パーツを捨てられないのはなぜ?

パーツを捨てられないのはなぜ?

掲載日:2009年09月24日 ライダー考現学    

読者からの質問

主人のガレージには、乗っていないバイクのパーツが山のように保管されています。場所を取り過ぎているからせめて使用済みパーツくらい処分すればいいのに、ずっと反対されています。どうしてなのでしょうか。

滋賀県 整頓主婦さん(ヤマハ セロー250所有)

 

パーツを捨てられないのはなぜ?

 

「予備のパーツがもう1セットある」ならまだしも、「5年前に売ってしまったバイクなのになぜか前後サスペンションが家にある」「関係ないバイクのパーツを一式持っている」「いままで交換したピストンを全部保管している」といった“無駄パーツコレクター”が多いライダーたち。厳しい日本の住宅環境において、他のことへ転用できない部品を溜め込むことは、無駄な行為と断罪されやすい。思い出はまぶたのシャッターで心のフィルムに焼き付ければいいと言われるかもしれないが、世間はこういったパーツを大切にするライダーの気持ちに対してあまりにも無頓着だ。

 

蓄積されたパーツはライダーとバイクの歴史を現す証明そのもの。これを捨てるということは、彼らにとってライダーとしての自らを否定されることとなるため、反対されるのは致し方ない。しかし、眼前の問題である居住スペースなどの敵であることは間違いなく、家人の都合によって排除されることもあるだろう。そのときも、一見ゴミに見える金属塊は彼らの青春の証明であることに理解を示した上で対処してあげて欲しい。モノより思い出という言葉もあるが、モノが思い出となっている場合もあるのだ。とは言え、ライダーは気まぐれな生き物。極稀に自ら思い立って処分・整理をする例も報告されているので、本気で整理整頓させたい場合は、日頃からそちらへ誘導する努力を怠ってはいけない。周囲が理解を見せることにより、思い出にケジメがつけるのがベストな解決方法だろう。

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