ヤマハ・コミュニケーションプラザ 歴史車輌デモ走行見学会2016(Part2)

掲載日:2016年11月30日 トピックス    

取材・写真・文/木村 圭吾
取材協力/ヤマハコミュニケーションプラザ

YA-1(1955年式)。ヤマハ初の市販二輪車で、通称『赤トンボ』。ドイツのDKW125を手本としていましたが、それを超える性能を持っていて、デビュー間もない頃に挑んだ富士登山レースで勝利を飾っています。

音・風・匂いで過去へ誘う
超極上コンディションの名車たち

今回は、2016年11月5日(土)に静岡県袋井市のヤマハ袋井テストコースで開催された「ヤマハ・コミュニケーションプラザ 歴史車輌デモ走行見学会2016」にて、走行披露された車輌を全て紹介します。音や匂いまでは伝えられないのが残念ですが、発売当時のバイクの雰囲気を感じるレポートをお送えします。

フォトTOPICS(写真点数/34枚)

01YD-1(1957年式)。ヤマハ初の2ストローク2気筒250ccモデル。西ドイツ(当時)のアドラーをモデルにしたと言われています。エンジンをパイプ、プレス併用式バックボーンフレームに搭載したことで軽量化も実現。デザインのキーワードは「日本人の250」だったそうです。

02YDS-1(1959年式)。日本初のスポーツバイクとも呼ばれています。戦後のバイクは実用性を重んじられましたが、趣味として楽しむ人々も増えつつあったのでしょう。YDS-1はレースで活躍したYD-1改の市販モデルで、軽快なデザインやカラーリングで人気を博しました。

03YDS-3(1964年式)。分離給油「オートルーブ」を採用。それまでの2ストロークエンジンは混合ガソリン仕様だったため、給油時に適切な割合になるようにオイルを混ぜる手間必要でしたが、それが不要になりました。

04YM-1(1965年式)。スポーツモデルYDS-1の成功を受けて登場。空冷2気筒2サイクルは同じでしたが、排気量を305ccとしていました。50ccほどの排気量増ですが、トルクアップによる加速性の向上に加え、最高速度も160km/hに達しました。

05R1(1967年式)。排気量350ccの新設計エンジンを搭載。クランクケースが上下分割式となり、整備性が大幅に向上。アルミシリンダーや密閉性を高められるシールの採用など、当時の最新技術が満載。ステアリングダンパーも装備されていました。

06DT-1(1968年式)。 空冷2サイクル250ccエンジン搭載のヤマハ初となるオフロードモデル。当時としては長いサスペンションストロークを確保していました。アップマフラーを採用していて、デザイン性の高さもポイント。

07XS-1(1970年式)。 二輪車としてはヤマハ初となる4サイクルモデル。OHC空冷並列2気筒エンジンは650ccの排気量を持ち、それをダブルクレードルフレームに搭載していました。エンジンシリンダーはほぼ垂直で、2気筒エンジンだったことから「バーチカルツイン」とも呼ばれたりします。

08HT-1(1970年式)。排気量を90ccとしたDT-1の弟分的な存在で、一回り小さな車体と軽量化で、トレールランの楽しみの裾野を広げたモデル。

09TX750(1972年式)。4サイクルエンジンの第2弾。エンジンはOHC空冷並列2気筒と表記上はXS-1と同じながらも、シリンダーは直立ではなく前方に僅かに傾けられて搭載され、排気量は750ccに。サイドカバーの「OHC 750」のエンブレムが何とも誇らしげです。

10RD250(1973年式)。「7ポートトルクインダクションシステム」や6速ミッションが搭載され、車重は前モデルのDX250よりも増加しましたが、ピーキーさは弱まり、トータルバランスの向上や軽快なハンドリングを得ました。

11TX500(1973年式)。TX750と共通イメージですが、エンジンは進化。 4サイクル空冷並列2気筒は同じものの、弁形式が4バルブDOHCとなりました。つまり、市販車としては初のDOHCエンジン搭載車ということになります。TX750とシリンダーヘッドの形状を見比べてみましょう。

12GX750(1976年式)。750ccクラスに投入された4ストロークマルチエンジン搭載モデル。3本のエキパイが描くアールは美しく、右1本出しとされたマフラーにテールカウルを備えた姿はカフェレーサーっぽいスタイルとなっています。

13XS1100(1977年式)。 初の4ストローク4気筒モデルは、ついにリッターオーバーの1,100ccで登場しました。実車は比較的大柄で、なかなかの迫力。

14SR500(1978年式)。 ビッグオフローダーXT500のOHC単気筒エンジンをベースにオンロードスポーツとして登場。途中で一旦キャストホイールになったり、前後ドラムブレーキだったり、ディスクだったりなど、変遷がありながらも2000年まで生産。

15RZ250(1980年式)。バイクブームの牽引役となった1台。ブラックアウトされた水冷2ストロークエンジンにマフラー、流麗なスタイリング、新しさを感じさせるリアのモノクロスサスペンション、タコメーターの針が上に来る頃に見せる加速性能などなど、乗れば何かが起こりそうな予感に溢れていました。

16XT250(1980年式)。250ccクラスのトレールモデルでは初の4ストローク単気筒エンジンを搭載。リアにはモトクロッサー譲りのモノクロスサスペンションが装備されていました。

17XJ750E(1981年式)。ヤマハでは初となる750ccクラスの4気筒搭載モデル。XJ650のエンジンをベースにしていたため、コンパクトさも実現。駆動はシャフトドライブで、ヘッドライト径が大きいことから親しみを込めて『目玉おやじ』とも呼ばれました。

18XZ400(1982年式)。 エンジンは水冷V型DOHC4バルブ2気筒で、リアにはモノクロスサスペンションを装備。XZ400は、後のカウル解禁となってフルカウルを装備して、さらにツアラー色が強くなりました。

19XVZ1200 Venture Royal(1982年式)。 初となる水冷V型4気筒エンジンを搭載。大型のカウルに左右のパニアケースとトップケース、大陸横断ツアラーの装備に加え、コンピュータによる姿勢制御装置やエアサスペンションによる快適な乗り心地を実現しています。

20CZ125 Tracy(年式不明)。スクーターにも関わらず、エンジンは水冷2ストローク単気筒が奢られ、最高出力は16馬力、車両重量は98kgで、RZ125Sよりも6kg軽量でした。

21RZ250R(1983年式)。RZ250がフルモデルチェンジし、リアはリンクを介したニューモノクロスサスペンションを採用。ブレーキはディスク化され、他のデザインも一新。エンジンには排気デバイスの『YPVS(Yamaha Power Valve System)』が組み込まれ低回転時の扱いやすさが増しました。

22FZ400R(1984年)。 ロードレースF3(2スト250と4スト400のクラス)の全日本ワークスマシン『FZR400(後の市販車とは異なる)』と同時開発さえたレプリカモデル。前年の1983年に登場したXJ400Z/Z-SXJ400系の水冷4バルブDOHCエンジンをベースに馬力は59馬力へと引き上げられていました。

23RZV500R(1984年式)。 世界GPに参戦していたワークスマシンYZR500(OW61)のテクノロジーを活かした2ストロークV型4気筒500ccエンジンを搭載。後輪とシートカウル内の計4本の排気口から発せられる白煙に、当時の普通免許ライダーは羨望の眼差しを送ったものです。

24SRX600(1985年式)。4バルブOHC単気筒ユニットの排気量は608cc。最高出力は42馬力と2スト250ccレプリカにも及びませんが、トルクは太く、そして乾燥重量は149kgとFZ400Rより軽くSR500よりも軽かったのが特徴でした。

25SERROW 225(1985年式)。「マウンテントレール」をコンセプトに開発され、英語でカモシカを指すセローと命名されました。非舗装路をトコトコと走れるのはもちろん、日常生活の大半を1台でカバーできるので、ファーストバイクとしての素質も有していました。

26SDR(1986年式)。メッキ処理されたトラスフレームに、専用チューンされたDT200Rの水冷2スト単気筒エンジンを搭載。乾燥重量は105kgとされたライトウエイトスポーツで、そのスリムさから『現代に蘇った赤トンボ』とも呼ばれていたと記憶しています。

27R1-Z(1990年式)。正式な呼称は『アールワンズィー』。ロングセラーとなったRZRのフルモデルチェンジ版といったところですが、フレームをトラス形状にするなどデザインを一新。エンジンはTZR250用をベースにした水冷2スト2気筒を搭載して名称も改められました。

28V-MAX1200(1990年式)。独特なフォルムはドラッグレースをイメージしてデザインされ、その心臓部にはベンチャーロイヤルの水冷4ストロークV型4気筒エンジンをベースにしたものが用いられていました。輸出車としては1984年から存在し、国内仕様は1990年からで、オーバーナナハンはヤマハ初、同時に国内初となりました。

29TOYOTA 2000GT (1967年式)(左)とLEXUS LFA (2010年式)(右)。短い時間でしたが、テストコース内を2台がランデブー走行。なぜ四輪が? と思われるかもしれませんが、その誕生などにヤマハが深く関わっていて、TOYOTA 2000GTはトヨタ自動車と共同開発され、生産は磐田工場が担いました。

30プロトタイプ車 YAMAHA OX99-11(年式不明)。市販化を前提にして開発された、F1用のV型12気筒3,500ccエンジン(ヤマハがエンジンを供給。それを公道向けとしてデチューン)をリアミッドシップに搭載。一見すると1人乗りに見えますが、助手席は運転席の後ろにある2座のクーペです。

31RD56(1965年式)。ヤマハ初のGP250マシンRD48(1961年)の発展型。世界GPシリーズ通算15勝(1963年~65年)を記録し、1964年、65年にはメーカー/ライダー(フィル・リード)両タイトルを連覇。この日のライダーは、アジアの国際レースで数多く勝利し、世界GPでも活躍した本橋明泰氏が務めました。

32FZR750(OW74) (1985年式)。耐久レース仕様のTT-F1に参戦するワークスマシン。市販モデルのFZ750がベースですが、外観的な面影は無いに等しいです。カラーリングは、当時のスポンサーだった男性用化粧品ブランド『TECH 21(テックツーワン)』で、ゼッケンもそれに合わせています。

33RD05A(1968年式)。この日のサプライズ枠「その1」のGP250マシン。2ストV型4気筒エンジン初搭載となったRD05をモデルチェンジ。全面的な設計見直し及び徹底した軽量化が図られました。1967年にデビューし、その年のタイトルは優勝回数の差で逃しましたが、翌年にはメーカー/ライダー(フィル・リード)両タイトルを獲得。

34YZR500(OW81)(1985年式)。1982年にOW61からレーシングマシンにはV型4気筒が採用され、このOW81では全面的に新設計となりました。世界GPではエディ・ローソンとクリスチャン・サロンがランキング2位と3位を獲得。全日本選手権では平忠彦氏が500ccクラス3連覇(1983~85年)を達成。





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