四国エリア(愛媛県) カテゴリ:自然
2014-09-28 23:47:26 走行日:2014-09-28〜2014-09-28
グー!(14)
バイク13台で四国カルスト方面にツーリングに行きました。
四国カルストは、日本三大カルストの1つで、愛媛県と高知県との県境にあり標高が約1,400m、東西に約25kmに広がるカルスト台地です。広大なパノラマがとても魅力で、四国だとはとても思えません。
日中まだまだ暑い日が続きますが、さわやかな秋風が心地よく楽しいツーリングとなりました。
源氏ヶ駄場
パノラマ展望になっています。標高1,100m〜1,400mの石灰岩台地です。その昔、この無数の白い石灰岩の姿を見た平家の残党が、白馬に乗った多勢の源氏が自分たちを取り囲んでいるものと見間違え、慌ててこの地から退却したそうです。それ以来この台地は「源氏ヶ駄場」と呼ばれるようになったという由来が伝えられています。
国境・韮ヶ峠
坂本龍馬は、沢村惣之丞とともに、文久2年(1862年)3月24日高知を出発し、25日に梼原に到着。その夜、梼原の勤王の志士「那須俊平・信吾父子」の家に泊まり、翌26日未明、俊平・信吾父子の道案内により、宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土境・韮ヶ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩しました。
維新の門
幕末の風雲急を告げる文久2年(1862)春、坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩した。この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じた。また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があった。
それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生するが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていた。 いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれる。
ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。
その郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立した。
維新の門「碑文」より
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