実は日本とも馴染みが深かった!? 台湾ブランド『キムコ』の歴史
掲載日/2018年11月28日
取材協力、画像提供/キムコジャパン
文/西野鉄平
構成/バイクブロス・マガジンズ
2015年にキムコジャパンが誕生して以降、街で見かけることも多くなった台湾ブランド『KYMCO(キムコ)』のスクーター。日本車と比べると車両価格がお手ごろな場合も多く、ユーザーは年々増えている。そんなキムコというブランドの、創業から現在までのヒストリーをまとめて解説しよう。

1964年の創業はホンダとの技術協力から
台湾国内向けホンダ製品の製造と販売を担っていた

太平洋戦争後の混乱が収束し、日本を追うように工業立国に向かって経済発展を始めた台湾。1964年に南部の港湾都市、高雄市でキムコの前身となる『光陽(こうよう)工業』が創立する。

このとき技術協力契約を締結したのが、本田技研工業だった。ホンダは1946年に創業し、すでにスーパーカブC100が世界的に大ヒット、旧西ドイツにはヨーロッパホンダを設立し、四輪の製造も手がけはじめ、日本を代表する自動車企業となっていた。

建設中のキムコ台湾本社工場前にて、見学に訪れた本田宗一郎氏が乗った車を見送る当時のキムコ社員たちの様子。白一色の仕事着に“ホンダイズム”の継承が見て取れる。

光陽工業として初めて製造されたモデルは、排気量90ccのミッション車「C200」だった。このC200は日本で先に1964年に発売されている。車体はほとんど同じだが、台湾で造られた光陽製のものには、ホンダのロゴとともに光陽のロゴがあしらわれていた。

これを機に優れた品質が評価され、光陽製品は瞬く間に台湾全土に広まる。「光陽」または「光陽ホンダ」の名で広く親しまれるようになったのだ。

現在のキムコのお家芸といえばスクーター。スクータータイプの車両もホンダが日本での開発・販売を経て、直後に光陽モデルとして登場する。

左の写真は「光陽新生代」の名で売られた50ccスクーター。1983年に日本で発売されたホンダ「リーダー」がベースとなっている。右の写真は「名流100」。当時のカタログにも書かれているとおり「スペイシーシリーズがベースとなる。日本では近似したモデルとして、スペイシー80が1982年、スペイシー125ストライカーが1983年にリリースされた。

ホンダとの協業時、もっともヒットしたのが1990年から2008年に製造された「Hao Mai 125」だった。このモデルは製造台数100万台を超える最初のモデルでもあった。

ホンダとの協業は2003年まで続くことになる。本田宗一郎氏の教えを忠実に受け継ぎ、確かな製品を生み出してきた。写真左が本田宗一郎氏。写真右が光陽工業の創業者、柯光述氏だ。

世界進出のため自社ブランドを設立
1992年『KYMCO』が誕生する

ホンダとともに歩んだ約28年間で、技術も蓄積し、光陽工業は台湾国内での実績が確固たるものとなった。

1992年、世界へと進出するため自社ブランドを立ち上げる。それが『KYMCO(キムコ)』だ。その名称は社名「Kwang Yang Motor CO.,ltd.」の頭文字に由来している。

キムコブランド設立後、現在にいたるまで目覚しい発展を遂げる。得意なスクーターを中心に、ヨーロッパやアメリカでレジャーや農業で活躍するATVやUTV、都市生活者の重要な交通手段である電動アシスト自転車、高齢者の生活を支えるシニアカーなどのパーソナルモビリティ製品に加え発電機まで、製品の展開は多岐に渡る。

すでにキムコがスクーターのみのブランドではないということは分かっていただけたかと思うが、モーターサイクルで言えば現在でもミッション車は生産されている。日本市場では、以前の輸入販売元から「KCR125」「AIR150」という2車種のミッションモデルがリリースされた経歴がある。

台湾国内で現在販売されている「KTR150」。実際に台湾の街中ではキムコのミッション車を多く見かける。道行くバイクをチェックしてみると、知らないバイクに出会えて楽しめるはず。

キムコ製品は2018年現在104以上の国と地域で販売され、台湾やベトナム、中国の自社工場で製造されるほか、南米や東南アジアでは技術協力工場においても製造されている。また、日本にキムコジャパンがあるように、アメリカやイギリスなど複数の地域に販売拠点を設立している。

とくにヨーロッパでの人気が高く、シェアでもかなりの割合を占めている。スクーターはスペインで約18%と1位、ドイツは約9%で同じく1位、イタリアは約20%で3位といった具合だ。また南米のコロンビアでも大人気で、シェアは約30%(!)を占めている(いずれも2016年のデータ)。

日本ではあまり馴染みがないATVも、世界的にはドイツ、フランスをはじめ、周辺各国で多くのシェアを獲得しているのだ。ちなみに台湾ではどうか。これがすごい。18年間シェア1位を獲得し、約40%を占めている。

台湾は二輪車の普及率が圧倒的に高い。平均で2人に1人以上がバイクを所有し、女性も高齢者もみんなバイクを利用している。こういった市場だから当然ながら、キムコは誰もが知るブランドなのだ。

2015年『キムコジャパン』設立
アフターサービスに力を注ぐ

日本では2001年から2015年3月まで、日本の輸入商社によりキムコ製品の販売が行なわれてきたが、より上質なサービスを提供するため、2015年5月にキムコ100%出資の子会社として、キムコジャパン株式会社が設立された。同年12月よりキムコスクーターの販売を開始する。

正規販売店は日本各地に点在する。その数は2018年現在で約90店舗、今後は200店舗までの拡大を目標に、輸入車ブランドの販売網として国内1位を目指している。

また、車両の販売は行なっていないが、純正部品を取り扱うショップはさらに多く、2018年現在で約800店舗ある。輸入車となると整備に心配を感じてしまうが、日本中の多くのショップで対応が可能となっているため、日本メーカーのスクーターと大きな違いはないのだ。

販売されているキムコ車の主軸は小中排気量のスクーターだ。それゆえ日常の足として使われることが多い。そんなバイクが100kmも200kmも移動した先でしか整備できないようでは、メーカーとして信用してもらえない。そんな思いから、キムコは販売網の拡充に力を入れている。

もちろん純正部品取扱店だからと言って各店にストックがあるわけではない。交換パーツは都度取り寄せとなる。消耗部品や転倒時に欠損しやすいパーツはキムコジャパンに用意されているため、輸入車にありがちな「パーツが届くまで2週間待ち」ということはほとんどない。これも嬉しいポイントだ。

電動バイクやスマートメーターなどの最新技術
今後の展開からも目が離せない

フラッグシップモデルのラグジュアリースクーター「AK550」と、スポーツスクーターの「Racing S 150」に標準搭載されているスマートメーター「Noodoe(ヌードー)」をご存知だろうか。

スマホ専用アプリと連携することで、ナビゲーションや天気予報などをメーターに表示することができる最新テクノロジーだ。日本車ではホンダのゴールドウイングが2018年4月発売のモデルから類似のシステムを搭載したが、キムコは2017年から開始し、150ccのスクーターにも搭載。今後も標準搭載した車両を拡充していく見込みだ。

2018年3月の東京モーターサイクルショーで話題となった『iONEX(アイオネックス)』は、キムコが新たに展開を目指している電動バイクのプラットフォームだ。

車体に予備バッテリーを3個搭載できるほか、バッテリーステーションを各地に設けるといったインフラ設備の展開も視野に入れた壮大なプロジェクトであり、今後3年間で10機種50万台の販売を目標とし、ヨーロッパ、アジア、アメリカのマーケットへの投入を計画している。

日本では自治体や企業などとの協業で展開の可能性を探っている最中とのことだ。

さらに2018年11月6日には、イタリア・ミラノで開催されたEICMA(ミラノショー)でEVスーパースポーツ『SuperNEX(スーパーネックス)』を発表した。

完全な電動バイク(EV車)でありながら、6速マニュアルトランスミッションを搭載し、従来のガソリン車のような「操る喜び」を体感できる。

EV車の特徴といえば、走り出しから大きなパワーとトルクを発生できることで知られている。しかし中低速こそ力強いものの、高速域での加速力が物足りないのがこれまでの一般的な見解だった。

SuperNEXは、トランスミッションを搭載することでモーターの最高出力を有効に使い、それを克服。優れた加速性能と最高速を実現させた。0-100km/h を2.9秒、0-200km/hを7.5秒、さらに0-250km/hは10.9秒で到達する。

これまでEV車は、実用的な車両の開発が多かった中、趣味性の高いスーパースポーツの可能性を大いに示すビッグニュースとなった。

キムコが世界的大企業だと初めて知った方も多いのではないだろうか? さらに今後の伸びしろも大きい。その理由は、日本での柔軟な展開方法による。

近年、国産・輸入車ブランド問わず、自社製品は自社ディーラーでの販売・整備を促進し「囲い込み」とも思える商法が目に付く。そんななか、キムコは門戸を大きく開き、販売店と部品取扱店を拡充させている。もしかしたら町の小さなバイク屋は、キムコを主軸に販売する時代が来るかもしれない!?

加えて電動バイクなど最新テクノロジーへの着手も積極的で、未来を見据えて展開している。今後の伸展も期待しながら注目していきたい。