あの頃、そうケニー・ロバーツがインターカラーイメージのままグランプリの500にフルエントリーを開始した1978年、ベルは本当に輝いて見えた。アメリカ製で、しかもケニーが被っている。ケニーのグランプリ用ベルは、AMAのダートトラックをXS650改/750で走っていた頃のストロボラインのインターカラーと違って、アメリカンイーグル=白頭鷲がデザインされ、正面にはベルとグッドイヤーのステッカーが貼られていた。そのモデルはスターⅡで、ケニーとアメリカに無条件で憧れていたヤツらは、上野ではちょっと高かったけれど、バイト代を貯めて無理して買ったものだった。これを被って、ヒザにアメリカ製の銀色のガムテープを貼れば、ケニーのようなハングオンが出来るんじゃないかと夢見たのだ(僕=石橋は日本ではとても買えず、1978年にアメリカで何とか手に入れた)。
実際、アメリカでもわかっている風のストリートライダー、DGのラジアルフィンヘッド付きRD400とか、GS1000とかに乗っているヤツらにスターⅡは多かった。
ケニーは1979年にツナギをベイツ(グランプリではワッペンはなしだったけど)からイタリア製ダイネーゼに換え、ちょっとビックリした。でも、ヘルメットはベル。それが1980年にagvになった(イエローで白頭鷲も描かれてはいた)。個人的な話だけど、ここでケニーへの憧れはだいぶ薄れ、グランプリ史上最高のシーズンといわれるケニー対フレディの1983年は、マールボロカラーで、全然憧れのケニー・ロバーツではなくなってしまった。
マールボロカラーのベルは、エディ・ローソンなのだ。AMAのカワサキ時代のベルも悪くはないけれど、やっぱりグランプリのM2だ。これも個人的な話だけれども、僕もこの頃M2レーシングを被っていた、仕事もあってエディとはヘルメットの話を随分した。1984年に世界チャンピオンを獲った後もベルのレーシングサービスはいなくて、エディが自分でメンテナンスしていた(アライは毎戦来ていた)。転ばないエディはヘルメットを壊さず、市販品よりずっとぶ厚いシールドを交換するだけ。でも、エディのグランプリ用は帽体も内装もまるで違っていた。持たせてもらった手が思わず上がるほど軽い!!
「カーボン製。疲れないよ、軽いからね。ひとつあげるよ」
と言われたけど、サイズが全然小さくて(おそらくSぐらい)被れそうにないから遠慮した。これは10年ぐらい経ってすごく後悔した。で、あのカーボンM2は、後に10数万円だかで市販されることになる。エディのM2スペシャルは、内装も黒っぽいのと赤があって、これは「ベルの担当者の意向。シーズン半ばで切り替えるらしいよ」と本人。
半シーズンで3個供給されたと思う。これが1986年の話。その後エディは1988年途中でショウエイに。でも1993年、デイトナ200にバンス&ハインズカラーで現れたときはベルだった。それもインディカーに使うような空力用突起(カラスの足跡)付きの、これまたカーボンの超軽量。どうして、またベル?
「昔からの知り合いがいてさ。このデザインもベルの人のだよ」
そう。ケニーのもベルのデザインだっていう。で、この4輪風ベルは、その後スコット・パーカーなんかもダートで使っていた。やっぱりアメリカ人はベル。ウェイン・レイニーのアメホン時代のM2も良かったし、MXのヒーロー、稲妻マークのボブ・ハンナのモトⅢも最高だった。FRP製ヘルメットの原型となった世界初のジェットヘルメットの500や、世界初のフルフェイス、スターを生んだ歴史よりも、やっぱりケニーやエディが被っていたこと。それが僕らのベルの歴史なのだ。