取材協力/アクティブ  取材・文/石橋知也  撮影/高倉 康
掲載日/2013年12月3日
『BELL』(ベル)と聞いて、即座に反応するのは40歳代以上の人々かもしれない。それは多分、ケニー・ロバーツやエディ・ローソンが被っていたからだ。一方で、ヴィンテージバイクが好きな若いファンもBELLに熱い思いを寄せている。こちらは1954年にBELLがリリースしたモデル『500』や、その進化版であるモデル『500-TX』への憧れだ。そんなBELLの過去・現在・未来を追ってみよう。

INTRODUCTION

現代ヘルメットの原型はすべてBELL
世界中のメーカーが模倣した

一時期、そう1970年代は2輪4輪を問わずレースの世界でヘルメットと言えば、ほとんど『BELL』(ベル)だったし、ストリートでもフルフェイスもオープンフェイス(ジェットヘルメット)も、最高峰はBELLだった。世界中のヘルメットメーカーはBELLを手本とし、その構造(ガラス繊維と樹脂の強化プラスチック+発砲スチロールライナー)やスタイルを模倣していた。

 

バイクのレースで言えば、GPよりも注目されていたのが1970年代のデイトナ200マイルで、ヨーロッパからはGPライダーが、日本からは各メーカーのファクトリーライダーが参戦。すると“デイトナ土産はBELLとBATES”というのが日欧ライダーの定番になっていたぐらいだ。つまり当時、2社はその分野で世界最高峰だったのだ。

 

ところがヘルメットメーカーが世界中で急増したこともあって、バイク界でのBELLの全盛期は1980年代中期までで、1990年代に入ってから日本ではあまり注目もされなくなってしまった。4輪レース用や2輪モトクロス用を除けば、製品自体のデザインもかつてのものと大きく違っていて、アメリカンブランドとしての魅力が薄れてしまっていたことも事実だ(現在日本では自転車用の方が有名)。

 

それが最近、伝統的なBELLデザインが復活。新旧のファンに再びBELL熱が起きてきている。

 

「ウチがM3Jから始めたのも、やっぱりあの頃(1980年代)までのBELLらしいものを、という思いからです。エディ・ローソンが被っていたM2のデザインを受け継ぐのがM3Jですから」

 

と言うのは現在、BELLの国内正規販売を行うアクティブの小山博由来さん。小山さん自身、コアなBELLファンであるから、スタイルには相当コダワリがある。もちろん現在のBELLは日本製ヘルメットに勝るとも劣らないクオリティや被り心地で、そのあたりもBELLが見直された要因だろう。なお、日本国内専用モデルは、『M3』に“Japan”を意味する“J”が付き、『M3J』と呼ばれる。

 

そして大切なことは、BELLというブランドは、そう簡単に片づけてはいけないということだ。そのヒストリーを知れば、バイクやモータースポーツの世界にどれだけ影響力があったのかがわかる。BELLこそ、近代ヘルメットの原型“The Origin”なのだ。

イエローはモトクロス用のMOTOSTARで、ホワイトのオープンフェイスは500-TX(年式で仕様は異なる)。デザインはいかにもBELL。このデザインと構造を世界中が模倣した。

ACTIVEのBELL担当の小山博由来(こやま ひろゆき)さん(写真左)。BELLへの熱意が日本での製品化まで実現させた。

HISTORY

INDY CARもF1もAMAも
BELLという時代があった

ヘルメット後部のこの小さなステッカーがBELLの証。RT(左)はモデル500、500-TXから進化したオープンフェイスだ。BELLのソリッドカラーにはホワイト、ブラックの他にオレンジ、イエロー、ブルーなどがあった。

“The Origin”モデル『500』がデビューしたのは1954年だった。BELL初の製品で、スタイルはオープンフェイス(ジェット)。それまでのヘルメットは、乗馬用から派生したハーフキャップで、耳の部分は革だったが、モデル500は耳までシェルで覆っていた。すぐにモデル500は高い評価を受け、レースでもストリートでも一気に普及した。その安全性の高さは、1955年、INDY500で初めてBELLを被って出場したカル・ネイデーが、不運にもクラッシュして、それでも重症を負わずに済んだことで証明された。ちなみにこの年のポールポジションは、平均140.045mph(約225km/h)も出ていた。

 

1960年代のアメリカのレーシングドライバーは、『500-TX』にバイザーと単眼ゴーグルというスタイルが定番になった。ライダーにはゴーグル派も多かったが、発売されたスナップ留めのコンペシールド(コンペティションシールド)を装着する例も多くなった(純正以外にも多くのコンペ/バブルシールドが市販された)。ゴーグルに代るこれらのアイプロテクションは、この後もレーシングライダーのみならず、ツーリングライダーにも愛用されていく。そして500-TXは『RT』、『マグナム』など名品へと進化していった。

 

また、BELLは1966年に世界初のバイク用フルフェイスヘルメットを開発した。もちろん、コレもオープンフェイスのモデル500と同じく、現代ヘルメットの原型となった。すぐに安全性にうるさいAMAライダー、ゲーリー・ニクソンが使用したことで、フルフェイスの『STAR』はさらに有名になった。

 

フルフェイスは1960年代?1970年代に『STAR I』『STAR II』『STAR III』、バイザー付きの『STAR 120』と進化し、1971年にはINDY CARレース(当時USAC)出場の全33名がBELLを被っていた。さらに4輪レース用には1973年に世界で初めて難燃性素材をインナーに使用した『STAR FX』をデビューさせた。

 

こうしてINDY CAR 、NASCAR(ストックカー)、NHRA(ドラッグレース)、F1、AMA(バイク)のロード/ダート/モトクロスで、BELLは絶対の信頼を得たのだ。もちろんストリートユースでも同じで、世界で最も安全で進化したヘルメットが、アメリカのBELLだったのだ。今ならGPやF1で誕生する物が最先端なのだが、あの頃はヘルメットでもツナギでも、アメリカが世界をリードしていたのだ。

 

 

BELL契約のインディカーとドライバーやAMAライダーが持っていたヘルメットバッグはやたらカッコ良く見えた。オープンフェイスのバイザー、ゴーグル、コンペティションストライプの入ったジャケット、Tシャツ…どれもが輝いていた。これらは現在では貴重なコレクターズアイテムだ。

1970年代はまさにBELL全盛期だった。#2ケニー・ロバーツも#9ゲーリー・ニクソンもBELLを愛用。1970年デイトナではCB750FOUR(ファクトリーマシン)でホンダに初めて栄冠をもたらしたディック・マン、2位ジーン・ロメロ(トライアンフ)、3位ドン・カストロ(トライアンフ)と1-2-3。1971年インディ500では優勝したアル・アンサーSir.を含め決勝出走全33名のドライバーがBELLを被っていた。

BELLを被った
アメリカンヒーローたちに憧れた

アメリカンライダーは、みんなBELLを被っていた(BELLを被ったことがなくてヒーローになったライダーは、多分いないと思う)。AMAグランドナショナルチャンピオン(1975、1976年)から世界GP500の3年連続(1978?1980年)世界チャンピオンになったケニー・ロバーツは、STARシリーズを愛用していた。1977年までのAMA時代はアイポートの広いものが多く(STAR 120がベースかもしれない)、1978?1980年まではSTARIIのスタイルだった(いずれもスペシャルの可能性が高いが)。USヤマハがイエロー&ブラックの、通称“インターカラー”を使い始めた時期と重なって、“ケニー=インターカラー”のイメージは強烈で、GP参戦後のアメリカンイーグルデザインはスペシャルカラーリングのはしりでもあった。

 

ロードレースで続いたのはエディ・ローソン。1980?1982年までのUSカワサキ時代で2回、AMAスーパーバイクチャンピオンを獲得。エディのBELLは1980年がSTARシリーズで、1981年からは『M2』(4輪用『XFM-1』も近いデザイン)がベース。1983年からケニーに誘われ、世界GP500へ(マールボロカラーだ)。そして1984、1986、1988、1989年と世界チャンピオンに輝く。1983?1987年途中までBELLを被った。途中からはM2スタイルの“エディスペシャル”で、超軽量品(カーボンシェルか?)。GP引退後に突如復帰した1993年デイトナ200では、4輪用VORTEXスタイルのカーボン仕様(バンス&ハインズカラー)を使った。トップライダー用はアイポートの形、広さ、ダクトの有無(ダートトラック用はホコリの進入を嫌ってナシもある)などスペシャルモデルが多い。

 

ケニーやエディ以外でも、ホンダ時代(AMA)までのウェイン・レイニー、ダートトラックのエース、ババ・ショバート、ハーレーワークスのジェイ・スプリングティーンやスコット・パーカー、そしてスーパークロス/モトクロスでも、ライトニングボルトのデザインと強烈な走りが伝説となったボブ・ハンナ(MOTOSTAR?MOTO4)、リック・ジョンソン(MOTO4)、ジェレミー・マクグラス(MOTO6)、ジェイムズ・スチュワート(最新MOTO9)などチャンピオンたちのヘルメットはBELLだった。

 

 

日本で復活させた
“変わらないアメリカの良さとBELLらしさ”

「やっぱりBELLと言ったらケニーやエディでしょう。なので伝統的なBELLスタイルを持つM3Jではエディの雰囲気を出しました。続くM5XJも4輪レース用のM4スタイルです」(小山)

 

『M3J LEGEND』は、まさにエディのライムグリーンとマールボロカラーだ。なにしろ海外のバイク用BELLは伝統的なデザインではなかったから、昔からのBELLファンには不評で、日本で復活した伝統のBELLデザインは本当に待望されたものだった。もちろん日本のユーザーは品質・機能・被り心地に厳しいので、独自に進化させた。

 

「フィッティングパーツを用意したのも、そのためです。昔は外国人の長頭に合わせてあって、それが日本人では不向きな方が多かったのですが、現行品は日本専用ですので、当たるなどの心配はありません」(小山)

 

たぶんM3JやM5XJを見せたら、アメリカのBELLファンもライダーも驚くのではないだろうか。アメリカも日本と同じく、バイクもウエアもヴィンテージやネオクラシックがブーム(というよりカテゴリーとして定着した)。やっぱり変わらないアメリカの良さをBELLに求めているはずなのだ。

 

【上】1986年デイトナ200マイル。にGP500世界チャンピオンとなった#4E・ローソンがヤマハFZ750スーパーバイクで出場し、独走優勝。ヘルメットはGP仕様のマールボロカラー(M2)。【下】ハーレーの歴代ファクトリーライダーはほとんどBELLを被った。1976?1978年AMAグランドナショナルチャンピオン、#9ジェイ・スプリングスティーンは後年になってもBELL。頭部左右に名前を入れるのはH-Dファクトリーライダー共通だ。

 

バイクブロスのWEBマガジンでBELLの“歴史”を読む

TOPICS

ヴィンテージライン
復活への夢?

500-TXやSTARなどは、現在も高値で売買されている。もちろんコレクション用で、それを被ってバイクで走ることはできない。でも、もし、そうしたヴィンテージモデルの現代版があれば、と思うのはファンばかりではない。

 

「いつ、とは言えませんが、500-TXやSTARの日本仕様を製品化する計画はあります。実際に僕も欲しいですから。あのスタイルは、やっぱりBELLであり、原型ですからね」(小山)

 

もちろん現代の安全基準を満たし、品質も被り心地も現行品としての水準になる。ただ、そこまですると価格が…。

 

「やるとなったら購入しやすい価格内に収めるつもりです。多くの人にBELLを知ってもらいたいし、被って、走ってもらいたいですから」(小山)

※写真のヘルメットはサンプルです

 

BELLファンにとっては本当に“夢が手に入る”企画だ。BELLが生まれたアメリカではなく、日本でこうしてBELLや変わらないアメリカの良さを大切に想い、それをマスプロダクツにまでしてしまう、というところもおもしろい。

 

STARをケニーのアメリカンイーグルカラーや、1980年USカワサキのエディカラーににしたり、500-TXをA・J・フォイトやグラハム・ヒルやボブ・ハンナ(MOTOSTAR以前にはオープンフェイスも被っていた)のカラーリングにしたり…と、勝手に夢は膨らむ。本当に実現を期待したい。

バイクブロスのWEBマガジンでBELLの“購入手順”を読む
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新しいBELLは、ライダーの安全を常に第一に考えるポリシー“YOUR BEST PROTECTION”に基づき、購入の際はBELLヘルメット取扱代理店へ行くことを推奨している。スタッフがユーザーと相談しながらフィッティングを確認し、最適な内装に変更したものを用意する。