ヤマハ DT200R/125R/50(1984)

掲載日:2014年07月25日 絶版ミドルバイク    

文/柏 秀樹(柏 秀樹のライディングスクール『 KRS 』)

記事提供/ロードライダー編集部

※この記事はカスタムNo.1マガジン『ロードライダー』の人気企画『ミドルバイク流星群』を再編集したものです

YAMAHA DT200R/125R/50(1984)
’80年代はオンロードだけではなくオフロードでも2スト・パフォーマンスが炸裂した時代。
その代表作が今回紹介のDT200Rだ。

2スト・オフの名車!

ハイパワーが当たり前の今の時代でも、’80年代の2ストローク・オフロード車に一度乗ってみると「楽しさは格別!」と誰もが声を発するだろう。ロードモデルの進化同様に、軽量な2ストエンジンが水冷化でより高出力され耐久性が上がり、車体もリヤサスのリンク化&モノショック化で大幅に走破性を高めた。

公道走行可能なモデルでは林道はもちろん、市街地もスイスイ。その気になればワインディングロードでも自在にカッ飛んでロードモデルを追い回す。さらには専用モデルのみの楽しみと思われていた、モトクロスコースでの走行すら無理なく出来るほどに進化していたのだ。

そんな2スト・オフ車中でも、この’80年代前半に誕生し大いに注目を浴びたのが、200ccクラスだ。オフロードを自在に走ろうと思うなら、車体は軽量コンパクトに限る。しかも、パワーはそれなりにほしい。だから、125ccクラスのボディサイズに250ccクラスのエンジンパワーという思想が生まれた。

ヤマハは既に1982年に、DT125を水冷化して人気への手がかりを掴んでいた。“空飛ぶサスペンション”として’70年代のモトクロスを席巻したカンチレバー式のモノクロスサスは空冷時代から採用し、走り味には定評があった。そこに水冷エンジンを持ち込んだのだ。シルバーの角型スイングアームに、それまでの空冷DTから一気に現代化したスタイル。控えめに右側のみに装備されたラジエーターも、雰囲気を大きく高めていた。そのDT125を下敷きに、先の200cc思想を投入して’84年に送り出されたのが、’84年のDT200Rだ。

当時のDT125試乗会でのDTの元気ぶりには集まったジャーナリストたちも納得。そこに「これで高速道路が利用できたら、もっといいのに」というコメントがあり、これに200cc思想が絡んだようだ。

そのDT200R(37F)はDT125とほとんど変わらないサイズの車体に18→30psと大きく跳ね上がったパワー。しかも125になかった排気デバイスのYPVSが追加され、低速からも十分なトルクと、扱いやすさを得た。リヤのモノクロスサスは新たにリンク式となり伸び側10段階、Duメタル装備でスムーズな作動を得たフロントフォークには3段階の減衰調整機構を加え、フロントに新装備された油圧ディスクブレーキはワインディングを攻めても十分な効力とコントロール性が付加される一方で、泥や水分の付着で効力を落とさないようにと、ディスクカバーも付けられていた。

そんな装備を持ちながら、乾燥重量はわずか99kgに抑えられ、パワーウェイトレシオは3.09kg/psと、当時の新鋭ロードスポーツもしのぐほどの数値が持たされた。

小さなところではチェンジ&ブレーキペダルは転倒でも破損せず走れる可倒式に。アクスルシャフトを装着したまま後輪の脱着がクイックにできるオープンエンドをアルミ角型スイングアームに設定。調整が容易なスネイルカム式チェーンアジャスターや素早くキャップ開閉と補給ができる大径の燃料キャップ、俊敏なハンドル交換ができる分割式レバーホルダーなど、当時としてはレースにも役立つディテールを満載した。

初代200R登場時のキャッチコピーは“ウィークエンド・モトクロッサー”。折しも’82年末に後楽園スタジアム(当時)にスタジアムクロス(スーパークロス)が上陸。全国ニュースでも報道されるほどの注目度で、そこで1-2フィニッシュを飾ったのがヤマハの#22リック・ジョンソンと#6ブロック・グローバーで、DT200Rが彼らの駆るYZ250に似ていたことも、人気をヒートアップさせた。林道はもとよりモトクロスコースにDT200Rで繰り出すユーザーが増え、エンデューロレースでも大活躍する。

今回紹介のカタログは細部の変更を行い32psになった’85年型に続き、ナックルガード追加等を行った’87年型(2LR)のもの。125(34X)も基本構造が200Rに同じになり、末弟のDT50も合わせて掲載している。2スト3兄弟が揃って’87年型YZシリーズに近いカラーリングとなり、そのイメージを強調したカタログとなっている。

他社からも200、あるいは250ccのライバルが登場したが、DT200Rは、ロードで言うRZ250並みの名車だったのだ。

カタログは時代の証明。カタログで知る名車の系譜…

初代からモトクロッサーを意識

日本で1984年に発売されたDT200R(37F)はこのグラフィック。北米仕様はDT200。灯火類保安部品の違いのほか騒音規制の違いでマフラーエンドが短い。ハンドルブッシュガードの装備はなし

AMAスーパークロスで大活躍していたリック・ジョンソン(’86年にホンダに移籍した)に憧れて、鮮烈デビューを飾ったDT200Rを駆って週末のモトクロス走行を楽しむライダーが増えた。2型は燃焼室形状の変更により30馬力から32馬力へ。1速のギヤレシオのクロス化で、よりスムーズな加減速を実現。このカタログは3型だ。フルサイズボディの末弟、DT50もエンデューロで意外な速さを見せた

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