モトクロスライダー辻 健二郎が2013年、AMA-SXに参戦! Vol.10

掲載日:2013年03月18日 ツジケンAMA-SX参戦記    

文/辻 健二郎

モトクロスライダー辻 健二郎が2013年、AMA-SXに参戦! Vol.10

ケガや天候に泣かされながらも、とうとうスーパークロスのトラックに立つ事になったツジケン選手。スーパークロスの本場、アメリカの壁は果たして如何程のものだったのでしょうか!?

いよいよAMAスーパークロス本番に参戦
サムライ魂を見せてやるぜ!

ようやく参戦する事が出来た、2月2日のアナハイム3。この本戦日前のプレスデイ(木曜日)に、ジムさんが本番のコースを走れるよう話をしてくれました。この時の写真は無いのですが、JGRMX トヨタ ヤマハのJ・ブレイトン、J・グラント、トロイリーデザインズ/ルーカスオイル/ホンダのC・シーリー、J・ネルソン、C・クレイグ、という豪華なメンツと一緒に走る事が出来ました。コースは半分くらいしか使えなかったですけど、凄い経験が出来た事にこの時は感激しました。

 

そうして、いよいよ本番。Holley Racing ゼッケン#885で初出走です。カズマサ、ダイチ(江原大地)リュウセイ(大塚隆生)とで、アナハイムに出発しました。会場では、ドイツから駆けつけてくれた工藤メカ(工藤卓也)と合流して、レースに向けて受付車検と準備を済ませました。コースウォークの時、KTMのK・ロクスンや、スウェーデンから来たフィリップと話す事が出来て、緊張がとてもほぐれました。この後、ライツ(編注:250ccクラスの旧名称)の練習が開始したのを見に行ったのですが、今思い出すと、この時、自分は夢の舞台に来ているにもかかわらず、スタジアム全体を見渡す事も出来ないくらい浮き足立っていました。余裕が無いねっ、て思われるかもしれませんが、トップライダーを見ても皆真剣な眼差しで、ジャパンスーパークロスの時のように余裕な表情のライダーはひとりもいません。あらためて、『凄い空間で走るのだ』と感じていました。

 

さて、いざ本番。と言いたいところなのですが、走行は、練習とタイムドプラクティス(編注:予選のようなもの。日中に行われる)が2回。この3回だけで、初めてのスーパークロスは終了しました。トータルの走行時間は、たったの12分。タイムは最下位で、ナイトレースに進めず。少しでもタイムを上げたかったですが、これが精一杯でした。難関のタイミングセクションにトライして、危なかったですがなんとかクラッシュなどせずにギリギリでOK。実際に憧れのスーパークロストラックを走ったのですから、ここで色々な話が出てきそうですが、あまりに走る事に精一杯で、唯一記憶に残っているのがこのタイミングセクションのヒヤッとしたシーンくらいなのです。そんな様子でしたから、夢を実現したその瞬間に、実感はまったくありませんでした。でも、憧れと夢を目の前にぶら下げていた時と、その瞬間が過ぎた今とでは、気持ちがまったく異なっているのは確かです。それは、これまでに経験した色々な出来事でも体験した事のない心境で、かけがえのない経験が出来た、という確信はあります。それと、スーパークロスは映像で見るのとも現場で見るのとも、実際に走るのとではまったくの別物でした。これは実際に走ったから感じられたのでしょう。収穫でした。

 

初戦のアナハイム3は散々な結果に終わりましたが、次戦のサンディエゴまでに、友人でメカニックでもあるリッチ(彼はスタントマンで、ジャッキー・チェンの映画『プロジェクトA』で、バイクに乗ってデカいジャンプをメイクしたスタントマン)とマシンテストに出かけました。彼は、古くはジムさんのメカニックを担当していて、それ以外にクラウド(戸田蔵人選手)のメカニックもしていた、根っからのバイク好きです。よくアドバイスもくれて、マシンの動きもとても見てくれる頼もしい友人です。お陰で、確実に良い感触を得ることが出来ました。翌日も練習に行ったのですが、たまたま同じトラックでUSホンダがテストを行っていて、ナント、スーパークロス キングのJ・マクグラス(編注:スーパークロスで連戦連勝を多く記録し、ジャンプ中に片足を身体の反対側に投げ出す“ナックナック”という独特のトリックでも名声を得た、レジェンド級ライダー)が、モトクロストラックでテストをしていました。惚れ惚れするライディングをこんな間近で普通に見る事が出来るアメリカの環境は、やはり凄い。モトクロス好きにとっては最高の環境です。この日は、スーパークロストラックも豪華なメンツだらけで、モンスターエナジー/プロサーキット/カワサキのD・ウィルソン、J・ヒル、ガイコ ホンダのE・トマック、Z・ベル、チームホンダ マッスルミルクのJ・バーシアと目白押し。中でも、ウィルソンのタイムアタックは尋常ではなかったです。USホンダのテストが終わった後、彼らが会社へ戻る前にショーワのRYO君(奥田さん)、USホンダのスタッフ(SAMさん、横山さん、湯川さん、森田さん、マツさん)が、オレの所に寄ってくれて、色々とアドバイスとマシンセッティングをしてくれました。これでまたバイクの状態が格段に良くなり、意思疎通ももの凄く良くなりました。オレレベルですけど、恐怖心と緊張感の中に僅かですがバイクを操れる快感を感じられるようになりました。この一件は本当にラッキーな偶然ですが、こういうめぐり合わせやバックアップに大感謝です。本当、応援してくれる皆さん、ありがとうございます。

 

そして、いよいよサンディエゴのレースデイです。ここにはカミさんも一緒に行きます。このラウンドが最後になるかもしれないので、日本から観に来てくれたのです。今回は前泊してレースに挑みましたが、前の晩はスコールのような雨がかなり降ってしまい、案の定、トラックウォークでは、かなり路面が緩い所があり、みんな、ラインを色々と探っていました。以前、ジムさんと歩いている時に、「こいつ37歳でスーパークロス初挑戦なんだ」とKTMのR・ダンジーに紹介してくれた事があり、肩を怪我してレースの前半戦に出られなくなった事や、今回の初挑戦について話しました。彼は、とても丁寧に話をしてくれる好青年で、前回のアナハイム3でもトラックウォークでオレを見て挨拶をしてくれて、今回のサンディエゴでは、トラックを真剣に見ているオレに寄ってきて「肩が治ってレースに出られたんだね、良かったね。頑張ってね!」、と先週の覇者から有難いお言葉を頂きました。フープスを見ていた時は、ロクスンも駆け寄って来てくれ、走り方と良いラインを丁寧に教えてくれ、これまた、先週の覇者から有難い教えを頂きました(編注:ラウンド5 アナハイム3でどちらも優勝)。オレとしては信じられないような夢物語で、超感激です。

 

練習が開始すると、トラックの何箇所かにはまだ柔らかい所が残っていて、転倒するライダーが多かったです。今回の練習では、比較的早くにジャンプをクリア出来た事もあり、前回に比べると自分としては良い感じがしていました。タイミングセクションの感触も良く、バイクセッティングを良くする為にくれた、みんなのアドバイスが効果を発揮しました。ところが、タイムドプラクティス開始の2周目に、トリプルジャンプを慎重に飛んだにもかかわらず、少し飛び過ぎてしまいました。距離にすると少しだったのですが、着地後すぐにコーナーがあるので、空中で「アッ」と思って着地箇所を見たら、丁度、斜面が終わる辺りの泥が溜まっている所に向かっていて、着地した瞬間に転倒。身体がバンクに貼り付く形になり、どこかを少し痛めた感じがあったのと、バイクを直す為にパドックに戻りました。鎖骨に違和感があるが折れてはいないと思っていましたが、メディカルチェックに診てもらうと鎖骨の脱臼(胸鎖関節)という事で、なんとここでリタイアになってしまいました。前戦に続き残念で仕方がないのですが、ケガを負った状態で走れるほどスーパークロスは甘くはありません。

 

そして、今回のサンディエゴを持ってスーパークロス参戦を休む事にしました。当初から前半だけの予定でしたし、ケガの状態やレース資金など、諸々を勘案しての結論です。特に資金難、こればかりはどうしようもありません。今回のビザでは労働して賃金を得る事が禁じられているので、完全にOUTなのです。スーパークロスやモトクロスに深く関わって行くにはアメリカに居る事がプラスなのですが、この先の予定はまだ決まっていません。サンディエゴで負ったケガが、後日病院で診察を受けた結果、通常はなかなか外れにくい所が外れているので、慎重を要する必要があり、治療の為にしばらくはまだアメリカに滞在しています(症状としてはやはり胸鎖関節の脱臼だったのですが、もし外れた方向が今回と逆の方向=喉方向だったら、動脈が近いので危険なケガとの事でした)。それなので、その時間を使って本場の本物をもっと見て、吸収出来るものは吸収したいと思っています。この文章を書いている現在でもケガの状態は相変わらずで、まだ重たい物は持てません。6~8週間を目安に回復を図る予定です。今回のAMAスーパークロス参戦計画は、「成功か? 失敗か?」と言われたら、ケガも多く成功とは言い難いでしょう。しかし、ここまでに費やしたすべてはどれもが真剣勝負で、とても素晴らしい時間でした。あっという間にあっけなく終わってしまい、楽しみにしてくれていた皆様には申し訳なく感じています。オレ自身ももっと活躍したかったですが、手を抜いた感覚は一切無く、悔しいですが全身全霊を傾けた結果の答えです。憧れのスーパークロスが、“憧れ”で終わる事はありませんでしたが、オレがこれまで続けていたモトクロスとスーパークロスは仕様が厳密には異なるので、これに身体を順応させるには、想像以上の時間やお金が必要だった事も事実です。今日のこの日まで、ご支援、ご声援いただいた皆様には本当にお世話になりました。まことにありがとうございます。言葉で表現する事が上手くなくまどろっこしい内容も多々あったと思いますが、この参戦記で日本の多くのライダーや読者の活力となる何かを伝える事が出来たのなら、オレの本望です。短い期間でしたが、どうもありがとうございました。何らかのかたちでまたお会い出来る事をオレ自身も切望しています。

 

辻 健二郎

 

 

 

 

 

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プロフィール

辻 健二郎

辻 健二郎

1975年8月8日 山口県徳山市(現 周南市)生まれ

父親の影響で3歳の時にモンキー(ホンダ)を緑地公園で乗せてもらったのが初ライド。週末は、家族みんなが父親のモトクロス練習&レースについて行く。そんな環境下、行った先で山の中を草木や泥にまみれて遊ぶのが日常だった。これが彼のバイクライフの原点になる。自己評価は、ポジティブに捉えると真面目で実直と言われるが、見方を変えれば頑固で自分を曲げない性格、との事。不器用だからスムーズに事が進まないが、この性格を理解してくれる周りに支えられ、モトクロス道を進んで来ている。大好きなボブ・マリーの曲、"JAMMIN'"から名前を取ったバイク仲間との倶楽部も活動中。何事も「enjoy!」が信条。

 

なお、随時申し込みがあれば個別のスクールを実施しているので、「ツジケンに教わりたい」と思ったライダーはぜひ問い合わせて欲しい。

【モトクロス塾】

 

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