"MOTORCYCLE ART"MV AGUSTAは新体制に。光り輝く新たな地平線を目指す

掲載日/2023年7月31日
取材協力/MV AGUSTAKTM JAPAN
写真/MV AGUSTA、三上勝久 文/三上勝久
構成/バイクブロス・マガジンズ
歴史と伝統を持ち合わせたイタリアン・モーターサイクル・ブランドMV AGUSTAが、新たにKTMを主軸ブランドとして展開するピエラ・モビリティグループに入った。その背景や今後の販売網など、詳しい事情を掘り下げていこう。

1970年代までの覇者、MV AGUSTA

カルロ・ウビアリ、セシル・サンドフォード、タルキニオ・プロビーニ、マイク・ヘイルウッド、ジョン・サーティース、フィル・リード、そしてジャコモ・アゴスチーニ。彼らの名前を知っているだろか。日本メーカーがロードレース世界選手権(WGP)を席巻するようになる以前、その世界でまさに王座を極めていたMV AGUSTAを支えた名ライダーたちだ。

まだヘルメットは半キャップで、脊髄パッドなんてない革の上下でスピードを競っていた時代。公道で開催されるマン島がWGPの一戦であった時代の話だ。1945年に初の量産モーターサイクル、MV98を発売し、同時に積極的なレース活動を始めた同社は、1949年に始まったWGPで栄光の道を極めていったのだ。

MV AGUSTAの名を全世界のレースファンに知らしめたジャコモ・アゴスチーニ。WGPで15回ものタイトルを獲得した。

飛行機から始まった貴族の会社

MV AGUSTAのルーツは、1907年にイタリアの貴族、ジョバンニ・アグスタ伯爵が設立した航空機会社だ。1927年には息子のドメニコ・アグスタが経営を受け継ぎ、モペッドやスクーターの製造も開始する。1945年に第二次世界大戦が終戦すると、航空機の製造が禁じられてしまったため、モーターサイクル専業メーカーに転身する。それがメカニカ・ヴェルゲーラ・アグスタ、MV AGUSTAである。ヴェルゲーラは、最初に会社を作った地名だ。

レースが販売に直結した時代だったこともあり、MV AGUSTAはすぐにレーシングチームを作ってエンジニアやライダーを抜擢し始める。最初にMV AGUSTAにWGPでのタイトルをもたらしたのは、イギリス人ライダーであるセシル・サンドフォード。1952年のことだった。彼の乗ったDOHCヘッドをもつ125cc単気筒エンジンを皮切りにMV AGUSTAは開発を加速。1960年代に入ると精巧な並列3気筒エンジンを投入、マイク・ヘイルウッドが最高峰500ccクラスを4連覇する。移籍した彼のあとを受け継いだジャコモ・アゴスチーニは7連覇し、MV AGUSTAの名を世界に知らしめた。

現在の本社工場、スキランネッタ近くのカッシーナ・コスタにあるMV AGUSTA・ミュージアムに展示されている1974モデルの500Corsa(左)。右は2023年5月に福田晴次氏から寄贈された1976年式750S AMERICA。

レースから消えた名門、そして復活へ

しかし時代は、より安価で入手しやすいモーターサイクルが主流となっていった。高性能なMV AGUSTAのモーターサイクルはマニアには垂涎の的だったものの、非常に高価だったこと、そして生産台数が限られていたことから経営は厳しくなっていく。1976年にWGPで最後の優勝を果たしたのち1977年、MV AGUSTAはついに長い眠りについてしまう。

しかし、この栄光のブランドが失われることを拒んだ男が現れる。ドゥカティやハスクバーナ・モーターサイクルズ、そしてカジバを成功へと導いたクラウディオ・カスティリオーニだ。1992年、彼はMV AGUSTAを買収すると、ビモータを産んだ天才エンジニア、マッシモ・タンブリーニと組んで、かつての栄光を思わせるデザインに身を包んだ革新的なスーパースポーツ、F4をリリースし高い評価を得る。

だが経営は順調とは言えなかった。2000年代に入るとプロトン、ハーレーデビッドソンなどがMV AGUSTAを買収するが、世界的な不況もあっていずれも短期に終わり、経営は再びカスティリオーニ家が買い戻す。クラウディオの息子、ジョバンニが同社の代表として苦難に立ち向かっていた。

MV AGUSTAならではの片持ちスイングアームに極太のワイヤードホイール、スラッシュカットのサイレンサー、そして複雑な造形のテールライト。まさに芸術の域に達したデザインをもつドラッグスターRR。

イタリア屈指の芸術を残していくために

技術的に高い水準をもち、さらに世界屈指と言える素晴らしいデザインに包まれたMV AGUSTAはまさに、イタリアの宝石と言える存在だった。しかしジョバンニが再び指揮をとるようになっても苦境から脱せずにいた。そんなときにジョバンニが出会ったのが、ドラッグスターRRのオーナーでもあるロシアの起業家、ティムール・サルダロフだった。30歳になってからバイクに乗り始めた当時イギリス在住のティムールは、イタリアの名門であるMV AGUSTAが苦境にあると知り、このブランドを再生させようと投資を開始。「経営的には終わってるような状態だった」と彼は言う。

2019年には全株式を買い取ってCEOの座に就いた。すぐにイタリアに移住し、情熱的と言えるほどののめり込みで先進技術の投入やニューモデルの開発に取り組んでいく。しかし、すぐに時代は新型コロナウィルス感染症によるパンデミックに入ってしまった。「サプライヤーの70%はイタリア国内だったが、サプライヤーも原料の調達難に苦しんでいた」。さらに、ロシアのウクライナ侵攻が起き、ロシア出身のティムールへの風当たりも強くなっていく。

左から、MV AGUSTAで15年の開発実績を誇る開発責任者ブライアン・ギレン、CEOのティムール・サルダロフ、ピエラ・モビリティのCSO(最高戦略責任者)フローリアン・ケヒト、ドゥカティ勤務、KTMアジアのCEOを経てMV AGUSTAの取締役となったルカ・マーティン。バイクはMV AGUSTA RUSH。

ヨーロッパの力を合わせて

ティムールが推定1億ユーロ以上も注ぎ込んで再生を目指していたMV AGUSTA最大の問題は、最大のマーケットである北米での販売がうまく行かないこと、そして部品の供給に難があることだった。部品の入手が遅れることで生産も遅れ、オーダーした顧客に完成車が届かない。顧客からの信頼も失われていく。

そんな時に、支援を申し出たのがオーストリアを本拠とするステファン・ピエラだった。1991年に倒産したKTMを再生させ、ヨーロッパ大手のバイクメーカーに見事再生させたピエラ・モビリティの代表である。近年ではハスクバーナ・モーターサイクルズ、GASGASも傘下に収め、復活させている。もちろん、グループの主軸はKTMだ。

「KTMをはじめとする各ブランドが世界各国におく販売拠点やスタッフなどのロジスティクスを使うことで、販売面は大きく改善できる。年内にMV AGUSTAの販売拠点を世界で180設置し、気軽に見に行き、購入できる機会を作る」(フローリアン・ケヒト)

また、「部品の調達や完成車の輸送についても同様だ。多くのサプライチェーンと緊密な関係を持っているので、生産効率もアップする。現工場のラインも増設し、現在のほぼ倍と言える年間15,000台の生産を可能にする計画だ」

複雑なプレスラインをもつフューエルタンク、それを飾る革製のタンクベルト。洗練された技術だけでなく、細部に至るまでこだわりぬいた芸術性もMV AGUSTAの本質であり、イタリア生まれのDNAをもつ証拠だ。

これからもイタリアンメイドにこだわる

ピエラ・モビリティグループとなったMV AGUSTA、ではKTMと共通のエンジンやシャシーを使ったボディ違いのモデルになっていくのだろうか。それはない、と全員が断言する。

「高級スポーツカーやファッション、腕時計やファブリック。イタリアで、イタリア人が作らない限り生まれてこない製品がある。MV AGUSTAもその1つだ。だからイタリア以外の国で作ることはない」(ティムール・サルダロフ)

ピエラ・モビリティのサポートを得て、ミラノの北、ヴァレーゼ湖のほとりにあるスキランナの本社工場は近いうちに建て替えられる予定だ。敷地内には、オーナーが気軽に訪れられる施設も作り、ブランドとの接点も増やしていく。ディーラーネットワークは再構築し、またKTMなど他ブランドとは違う独立した販売店網を築くプランだ。日本でもすでにKTM JAPANがMV AGUSTAの取扱をアナウンスしているが、KTMやハスクバーナ・モーターサイクルズのディーラーネットワークを利用して販売するわけではなく、独自の販売店網を広げていく。

静かなヴァレーゼ湖に面するスキランナの本社工場。湖に面しているのは、かつてここで製造していたアエルマッキが水上飛行機も製造していたため。長い歴史をもつ工場だ。現在すでに、ラインの増設工事が始まっている。

いつかは......と思わせる憧れのブランド

5月末に、世界中からバイク関係のジャーナリストを多数招き本社で行われた発表会の目的は、ヨーロッパのエンジニア、デザイナー、経営者が集まって、MV AGUSTAというイタリアの宝石を守り抜くという意思の宣言だった。

発表会の後、現行モデルの試乗(チョイ乗りではなく、全行程で200kmを超えるイタリアン・アルプスでの試乗だった)も行われたのだが、各モデルのユニークさ、洗練ぶりは確かなものだった。最先端の技術が盛り込まれたDOHC3気筒、4気筒の各モデルはモデルによって明確に味付けが異なり、それぞれのスタイルに合わせた乗りやすさと刺激が盛り込まれている。さらに、ドラッグスターRRやツーリスモ・ヴェローチェにはSCSというオートマチッククラッチが導入されていた。クラッチ操作をしなくても発進、変速できる機構で、これは日本でも歓迎されるはずだ。

しかし何より、乗っている間に目に入るもの、手で触れるものすべてにクオリティとクラフトマンシップを感じさせる仕上がりにうっとりとなってしまった。デザインのもつパワーはここまで大きいのか。

今後もMV AGUSTAは、会社の理念「MOTORCYCLE ART」を突き詰めたモデルを造り続けていくだろう。優れた芸術家を裕福なパトロンが支えるのと同じように、MV AGUSTAというアーティストは、ピエラ・モビリティというサポートを得て、さらに自由に羽ばたいていくのかもしれない。

近い未来、どんな新しいモデルが生まれるのか。バイクファン、MV AGUSTAファンは注視して見守っていこうではないか。