掲載日:2014年11月21日 絶版ミドルバイク
文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)
記事提供/ロードライダー編集部
※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです
ヘッドライト格納式のいわゆる3型、GSX750Sカタナを国内市場向けフラッグシップモデルとして投入した’84年のスズキは、一方で2ストロークにも盤石の態勢を整えていた。ロードスポーツでは量産車世界初のアルミフレームを持つRG250Γ(’83年初出)を改良し、オフロードファンに向けては、ワークスレプリカと呼ぶに相応しいRH250を投入したのだ。当時オフ車は中間排気量の200が主流、その中でフルスケールとした250のRHは、スペックやパフォーマンスという意味では、個人的にはナンバー1、ロードのΓと並ぶと思った。
そもそも「RH」とはスズキのワークスモトクロッサーの呼称だ。RH82なら’82年型の250マシン。同様に125ならRA、500はRNだ。RHは’70/’71/’72年の3年連続で世界選手権モトクロスを制覇し、続く’73年にそのノウハウを生かした市販モトクロッサーが発売されたが、その名称はTN250。’75年型でRH250、’76年型でRM250の名となった後、RHの名は市販車で’84年に復活したわけだ。今回は保安部品こそ付くものの、ワークスマシンに形もカラーもかなり近い。
最高出力35psは、’84年型でこそないが、’73年型RHに同じ。さらにこの数字は、RZ250やVT250Fというハイパーロードスポーツと同じ。ただ、RH250は乾燥重量103kgと、それらより20~30kgレベルで圧倒的に軽かった。ということは最高速度はともかく、短い区間では舗装路上でもRH250がRZやVTよりも速いかもしれない。
実際に乗ってビックリ。スタートから50メートルだったら同クラスの最強ロードスポーツよりも速い!と実感。実測したわけではないけれど、2スト単気筒エンジンならではのピックアップの良さ、低速からほとばしり出る高トルク。すぐに前輪が浮き上がる刺激も含めての速さが魅力と思えた。ちなみに他社の例だが、RZ250よりも単気筒195ccのSDR(これにしても’88DT200Rと同じエンジンだ)の方が0→50mでは実測タイムが上だったから、これは裏付けられそうだ。
RHのエンジンのボア×ストロークは250クラスのフルサイズ=249ccとなる70×64.8mm。ワークスマシンもRM250も70×64.0mm(246cc)であり、RH250の前身、名車TS250ハスラー系もこれを踏襲してきた。54×54mmとなるRG250Γも含め、スズキは当時から実績重視のモノ作りを優先してきたが、このRH250ではストロークを延長、エキサイティングな走りを追う方へシフトした。
1軸式デュアルバランサー装備による滑らかな吹き上がり感も印象的だった。これは滑りやすい路面で効果があった。デバイスなしの2スト単気筒250ccともなると不整爆発によるエンジン振動が大きくなりがち。従前は不快な振動を半クラ多用でぼかす乗り方で対処していたが、これなら不要。125cc車ベースで作られた200cc車と異なり、250ccフルサイズならではの重さと大きさとギクシャク感による難しさがあるのではないかと思ったが、それが消され、車体の軽量化とも相まって多様な路面や速度域で乗りやすさが実感できたのだ。モトクロス部門でもプライドを持つスズキエンジニアの意地を、そこに見た。
’84年はバイクの足まわりが一気に進化した頃で、RH250でもCMC=クロスモノクッションタイプのフルフローター式リヤサスを導入ししなやかな入力初期と中間からの踏ん張りを実現。ショックユニットが車体に固定されないことによる入力初期の絶妙の柔らかさは個人的に大好きで、その後に同メカを持つRM125を購入したほどだった。
RH250はツーリングにも使いやすかったが、スズキはTS200Rを後継とし、250ccフルサイズは’94年のRMX250Sまで間が空く。今では超レアとなったRH250だが、大切にされた車両とどこかで再会できる日が楽しみだ。