ホンダ | HONDA CX500ターボ | CX500 TURBO
1980年代前半、エンジンに過給機(ターボチャージャー)を搭載したバイクが各社から発売された。これは、大排気量化・多気筒化を進めるよりも、過給によって(排気量をいたずらに拡大せず)出力を向上させることのほうが、とりわけサイズに制限のあるバイクには適していると考えられたから。そこで選ばれたのが、GL500系の縦置きVツインだった。排気量496ccの2気筒エンジンに、IHI(石川島播磨重工)製のターボチャージャーを装着し、82psの最高出力を発揮。これは、GL500の(自然吸気)48psと比べれば、実に170%以上の出力向上だった。とはいえ、その高出力は、スポーツバイクとしてのハイパフォーマンスに向けられたというわけではなく、もとのGL500がそもそも備えていた、ロングツアラーとしての能力を補強するために用いられていた。そのことは、CX500ターボが、GL500同様にシャフトドライブを採用していたことからも明らかだった。大きなカウルを備えた高速クルージング用ツアラー、それがCX500ターボに与えられたキャラクター設定であり、過給機はそれを実現するための高出力を、経済的なエンジン回転数で得るための道具だった。なお、CX500ターボは輸出専用モデル。1983年には、CX650ターボが登場したが、こちらも国内販売はされなかった。
CX500 TURBO
12月08日
128グー!
◆1980年代——バイクにも“ターボの夢”があった。
あの頃、日本の4大メーカー、ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキは、まるで未来に向かって競争するかのように、最先端の技術を惜しみなく注ぎ込み、ターボという新しい可能性に挑んでいた。
世界初のターボバイクは1981年、ホンダ・CX500ターボ。 縦置きVツインにIHI製タービン、そしてホンダ初の電子制御FI。 そのキャッチコピーは 「パワーは通常の2倍」 わずか500ccで1000ccに届こうという82ps(ベース車両は48ps)のスペックは、まさに憧れそのものだった。 だが国内販売は認可されず、輸出のみ。この時点でターボはすでに“伝説になる予感”を秘めていた。
次いで、1982年ヤマハはXJ650Tで“キャブターボ”という独自路線を突き進む。 ライバル車が全てFIなのに対し、あえてキャブレターを選択し、整備性とコストを重視。 三菱製タービン、小型カウル、71ps⇒90psへと跳ね上がるパワー。 当時の技術者の意地と誇りが詰まっていた。
スズキは同年1982年スポーツ志向のXN85。GS650Gをベースにターボを搭載。シリンダー後部にタービンを積み、3000rpmから過給を開始することで扱いやすい中速域を実現。ベース車両65pに対して車名どうり85psを叩き出した、チェーン駆動を採用、 16インチフロント、更なる速さとハンドリングの融合を追い求め、 そのカウルはどこかカタナの血統を思わせた。
対するホンダは、1983年 各社が650ccターボ車を販売する中、排気量を673㏄に拡大したCX650ターボに進化させ58ps⇒100psに達した。
そして最後発にして最強。 1984年、カワサキ 750ターボ。 世界最強最速のターボモデル」をコンセプトに、最後発で登場。FI吸気の750㏄直4に日立製タービンを融合し、当時の旗艦GPz1100に匹敵する112ps(ベース車両は70ps)をマークした。最高速は圧巻の235㎞/hで、ゼロヨンも世界最速クラス。歴代ターボ最強の動力性能を誇るが、ピーキーな出力特性でも有名になった。 まさに 「リッターキラー」 と呼ばれた怪物。
各メーカーが競い合ったターボ開発
――だが、夢は長く続かなかった。
ターボラグによる急激なパワー立ち上がりは、車体が軽いバイクにはあまりにも危険だった。 高価なシステム、重量の増加、複雑な構造……。 そして自然吸気エンジンそのものが進化し、 “大排気量・高回転・電子制御”で、ターボに頼らずとも十分なパワーを得られる時代になってしまった。
こうしてターボバイクは、わずか4年で姿を消した。 ある意味、 時代のあだ花――。 儚く咲き、静かに散った技術者たちのロマンの結晶。
しかし、思うのだ。
あの無駄と情熱のかたまりこそ、バイクの世界の宝ではなかったか。 速さだけでは測れない、夢を見る力。 効率でも経済性でもない、男たちの浪漫。
現代の道路を走っていて、 750ターボやCXがふと横を通り過ぎる瞬間—— 外装に映るタービンの文字に、思わず胸が熱くなることがある。
なぜなら、彼らはこう語りかけてくるからだ。
「無駄こそ美しい。夢こそ、本物だ。」
ターボバイクはもう新車で買えない。 けれど、そのロマンは、今日も確かに生き続けている。
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追記
バイク用ターボ開発が廃れた
詳細理由は?
1. ターボラグと操作性(安全性)
ターボラグの危険性: ターボチャージャーは、排気ガスの圧力でタービンが十分に回転するまで過給効果(パワーアップ)に時間差(ターボラグ)が生じる。この時間差の後、急激にパワーが立ち上がる特性は、バランスが重要な二輪車では非常に扱いにくく、特にコーナリング中などにリアタイヤが滑るなど転倒のリスクを高めた。
繊細な操作の難しさ: オートバイは車の何倍も繊細なスロットル操作が求められますが、ターボラグによる急な出力増加は、この繊細な操作を困難にした。
2. コスト、重量、複雑さ
高コスト: ターボシステム自体が高価であり、それに対応するためのエンジンや車体の補強、冷却系などが必要になるため、製造コストが大幅に上がった。
重量増とスペースの制約: ターボチャージャー本体に加え、配管、インタークーラー(冷却器)、専用の潤滑・排気システムなどを搭載すると、重量が増加し、軽量で機敏であるべきバイクの特性を損なった。また、狭いバイクの車体にこれらを収めるためのスペースの確保が難しいという問題もあった。
3. NAエンジンの進化と必要性の低下
自然吸気(NA)エンジンの高性能化: ターボが登場した1980年代以降、自然吸気エンジン自体が技術的な進歩(高回転化、高圧縮化、電子制御化など)を遂げ、十分なパワーと加速性能をターボ無しで得られるようになった。この結果、高コストでリスキーなターボ化の必要性が薄まった。
大排気量化との比較: パワーが必要であれば、ターボの複雑さやコストを負わずに排気量を大きくする方が、より線形で扱いやすいパワー特性を得ることができ、現実的だと判断された。