創業当時は町中にある自転車屋さんだった。それが戦後、新聞配達にカブが使われるようになるにしたがってバイクの需要が高まり、地域の人の声に応える形でバイクの取り扱いを始めたという。お店の場所も次第に広い駐車場を必要とするようになり、3度の引っ越しを経て現在の県道102号線沿いになった。福島から米沢を経由し、赤湯へ続く国道13号は、すぐ近くを通っている。現在でも自転車の販売は続けているが、お店の大部分をバイクが占めており、取り扱うメーカーはホンダ、ヤマハ、スズキ、キムコが中心。
多くのバイク屋は自身でツーリングイベントを定期的に開催し、お客とのコミュニケーションを図っているが、キの字屋は少しだけ事情が違う。お店の常連さん達がセーフティクラブ南陽というツーリングクラブを運営し、その活動をお店がサポートする、という体制をとっている。言うなればハーレーダビッドソンのディーラーと、その地域のチャプターの関係に似ている。
セーフティクラブ南陽の現在の構成員は約70名。年齢層も20〜80代まで幅広く、いざツーリングが開催となれば30人くらいは当たり前に集まるという。それだけ集まれば当然ツーリングの目的地や走りたい道など好みはバラバラだが、一貫してコンセプトは「楽しく安全に帰ってこよう」というもの。通常、店主が1人で企画するツーリングと違うのは、セーフティクラブ南陽の役員が持ち回りでツーリングを企画する点だ。当然、企画する人によってルートや目的地は変ってくる。高速道路をたくさんまっすぐ走りたい人もいれば、細い峠道をクネクネ走りたい人もいる。それが面白いのだ。参加する側もまるでラリーイベントのようなワクワクドキドキが味わえる。
福島県相馬市のアナゴ天丼、山形県酒田市の海鮮市場など、やはり美味しい食事が目的地選びに大きく影響する。走る道はといえば秋田と山形の県境に聳える鳥海山や、福島のワインディング、海だと新潟だし、一泊ツーリングなら秋田県の男鹿半島まで足を伸ばすこともあるという。
キの字屋は現在5代目にあたる井上和也さんが社長を務めており、弟の謙司さんが店長を務める。ツーリングでは謙司さんがいつもGL1500に乗って最後尾を走り、ガソリンや工具、救急箱を積んで、何らかのトラブルに備えてくれているのだ。
「バイクを維持するって、すごく大変なことだと思うんですよ。みんな一生懸命お仕事をして、それで稼いだお金の中からバイク遊びをする時間とお金を工面している。だからこそ僕らはそれを精一杯サポートして、みなさんが週末に自分の趣味を心置きなく楽しめるようにしてあげたいんです。おこがましいかも知れませんが、来週のツーリングのために今頑張って働こう、という原動力になれれば嬉しいですよね」
さらにキの字屋では2021年9月中に新しいオフロードコース「WANO 凸凹バイクパーク」をオープン予定だ。オフロードコースというと少し大袈裟に聞こえるかも知れないが、キッズから初心者向けの簡単なミニコースと、トライアルバイクで遊べるような人工セクション、少しのヒルクライムを備えた名前の通りパーク(公園)といった印象だ。
「山形県で山を乗らないともったいないですよね。モトクロスとかエンデューロバイクでスピードを出して走るようなコースではなく、セロー250とかCRF250Lといったオフロードバイクを購入するきっかけになるような、オフロード入門コースを作りたいんです。いきなり林道に行って転ぶと下手すると崖から落ちたり命にかかわりますので、ここでしっかり練習してスキルを身につけてから林道に行ってほしいと思っています。また、オンロードでもおっかなびっくり走っていた人でも、少しオフロードバイクに乗せてみると、アスファルトに戻った途端にすごくリラックスして乗れていて、ちょっと乗っただけでも目に見えてスキルの上達がわかるんですよ」と井上店長。
「個人的にヤマハのセローがとても好きなんです」と笑顔を見せる井上店長だけあって、オフロードバイクコーナーのようなものができていた。セロー関連の書籍や雑誌も置かれていて、自由に読むことができる。
国産4メーカーでは唯一、カワサキだけディーラー契約をしていないが、下取りやオークションなどで在庫は置かれている。あえてメーカーを一つに絞らないのは、近隣のバイク屋さんが減っている中、1人でもお客さんを見放したくないという気持ちからだという。
こちらは珍しいカワサキのW175TR。インドネシア向けに生産されている車両を逆輸入したものだ。177cc空冷単気筒エンジンを搭載しており、新車で買えるキャブ車だ。見た目の可愛らしさと扱いやすさなどから女性や初心者にもオススメとのこと。
お店には創業当時、つまり100年前から使われ続けている木箱がある。中身はパンク修理キットで、それも100年前から使われているとのこと。
長い歴史を持つキの字屋にはトライアルに精通した常連さんも多く、その人脈でトライアルIASの野崎史高選手を招き、スクールを行ったりもしている。