スズキ RG400ガンマ(1985)

掲載日:2015年08月07日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

SUZUKI RG400Γ(1985)
速く走るためにメーカーの持ち得るすべての技術が惜しみなく投入された
1980年代2ストレプリカマシン群。RG400Γはその頂点だった。

栄光の速さは扱いやすさ

1980年代の国内バイク界は、4ストローク高性能スポーツ車が台頭する一方で、2スト車はまさに全盛期を迎えていた。レースの主役も2ストだったから、それを模倣するように最小50ccから最大500ccまでが揃い、シリンダーレイアウトもさまざま。単気筒に並列2気筒=パラレルツイン、前後2気筒=タンデムツイン。V型にも2気筒、3気筒、4気筒があった。そして4気筒を正方形のように並べたスクエア4レイアウト。今回紹介するRG400Γと、限定解除版の500Γはこれを採用した希有なモデルだった。

RGとは、レーサー・オブ・グランプリ。スズキのGP500レーサーにも冠されるもので、ファクトリー車はRGA、RGBと進み、その次の型はRGΓ(ガンマ)を名乗った。Γはギリシャ語の「栄光」を意味する「ゲライロ」の頭文字で、ギリシャ文字の3番目に当たる。1981年はマルコ・ルッキネリが、1982年はフランコ・ウンチーニがWGP500タイトルを獲得する。WGP自体は1983年から休止したがスズキは1985年にフルスケールの2ストレプリカとしてRG500Γ、そして中型(現・普通)二輪免許でもそのテイストを楽しめるようにRG400Γを投入する。

相前後してホンダはワークスマシンNS500RイメージでV型3気筒のNS400R(1985年)を、ヤマハはV4のYZR500レプリカとしてRZV500R(1984年)を発売した。ホンダは日本で市場規模が圧倒的に大きい中型クラスを意識して500は投入せず、逆にヤマハは欧州市場も視野に入れつつ、アクシデント増加を憂慮して500のみを投入。スズキのみが500/400の双方を揃えることとなった。

ところでRG400Γは、同クラスで最も高いパフォーマンスを発揮しながらも、非常に乗りやすいエンジン特性と操縦性を実現していた。最高出力は自主規制いっぱいの59馬力だが、当時のスズキの強い軽量性へのこだわりが功を奏し、俊敏な走りを約束した。パワーデリバリーが非常にスムーズな上にピークパワー時も扱いやすいために深いバンク時のスロットルコントロールが容易。そのためライン補正も行いやすかった。よりパワフルなRG500Γも魅力だったが、高回転時のエンジンの扱いやすさから生まれる意外な速さが400Γにはあった。

ハンドリングも当時のスズキ車中で最も安心できる高い完成度。RZVは外径が17インチ相当のF16インチとR18インチ。RG-Γは径はNSと同じくF16/R17インチで、幅はΓがNSよりワンサイズ太めを採用したが、癖は感じなかった。しかもキャスター角は、NSが27.5度、RZVが26度で、今のような25度以下は皆無の時代のところに、RG-Γは23.35度というワークスマシン並みの数値を採用しつつ、公道走行では優れたバランスを確保していた。

その背景にあるもの。それはWGP500で1976~82年の7年連続メーカータイトルに輝いた蓄積だろうか。多くのGPライダーとともに掴んだのは栄光だけではなく「乗りやすさこそが速さに直結する」という速さへの最適解。それがRG400Γにフィードバックされたのではないか。後にスズキに乗ってWGPで大活躍したケビン・シュワンツも徹底して乗りやすさをエンジニアに求めたという。ライダーの感性に沿う作り込みこそ勝利への王道であり、今へと続くスズキの伝統。その原点がRG400Γと言えそうだ。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

ワークスマシンRGΓのスクエア4エンジンを基本に、RG500/400Γ用に後方2シリンダーをリフトアップしてエンジン全長を短く設定。全幅も並列2気筒並み。対角線上にある各気筒が同時爆発するため1次振動が少なく、軽量コンパクトなアルミフレームが可能となった

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