16-17位)。S-NKクラス表彰で喜ぶ鎌田(中)とT・ライマー(左)。(Yoshimura Archives)
当初、吉村不二雄は1999年もGSX-R750で全日本スーパーバイクを戦おうと計画していた。けれども、ここで1台のバイクが不二雄の心を捉えた。GSX1300R隼だ。隼は1998年9月のインターモト(ドイツ)で発表され、1999年に発売された“公道における究極のスポーツ=アルティメットスポーツ”バイクだった。実測で最高速300km/h以上をマークし、最高出力175㎰、水冷4気筒DOHC4バルブ、ボアストロークφ81×63mm、排気量1298ccのメガスポーツバイクで、スーパーバイクのベースマシンとなるスーパースポーツクラスとは一線を画す市販車最速最強の存在だった。
コンストラクターの“夢”は、ベースマシンを自由に改造したマシンでレースをすることかもしれない(少なくともヨシムラはそう思っていた)。エンジンの排気量も何もかもが改造無制限で、車体も自由に作れる。レギュレーションで決められるのは、安全上の規定と燃料搭載量(燃費で実質的な最高出力を抑えられる)ぐらいで良い。1970年代のAMAスーパーバイクは、改造規定はあるものの(排気量1000ccまで・フレームはSTD補強)、1999年当時のスーパーバイクより自由度は高く、何よりチューナーが多く集まったアメリカ・南カリフォルニアの“改造してやろう。スゴいバイクを作ってやろう”という活気ある熱い空気がヨシムラにはピッタリで、不二雄にはとても心地好かった。そして、そのチューナーたちの熱気はバイクファンに響き、集合管、ハイカム、ボアアップピストン、レーシングキャブレターなどで改造したホットなバイクを作る文化が浸透した。

1999年第22回鈴鹿8耐の臨むヨシムラスズキGP1 DAXIM。マシンの前に鎌田(左)と小倉(右)。そして#12に跨るのは不二雄。隣りのピットはモリワキ。モリワキもS-NKクラスの参戦(VTR1000F)。ヨシムラ・モリワキファミリーが一丸となって夏の鈴鹿を戦うのは、1978年第1回大会から始まっている。(Yoshimura Archives)
はたしてユーザーやレースファンは、GSX-R750でのレースを見たいのか。もっとパワーがあって排気量が大きく、おもしろいバイクがあるというのに……。全日本で最高峰クラスのスーパーバイクタイトルを狙うのは、もちろん分かるが、それよりヨシムラにとって重要なことがあるのだ。そして不二雄は、隼を選択し、X-Formulaに参戦を決めた。その後、ヨシムラは1999年と2000年の2シーズン、隼で戦った。
ただ、分かっていたことだけれども、隼はスーパーバイクのベースマシンとなるスーパースポーツとは大きく異なっていた。まず、隼は大きく重いのだ。ホイールベース1,480mm、乾燥重量217kgは、安定して300km/h以上出すには必要な長さだし、1,000ccを超えるメガスポーツとしては軽量だ。けれども、レーシングバイクを作るとなったら話は別だ。1999年型GSX-R750は、ホイールベース1,395mm、乾燥重量178kgとさすがにコンパクトで軽量なのだ。公道では問題ないとしても、サーキットでのレーシングスピードではバンク角が足りない。さらに長いホイールベースも要因のひとつだが、旋回力も不足している。そして重い。これらはレーシングバイクとしては不利なことばかりだ。

1999年の鈴鹿8耐に臨むヨシムラ隼のゼッケンは、S-NKクラスになっても伝統の#12。そして、これも伝統のブルーのヘッドライト。この時点ではスイングアームピボットが可変式ではない。(Yoshimura Archives)
まず、1999年はメインフレームをSTDのままとし、前後サスペンションをオーリンズ(φ46mmフロントフォーク・TTXリアショック)に、スイングアームをGSX-R750用(スズキファクトリー製)に、サスペンションリンクもスペシャルに交換。特にフロントフォークは剛性アップに、リンクとスイングアーム(STDよりショートだ)はトラクションと旋回性の向上に繋がった。
さらに2000年型では、旋回性と接地感をアップさせるため、STDのステアリングヘッドのベアリングが入る部分をカットし、代わりに削り出しで製作したパーツをSTDより内側の位置で溶接。これで前輪分布荷重が増し、ホイールベースもショートとなり、接地感と旋回性をアップした。こうしたフレーム改造が自由に出来るのは、X-Formulaならではだ。次にスイングアームピボット部を大きくくり抜き、削り出しの可変機構を持ったパーツを溶接した。これによってバンク角を増やす目的でリアショックやリンクで車高を上げ、スイングアーム垂れ角がキツくなっていたのを、適正なスイングアーム垂れ角に戻すことが出来るようになった。ピボット位置は前後左右に可変可能だ。

1999年鈴鹿8耐のもう一つのハイライトである土曜日のスペシャルステージは、ピットロードに設けられた文字通り1段高いステージからスタート。鎌田が一際大きな声援を受ける。ヨシムラ隼へのファンの期待の大きさが分かる。(Yoshimura Archives)
元々強力なエンジンは、最高出力175→200㎰以上にパワーアップ。エンジン本体のチューニングはハイコンプ鍛造ピストン、ハイカム(STD11:1→12.0:1)、シリンダーヘッドチューン、強化コンロッド(1999年型STD→2000年型キャリロ製)、スペシャルクランクシャフト(バランサーシャフト駆動スパーギアなし)、クロスミッション(キットパーツ)、軽量シフトドラム(孔開き加工)など多岐に渡る。
そして電子制御式燃料噴射のスロットボディ/インジェクターは、1999年型ではSTD(吸気ポートの1インジェクター)だったが、2000年型ではGSX-R750スーパーバイク用の、吸気ポートに1本、スロットルバルブ上流側のエアファンネル部で噴射するもう1本の計2本インジェクターを装備したものを使った。上流側インジェクターは高回転の伸びや高出力化に効果があり、高回転域のみ噴射するものだ。
パワーアップに伴う発熱に関しては、カウリング前方開口部のほとんどを占める上下2段の大型ラジエーターと、その右背後に配置した空冷オイルクーラー(4輪トヨタ・スープラ用)を装備していたが、2000年型ではさらにクランクケース左上部に水冷オイルクーラー(本体ヤマハYZF・R1用でベースはアルミ削り出しのヨシムラ製)を追加した。
1999年の全日本S-NKクラスにはヨシムラの他、イエローコーン(カワサキZX-9R)、ビート(ZX-9R)、オーバー・デライト(ヤマハYZF-R1)などが参戦。ヨシムラは鎌田学をエースライダーとして起用し、全10戦中6戦でクラス優勝を果たし、見事S-NKクラスチャンピオンを獲得した。また、スポット参戦で小倉直人、テリー・ライマーを起用した。

1999年の全日本レギュラーライダーではない小倉だが、鈴鹿8耐では大きく重い隼を巧みに乗りこなしてみせた。(Yoshimura Archives)
鈴鹿8耐は鎌田/小倉で臨み、予選15番手(2分12秒450。PPから3秒240差)。直線は圧倒的に速いのだが、やはりブレーキングとコーナリングでどうしてもスーパーバイクにかなわないのだ。決勝は199ラップ(トップから-14ラップ)を走り、総合16位S-NKFクラス優勝(X-F最上位)を果たした。また、鈴鹿8耐X-Fクラスには、上記のコンストラクターに加えモリワキもホンダVTR1000Fで参戦。また、NK1のカワサキZXR1100(ノジマ)も大きな話題だった。

#31出口が2000年の全日本を行く。惜しくもランキング2位に終わる。(Yoshimura Archives)
2000年シーズンは悲しい出来事で始まった。3月に行われた鈴鹿のプレシーズンテストで小倉が事故により亡くなったのだ。喪失感と絶望感が押し寄せたが、それでもシーズンは待ってくれない。ヨシムラは出口修で全日本を戦い、S-NKクラス2位を得た。

2000年全日本、出口のマシンを押すメカニック。大型シートカウルは空力性能では最高速などで有利だが、ライバルにスリップストリームを使われやすいというネガもある。(Yoshimura Archives)
鈴鹿8耐は、その出口とショーン・ジャイルスが組んだ。計時予選は2分11秒245。そして、スペシャルステージ(計時予選20番手までが出走し20番手までのスターティンググリッドを決める)では、2分11秒329で12番グリッドを獲得した(PPから3秒503差)。もちろんS-NKクラス最上位だ。

2000年鈴鹿8耐、S-NKクラス表彰台はピット前に特設された。総合で堂々の6位、S-NKクラス優勝のヨシムラ隼X-1R。左から3月に亡くなった小倉の遺影を持つ出口、喜びを爆発させる不二雄、そしてS・ジャイルス。(Yoshimura Archives)
決勝は209ラップで総合6位、S-NKクラス優勝と大健闘した(トップは新記録215ラップ)。S-NKクラスの表彰は、総合表彰が行われる2階の高い場所ではなく、1階のピット前に設けられた特設表彰台で行われた。押し寄せたファンと同じ目線の表彰が、いかにもS-NKらしく、ライダーたちと表彰台に上がった不二雄は満面の笑みだった。自分たちが作りたいバイクを自由に作り、それで得た最良の結果に、ファンの歓喜の波が応えた。また、優勝したのはスーパーバイク2気筒1000ccのホンダVTR1000SPWで、4気筒750cc時代が終わりことを告げていた。
そして2000年にヨシムラジャパンは、隼をベースにした“YOSHIMURA隼X-1”を限定100台:256万円で発売した。ストリートリーガルなカスタムコンプリートバイクとしては、1987年の油冷GSX-R1100ベースのトルネード1200ボンネビル以来2作目となる。X-1は隼レーサーのレプリカに留まらず、1台の完成されたカスタムバイクとしての魅力と存在感に満ち溢れていた。何と言ってもヨシムラジャパンが独自にデザインしたカウリングと24L STDアルミタンク、赤/黒のヨシムラカラーが目を引く。車重はSTDの215kgから197kg(いずれも乾燥重量)に軽量化。ST-1カム、鍛造ハイコンプピストン、シリンダーヘッドチューン(ポーティング、面研など)、インジェクションコントローラー、Tri-Ovalチタンサイクロンマフラー(2エンド)などでSTD:175㎰から193㎰のパワーアップ。その他クロスミッションを装備してスポーツライディングを支えている。また、2000年型隼レーサーからは、R付きでX-1Rと呼ばれるようになった。

USヨシムラのカスタム隼(プロトタイプ)。X-1がデュアルヘッドライトなのに対して、これは左に大きめのシングルヘッドライト。テールライトも異なり、X-1はSTD流用だが、USヨシムラ隼はビルトインタイプ。シルバーの24LアルミタンクはX-1にある“ヨシムラ”にエンボスロゴではなく、マフラーもTri-Ovalチタンサイクロン2エンドだが、X-1用のようなテールパイプからのテーパーカバーはなし……といろいろ違いを見せる。(Tomoya ISHIBASHI)
隼での全日本や鈴鹿8耐での活躍やX-1発売は大きな反響を呼んだ。それはアメリカまで波及し、USヨシムラ(ヨシムラR&Dオブ・アメリカ)でも、ヨシムラジャパンから少し遅れて2000年3月のデイトナバイクウィークで、隼ベースの独自のストリートカスタムバイクを発表した。カウリングはX-1と異なりUSヨシムラ独自デザインで、カラーリングも赤/黒にシルバーを加えてある(byカリフォルニア・サイクル・デザイン)。前後サスペンションがスーパーバイク用オーリンズで、プロトタイプだけのSTDのX-1よりグレードアップしている。エンジン関係のチューニングは基本的にX-1に準じている。

1999年AMAフォーミュラ・エクストリームでランキング6位となったレッド・グレーブスの隼レーサー。彼はUSヨシムラのユーザー。マフラーは当然USヨシムラ管で、RS-3チタンを装着。(Tomoya ISHIBASHI)
また、USヨシムラのユーザーが隼で、1999年AMAフォームラ・エクストリーム(745cc以上排気量無制限)のランキング6位に入っている。
こうして隼での怒涛の2シーズンがあっという間に過ぎ、ニューウェポンGSX-R1000の時代へ突入していった。
住所/神奈川県愛甲郡愛川町中津6748
営業/9:00-17:00
定休/土曜、日曜、祝日
1954年に活動を開始したヨシムラは、日本を代表するレーシングコンストラクターであると同時に、マフラーやカムシャフトといったチューニングパーツを数多く手がけるアフターマーケットメーカー。ホンダやカワサキに力を注いだ時代を経て、1970年代後半からはスズキ車を主軸にレース活動を行うようになったものの、パーツ開発はメーカーを問わずに行われており、4ストミニからメガスポーツまで、幅広いモデルに対応する製品を販売している。