モトクロスライダー辻 健二郎が2013年、AMA-SXに参戦! Vol.09

掲載日:2013年03月15日 ツジケンAMA-SX参戦記    

文/辻 健二郎

モトクロスライダー辻 健二郎が2013年、AMA-SXに参戦! Vol.09

古傷の膝を酷く傷めてしまった辻 健二郎選手。タイミング良く日本に一度帰国するという事で、馴染みの医者に駆け込んだようです。AMAスーパークロスの開幕までもう時間がない! さて、どうなるのでしょうか?!

モトクロスにケガは付き物とは言うものの
訪れたスーパークロストラックはとんでもない!

前回連載の診察後、膝の状態がかなり悪いので、果たしてバイクに乗れる状態に戻れるのか、不安になっていました。この時、そのままだと、回復の見込みもまったく見当もつかない状態だったんですね。しかし、AMAスーパークロスの事を考えれば、とにかく何とかしなければいけないので、昔からケガのリハビリで何度も救ってもらった先生の所を訪ねてみる事にしました。

 

その先生は診てすぐに、「こんなの、たいしたことないじゃん。アメフトやラグビーだと、もっと酷いのいっぱいいるよ。なんで来たの?」と、久しぶりだが何時もの毒舌が健在……。その言葉に、少しは回復の兆しは感じたのですが、『また、そんな言い方して~』とちょっとムカッともしちゃいました。でもケガを治すのに必死なので、しっかり検査をしてもらい、悪い所を徹底的に見つけ出して、正確に改善を図れるリハビリメニューを作ってもらいました。この毒舌先生の元に3日間通って、みっちり朝に3時間、昼に4時間と、正確にリハビリ出来るように指導を受けました。お陰でかなりいい感覚に戻す事が出来て、不安も格段に軽減しました。この先生には、過去の首の大ケガからの復帰(連載2回目を参照)でもお世話になっていて、その時は今でも思い出したくないリハビリが4か月も続きました。でも、あれがあったからこそ再起できて今があるのは間違いないです。大切な恩師で、とても感謝しています。

 

このケガの回復が進み始めたのと同時に、ビザの再申請手続きの方も大きく進み出しました。今回取得するビザは、B-1ビザというもので(前回はOビザ)、6か月アメリカに滞在出来、レースの準備と参戦の時間が充分に確保できるモノです。申請内容には面接もあり、その時のやりとりは英語になります。レースの事や、なぜそれはアメリカでなければならないのか、など色々な事を訊かれましたが、堂々と理由を答え、面接官から「PERFECT」と合格をもらえました。この時は、前に並んでいた高齢の女性は申請内容が不適合だったのか、殆んど問答する事なく却下されていたので、結構通るのは簡単な事ではないようです。その後、ビザの発給手続きも1週間以内という事だったので、航空券の予約、保険の手続き、荷物のシッピングを急いで済ませました。結局、日本を出るまでは、スポンサーへの挨拶にライディングスクールの予定などと、やる事がギッチリ詰まっていて、日本に帰ってきてからまたアメリカに行くまで、休み無しのフライトでした。

 

スーパークロスに向けて2回目のアメリカ活動は、皆さんにはもうおなじみのジム(・ホーリー)さんの所へステイする事にしました。前回の渡米でステイしていた辺りではスーパークロスの練習が出来る環境を見つけ難く、より良い環境を求めての変更です。アメリカでのライディングは3か月ぶりでしたが、その割には意外にすんなりと乗る事が出来て、スピードもすぐに戻りました。膝の具合も、ガッチリとテーピングしてあるし、不安に感じていた乗った時の違和感も時間と共に薄れて行きました。スーパークロストラックに練習に行くまではしっかりとバイクに慣れ、コントロールする感覚を取り戻す為の走り込みも必要です。その一環としてジムさんの提案でスーパークロスを想定して、走った事の無いコースへレースに行く事になりました。練習は5周きりで、後はいきなりレース(2ヒート制)。「ジムさん、それは結構危ないだろー」と話しましたが、「無理しないでやってみな。スーパークロスはもっと短い時間でタイムを出さないといけないから、いい練習だよ」と言います。歴戦の経験者がそう言うので、「それでは」と集中して、自分に期待して挑んでみる事にしました。案の定、まったく知らないコースなので初めはジャンプの飛距離も合っていない。そんな中、今年からプロでスーパークロスにチャレンジするローカルライダーがいて、1人だけ飛び抜けて速かったです。最初の練習では、その彼と10秒近くの差があったのですが、ヒート1では1~2秒差でなんとか走る事が出来ました。ヒート2では、ジムさんからスタート前に、「1周でもリード出来たら、今日はそれでいい、OK? “ワカッタ?”」って、最後だけ日本語で言われました。そのヒート2は、スタートにもの凄く集中して、ホールショット(編注:1コーナーに1番で飛び込む事)で出られ、そのまま1周リード出来ました。ジムさんからは「1周でいい」と言われましたが、こっちにも意地があり、イケる所まで全開で走りました。無我夢中でしたが久しぶりに爽快な走りが出来ているような感じで、とにかくすべてを出し切ろうと必死です。この調子で残り1周ちょっとという所までポジションをキープ出来ましたが、そこで残念ながら例のプロライダーに抜かれてしまいました。でも、そこで諦めず、残りの最後まで全開で走り切りました。結果的には彼に負けてしまいましたが、すべての力を出し切れた感覚があり、この日は大いにOKです。その彼も、レース後に「良い走りだったよっ」と、オレの健闘を称えてくれました。その後、彼は、今年初めてのスーパークロスに挑戦して、見事2回もナイトイベントに進みました(編注:スーパークロスのメインイベントは夜に行われ、挑戦する側のライダーにとっては、まずは昼に複数ある予選を勝ち抜く必要がある。初参戦ではナイトイベントに進めれば、まずは合格)。まだ、20歳くらいなので、これからも頑張って欲しいと、陰ながら応援しています(編注:コースでフルネームを聞けなかったそうで、僅かな情報をまとめると250クラスの#448 Broc Shoemaker選手らしい)。

 

この後は、いよいよスーパークロストラック練習へ行く事に。と、ちょっとその前に、サスペンションを専用の硬い仕様に変更しました。大きなジャンプだらけなのがスーパークロスの特徴なので、専用セッティングのサスペンションは「こんなに動かないの??」、っというほどカッチカチの硬いもので、初めて触る人は驚くと思います。リアスプロケットも、ノーマルよりも3丁大きい低速仕様に変更。簡単な変更ですが、まずはこれくらいはしておかないと、とても本物のトラックは危なくて走れないだろう、という判断です。マシンの仕様は変えたので、まずは簡単なトラックから攻略して慣れていこう、とジムさんと話し、マイルストーン という所へ行きました。ここは、少し高い所にあるコースの入り口から下を見る限り、ジャンプしかないレイアウトで、数が多過ぎてそれぞれの間が狭く見える程です。コースに着いてからは、実際に足でトラックを歩いてみて、ジャンプの大きさ、それぞれの間の距離を確認しました。フープス(編注:小さなコブ状の山が連続してレイアウトされたセクションの事で、その形状から昔は“ウォッシュボード=洗濯板”、と呼ばれていた)はそれほど深くないけれど、当る方のコブは、日本のコースで多く見るような斜面の形ではなく、壁のように直立しています。スーパークロスがもの凄く難しい、というのは知っていましたが、目の前で現物を見たら、知っていた気がしていただけで、実際は想像以上でした。走り始めても、もの凄い緊張感と高い心拍数(190bpmまで上がっている)で、すぐに走れなくなって止まってしまいます。この時の事は、格好つけて、「割とすんなりイケました」って言えるような感覚はまったく無かったです。それほど難しかったです。トリプルジャンプや、特別大きなフィニッシュのダブルは飛べますが、距離を合わせるのがとても難しい。何度も飛び過ぎてしまい、フラットランディングをしてしまいました(編注:スーパークロスのジャンプは、一般的に逆斜面に合わせて着地するので衝撃が小さいが、それを飛び超えて平らな所に着地すると衝撃が大きい)。フープスも難しいが、こちらはまだ大丈夫な気がしました。一番の難関は、タイミングセクションです。これの難しさは、半端無いです。コーナーから立ち上がってすぐに腰くらいの高さの低いジャンプから、60フィート(だいたい18メートル位)先のピンピンに尖った、大きめのジャンプに合わせて飛ぶ。これがなかなかうまく飛べなくて、2個飛んでも、2つ目の山は倍くらいデカく、高く上がらないと越せない。まあどこも、オレにとって簡単なセクションは1つもありませんでした。

 

このコースを、1日目は何とか8割くらいのジャンプは飛べるようになり、少しずつですが走れるようになりました。とはいっても、後の2割は、まったく飛ぶ気になれません。飛んでいるライダーは、簡単に飛んでいるように見えるのですが……。その後は、3回目の練習の前に雨が降って2週間もスーパークロストラックを走れませんでした。そのせいで3回目はまた最初の頃のようにジャンプの飛距離が合わず、振り出しに戻った感じでした(編注:主観が入ってしまうが、辻選手は日本人の中ではジャンプは得意な方だと思う。それでもこうなってしまう程、スーパークロストラックは難しい)。この日は、タイミングセクションが更にピンピンになっていて(編注:整備されて、頂点がさらに尖っている、という事)、ガッチリ引っかかってしまい転倒してしまいました。この時、身体のどこかで「ベキッ!」って音がしたので、「どっかが折れた!」と思いましたが、すぐには立ち上がれなかったものの折れてるという感じは無く、そのまま走れるかなって感じでした。しかし、バイクを引っ張る動作でまったく力が出なくなっていて、この日はここで練習を終わりにしました。

 

次の日も、腕は上がるが引っ張る動作で痛むので、病院へ行きました。強い痛み止めの注射を打たれかなり痛みは軽減しましたが、引っ張る動作では相変わらず痛みは残ったままでした。レントゲンでも、初めは折れてないと言われましたが、痛みがあるのは疑わしいから、と再検査。今度はパックリと線が出ているのを発見し、『骨折』という診断でした。いやー、マズイ。開幕戦に出られないかも……(この時点で、2012年12月4日)。開幕にはたくさんの応援が来る予定になっているので、エライ事になってしまいました。みんなに連絡をして、事情を伝え、「申し訳ございません」と誤った。怪我をした事よりも、こっちに大いに凹みました。再診は違う病院へ行く事になっていて、それから2週間後に行ってみました。すると、そこでは、「これは骨に通る血管の溝だから、折れてないよっ」という診断を受けました!? この診断はもの凄く嬉しくかったのですが、どちらの医師もきちんと調べて判断している訳で、結果的には、折れている事も想定して慎重に動く事にしました。まずは、リハビリから開始です。しかし、折れていないと言われたが、引っ張る動作は相変わらずまったく力が出なく、痛いままです(この痛みは徐々に薄れて行きましたが、2月を過ぎた時点でも続いています。本当、どうしてしまったのでしょう?)。結局、開幕のアナハイム1の時にはライディングを再開出来ず、今年もスタンドから観ました。1年ぶりのライブ観戦でしたが、やはりスーパークロスは相変わらずの凄い空間でした。レベルの高さは、モトクロス(スーパークロス)の世界一を争っている空間だから、究極だと思います。特に、トップクラスのライディングは、ただ速いだけでなく芸術的で魅了されます。マイルストーンで見かけた、普通に走っていたライダーたちでもこの日のナイトイベントには何人かが進めていなかったし、スーパークロスの出場経験があり、日本ではぶっちぎりのチャンピオンですら、苦戦を強いられていたように見えました(編注:MFJ全日本モトクロス選手権IA1チャンピオンの成田亮選手が、スポット参戦していた)。

 

この後、ライディングを再開できたのは、2013年の1月中旬。トレーニングもリハビリも続けていましたが、肩はなかなか回復せず、痛みや違和感はそのままでした。この時の予定では、2月2日のアナハイム3(ラウンド5)と、2月9日のサンディエゴ(ラウンド6)に出るつもりで動き出しました。ジムさんとの話し合いで、「危ないタイミングセクションはもう飛ぶな。ナイトイベントに行くのは現実的では無い。また転んだら、もうレースに出る事すら出来なくなるからな! OK!? これは、真面目な話だからな」って、約束をしました。確かに身体は完全ではないし、ジムさんの言う通りです。アナハイム3の開催日まで2週間を切った時点で、やっとスーパークロスの練習を再開出来ました。慎重に、危ない所は飛ばずに、とにかく全体的にジャンプに慣れる事に集中しました。この頃になると、マイルストーンにもトップライダーが来ていて(E・トマックを始めとするガイコ ホンダのライダーや、ロックスターエナジーのライダーたち)、一緒に走るのが申し訳ないくらい彼らとは差を感じました。同時タイミングでトラック上にいると差があり過ぎて、お互いに危ないくらいのレベル差で……。この頃になると、練習でカズマサやヨッサンにアドバイスをもらうようになって(編注:日本から増田一将選手と熱田孝高選手が、シーズンオフのトレーニングに来ていた)、自分では見えないライディングを客観視してくれて、良いアドバイスをもらえました。

 

そうこうして、なんとか2月2日のアナハイム3(ラウンド5)にはエントリーが叶い、難関だらけの道のりでしたがようやくここまで辿り着きました。

 

 

<続く>

 

ツジケンの“タイミングセクションってなに?”

タイミングセクションというのは、そのジャンプの形状は様々ですが、大体、一気に3つ飛ぶモノが多いです。コーナーから立ち上がってすぐにあって、ジャンプとジャンプの間が詰まっているので、タイミングが合わなければ、飛び過ぎて次のジャンプを飛べなかったり、転んだりと、転倒者が多いセクションです。3つ飛んだ後に、またすぐに同じ距離のジャンプが3つ設置されていたり、テーブルトップの上に飛び乗ったり、その後もコーナーまでジャンプが続くパターンがほとんどで、先の攻略まで考えて手前を飛ぶ必要があります。スーパークロスの動画で注意して見てみてください。ナイトレースにまで進出するライダーは易易と飛んでいるように見えますが、難易度は相当高いです。

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プロフィール

辻 健二郎

辻 健二郎

1975年8月8日 山口県徳山市(現 周南市)生まれ

父親の影響で3歳の時にモンキー(ホンダ)を緑地公園で乗せてもらったのが初ライド。週末は、家族みんなが父親のモトクロス練習&レースについて行く。そんな環境下、行った先で山の中を草木や泥にまみれて遊ぶのが日常だった。これが彼のバイクライフの原点になる。自己評価は、ポジティブに捉えると真面目で実直と言われるが、見方を変えれば頑固で自分を曲げない性格、との事。不器用だからスムーズに事が進まないが、この性格を理解してくれる周りに支えられ、モトクロス道を進んで来ている。大好きなボブ・マリーの曲、"JAMMIN'"から名前を取ったバイク仲間との倶楽部も活動中。何事も「enjoy!」が信条。

 

なお、随時申し込みがあれば個別のスクールを実施しているので、「ツジケンに教わりたい」と思ったライダーはぜひ問い合わせて欲しい。

【モトクロス塾】

 

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