HONDA V4 MACHINES CATALOG 01/ホンダ・スポーツモデルのもうひとつの軸、V4

掲載日:2018年10月19日 トピックス    

写真・文/ロードライダー編集部 記事提供/ロードライダー編集部
※この記事は「ロードライダー vol.402」に掲載された内容を再編集したものです。
※スペックは基本的に国内仕様のものを表記。
※価格はいずれも発売当時のもので、消費税導入以降は当時の税率による消費税込みとしています。

HONDA V4 MACHINES CATALOG 01/ホンダ・スポーツモデルのもうひとつの軸、V4

WGP再参戦用NRのテクノロジーをストリートへ。

ホンダV4マシンの歴史はいかにして始まり発展してきたのか。その詳細をひも解く連載記事の第三弾では、1983年登場のVF750F(RC15)から1994年登場のRVF/RC45までを振り返る。

V4を自社ラインナップの軸にするために
製作されたスーパーバイク

ホンダは、既に1970年代末には世界一のバイクメーカーとなっていた。ステップスルーで乗れる50ccから、オンロード/オフロード各排気量、グランドツアラーまで、世界各地の用途に合わせたモデルを展開していた。そんなホンダだったが、1970年代には世界グランプリに参戦していなかった。そこに、新しい目標としてGP再参戦を掲げた。

最高峰の500クラスはかつてと異なり、2ストローク全盛。そこにホンダは、2回転1爆発の4ストで毎回転爆発の2ストを凌ぐ性能を作ろうと、NR500の投入を決める。オーバル=楕円ピストンで8バルブ、V4レイアウト。2ストの倍近い2万回転/分の超高回転でパワーを絞り出す。そのNRによって1979年8月にWGPに復帰したホンダだったが、結果としては苦戦の連続で未勝利に終わる。

だがそのノウハウは膨大なものとなり、NRから得られた技術は大きかった。ちょうど1979年からCB-Fシリーズを旗艦としていたホンダは、1980年代に入ると、CB-Fが使っていた直列4気筒に代えて、NR由来のV4をレースに、ひいては旗艦に使うことを決めた。ただ、1982年3月に2輪市販車初の水冷V4を積んで登場したのは、オーソドックスなスポーツモデルの、VF750セイバーと、クルーザーのVF750マグナだった。ともに最大の市場=北米市場も意識してのものだった。

1983年/VF750F(RC15)

HONDA V4 MACHINES CATALOG 01/ホンダ・スポーツモデルのもうひとつの軸、V4

VF750セイバー/マグナから半年強、その90度V4エンジンを角型断面鋼管ダブルクレードルフレームに搭載、当時のGP技術によるF16インチホイールやリヤのプロリンクサスと組み合わせて同年12月に市販された“スーパーバイク”が、VF750F(RC15)だ。V4を自社ラインナップの中軸に据えると公言したその旗艦とし、フロント&アンダーカウルを装着、バックトルクリミッターも装備。輸出仕様でも750同様に1982年末に1098ccのV65セイバーを先行させ、1984〜1985年にハーフカウルのVF1000F/フルカウルのVF1000R(ともにSC16)を展開する。

1984年/VF1000F(SC16)

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1985年/VF1000R(SC16)

HONDA V4 MACHINES CATALOG 01/ホンダ・スポーツモデルのもうひとつの軸、V4

水冷4ストDOHC4バルブ90度V型4気筒、748cc、ボア×ストローク70.0×48.6mm、圧縮比10.5:1、最高出力72ps/9500rpm、最大トルク6.1kgf・m/7500rpm、変速機5段リターン ●全長×全幅×全高2160×720×1215mm、軸距1495mm、乾燥重量218kg、燃料タンク22.0L、シート高795mm、キャスター28度10分、トレール96mm、タイヤ:120/80-16・130/80-18 ●価格74万6,000円(VF750F国内仕様のデータ)

1986年以降のV4は次ページにて

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