ヤマハ FZR400(1986)

掲載日:2016年01月08日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

YAMAHA FZR400(1986)
レプリカと言うより双生児。FZR400は同じ1986年に一新され名称もYZF400とした、ワークスレーサーと同時開発されたモデルだ。

ザ・ワークスレプリカ!

1980年代中盤、4スト400ccにもレプリカの波が来た。ヤマハが1984年にTTF-3用ワークスレーサー、FZR400を開発し、そのレプリカとして水冷4バルブ4気筒のFZ400Rを市販した。だが当時花形だったこのクラスには、ヨシムラレーサーのイメージを持ったGSX-Rをはじめ強力なライバルがいて、それだけでは物足りなかったようだ。そこで1986年、400cc最強を狙ったヤマハは、新しいワークスマシンのYZF400を全日本選手権に送り出すとともに、そのベースとしてと言うか、双生児的ストリートマシンとして、FZR400(冒頭のワークスFZRとは別)を市販に移す。

そこに投入されたのは、ジェネシスコンセプト。簡単に言えばエンジンと車体、足まわりの有機的な統合というアプローチ。前年1985年にデビューしたFZ750には45度前傾シリンダーと5バルブ、同じくFZ250フェーザーでは16,000rpm超と過去にない超高回転エンジンが組み合わさり、ジェネシス自体は周知されたが、車両全体の統合という意味では、このFZR400が一番適した車両だったはずだ。

エンジンだけでなく、車体や足まわりだけでもなく、FZR400ではWGPマシンのYZR500や、前年末に登場したTZR250(1KT)で実績を得たデルタボックスアルミフレームを投入。一気にクラストップのポテンシャルを狙った。ハイパワーに見合う車体がなければレースに勝てないというシンプルな論法で、サーキット最速という項目を開発コンセプトのひとつに入れるというレーサーレプリカ全盛時代の、ベース車作りの姿勢からだった。

アルミデルタボックスは今見れば当たり前のアルミツインチューブだが、当時は画期的な形状だった。ステアリングヘッド軸にかかるさまざまな応力をすべて吸収できるようにと上下スパンを取り、そこから幅広のチューブがそのままスイングアームピボットへと直線的につながる。その形状はまさしくデルタ。この初期型FZR400こそダウンチューブを持つが、これ以降は、FZRもライバル他車もそれを排した完全なツインスパーへ移行する。FZRのフレーム形状は、後のすべてのスーパースポーツの先駆けになったのだ。

水冷直4エンジンは、FZ750に同じ45度という強前傾シリンダーを採用。従来の燃料タンク前部にエアクリーナーを配して十分な容積を確保しつつ、ダウンドラフトキャブで理想的なストレート吸気を確保。前傾シリンダーによって4気筒車とは思えない低重心とスリムなライディングポジションを両立。

そんな構成よりも実際に大きな変化を感じたのはハンドリングだった。それは60%扁平のロープロファイル・ラジアルタイヤの乗り味だ。かつてヤマハは他に先駆けて1982年、XJ750Dの後輪にラジアルタイヤを装着したが、それはバイアスタイヤ向けの狭いホイールに履いただけのものだった。しかし、FZR400のラジアルは、ラジアルタイヤ時代の幕開けを告げるものだった。リム幅は4インチ(径は18インチ)で、タイヤ幅は140。“リアビューが圧巻”と当時の誌面でわざわざ触れるほどに、常識外の太さだった。

テイストもそれまでにない独特のもの。軽快でありながらクイック過ぎず、落ち着きがある。ヤマハらしい伝統のハンドリングに潤沢な接地感という新しい味が加えられたようだ。リッターバイクを操るようながっちりとしたタイヤのケース剛性があり、強い加減速時でも縦横に走行ラインが選べた。バイアスタイヤにはないコシのある踏ん張り。

実際に何度も、かつさまざまな場所で試乗したが、FZR400はTTF-3マシンに仕立てた時にちょうどよい剛性ではないかと思うほど高剛性な車体に対して、しなやかに動く前後サスで巧みにバランスが確保していたような記憶が残っている。静岡県・袋井のヤマハテストコースで開催されたバイク専門誌向け試乗会だけではなく、市街地やワインディングでも車体そのものを硬く感じることはなかった。前モデルのFZ400Rが見せた硬質なエンジンとソリッドな車体フィールとは真逆の作り込み、高い戦闘力と上質を両立させたテイストと言えた。

FZR400はワークスレプリカながら走って楽しいバイクでもあった。ただ、そうした生まれや時代背景から、レースに勝つためのバイクとして後継はFZR400R、FZR400RR/SPへと進化し、レプリカ全盛時代を駆け抜けた。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

1985年登場のFZ750、FZ250PHAZERから約1年遅れて現れたFZR400は、前2車が採用したエンジンとフレームの機能的融合を目指したジェネシスコンセプトをさらに進化させて、アルミデルタボックスフレームとラジアルタイヤ装備でデビュー。まさに公道を走るレーサーを作るというコンセプト。しかし、クイックなハンドリングではなく、誰でも安心できるヤマハらしい落ち着きのある味付けを狙った

1986年5月のFZR400デビューから約1年、1987年4月には末尾にRの付いたFZR400Rが登場。レースベース車として2,500台が限定販売された。外観上はシングルシートカウルの装備。これにより乗車定員1名への変更、カタログ上の最高出力こそ同じだが、軽量化したピストン、強化クラッチ、TTF-3レース向けに設定したクロスレシオミッション。また前輪2ピストンブレーキキャリパー、リザーバータンク付きリアショック化など、レーサー色を強めたモデルだった。価格はFZR400の69.8万円に対し、FZR400Rは89万円

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